第7話 エトワール家の女-3
連れだって徒歩で市街地へ向かう。というのも市場は港と繋がっているので近い、恐らくは背の高い家の窓から屋敷が見える程に。人混みは王都の通りと変わらないと言えるほどごった返している。大きく違うのは、見たことも無いような品を露天商が拡げていること。
「わぁ、見ていってもよろしいですか?」
「もちろんですよ」
宝石であったり、細工物、時にはどこかの民族衣装。果物も野菜も、見たことが無いものがたくさん並んでいる。時間を忘れ、立場を忘れてはしゃいでしまう。ふと目についたのは十字架だった。神殿で使われているものとは少しだけ仕様が違う気がする。
――三ツ星が二重になってるわね。司祭用の物とは何か違うような?
じっと見ていると露天商が「こいつは西大陸から流れて来たアカデミーの研究者が残して行ったものらしい。何でも向こうでは聖マリーベル教ってのが主流みたいで、その聖装具だな」簡単な経緯を説明してくれた。この東大陸ではマリベリトフター教が主流ではあるが、この二つは無関係ではない。
元はマリーベル教で、マリーベルの娘というのがマリベリトフター教なのだ。要は分派の一つ。
「気に入りましたか?」
「ええ、何か聖なる力を感じます」
「エシェッカが言うならそうなのでしょう。店主、それを貰おう」
値段など聞かずに買うと言う、店主は営業スマイル全開で高いのか安いのかわからない価格を口にした。ネックレスのようになっていたので、キャトルは手ずから首にかけてやる。妙な存在感があるような気がしたのは、彼女が身に着けたからだろうか。
「ありがとう御座います、大切にしますね」
「どういたしまして。確かこの先にあるお店が菓子店で……おや」
随分とまた長蛇の列で、人気があるのがはっきりと証明された。出直すのも変な話なので、最後尾に二人で並ぶと順番待ちをわくわくしながら待つ。ようやくあともう一組だけと、目の前まで列が消化された。そこで三人組みの髪を逆立てたような若い男が割り込んで来る。
「いやーここの喰いたかったんだよ」
「マジだりぃよな、何並んでんだこいつら」
「俺達は最初から居た、そうだろ?」
柄の悪い男達に殆どが女性客の列は黙って視線を合わせずに下を向いてしまう。列の整理をしていた若い女性の店員が、震えながら「み、みなさま並んでいるので後ろへおねが――」注意をしようとする。
「んだこら、元から居たっつってんだろが!」
腕を伸ばして襟を引っ張ろうとする、その手首をキャトルが掴んだ。
「割り込みだけなら大目に見てやろうとも思ったが、暴力を振るうとなれば黙っては居られんぞ」
ギリギリと手首を締め付けると男が「いてぇ!」大声をあげるものだから、仲間が殴り掛かる。手首を捻って一人を投げつけると、そいつが邪魔になって近づけなくなる。その間に殴りかかって来た拳を膝を屈めて避けて、交差するように腹を殴りつけた。
遅れて掛かって来る男の出足を払ってやり、体勢を崩した奴の肩を押して転倒させる。三人があっという間に転がされると睨み付けてやる。
「くっ、くそ、覚えておけよ!」
野次馬の視線があまりに恥ずかしすぎて捨て台詞を残してそそくさと退散していった。行列から拍手が上がった。
――凄い、この人強い!
型で覚えた武術ではなく、何と無く喧嘩慣れているような印象を受けてしまった。そして気づく、並んでいる女性客の熱っぽい視線がキャトルに集まり、ひそひそと噂話をしているのに。何故か不機嫌な気がしてしまうが、エシェッカはどうしてそう感じてしまったのか解らなかった。
順番が来て焼き菓子を注文して店で食べていると、魅惑的な生菓子が出て来た。
「これは注文していないけど?」
女性店員にそう言うと「店主からのおごりです。さっきはありがとう御座いました!」トレイで口元を隠して、頬を少し朱に染めていた。
「君は立派に仕事をしていた、それこそ褒められるべきだと私は思うね。店主にお礼を伝えておいて欲しい、頼めるかな」
「は、はい!」
パタパタと小走りで店の奥へ行ってしまった。
――うーん、何でかしら面白くないわね?
釈然としない表情に気づくと「エシェッカ、どうかしたかい?」尋ねて来る。
「いいえ、なんでもありません!」
そんな素っ気無い返事。キャトルは正直どうしてこうなってしまったか本気で解らなかった。天性の才能とでもいうのだろうか、女性を勘違いさせてしまうのは。無事に焼き菓子の土産も手に入れられたので、二人は屋敷に戻ることにした。
それから数日だ、市場でエトワール家の四男がならず者を退治したと噂になったのは。その場に居た時には不機嫌満開だったエシェッカだったが、後日それを耳にすると妙に上機嫌。キャトルは女心というのがとても複雑でわからないと強く思うのであった。
◇
そもそも巫女とは神の意思を受け取る存在。エシェッカも当然幾度となく神託を受けていた、その前兆などというものは一切無い。場所も時間も問わずに、突然それはやって来る。自室でさざ波が反射する輝きを見入っていた時、急に倒れてしまう。
サルヴィターラがはっとして「エシェッカ様!」駆け寄って助け起こそうとすると、妙な体勢、首の力が入っていない状態でむくりと起き上がる。目は焦点が合っておらず、不気味な雰囲気を漂わせていた。
「テンペスタースフルメン、イムベルアドウェルサ」
いつもの彼女の声ではない何かが聞こえ、ドサっと倒れる。大声を聞いて他のメイドが集まって来て、キャトルもやって来る。
「サルヴィターラ、一体なにがあった」
「エシェッカ様が大嵐の雷鳴、天災が来ると仰ってお倒れに」
「それは神託だろう。エシェッカを頼む、私は伯爵のところへ行く」
普段は走ることなどないのに、今ばかりは廊下を駆け抜けた。伯爵の執務室の扉をノックすると「キャトルです、火急の報告が!」直ぐに「入れ」返答があったので中へ滑り込んだ。一目見て万年筆を置くと息子に向き直る。
「どうした、冷静さを欠くのは武人として恥ずべきことだぞ」
海賊から国家の武官に鞍替えしてからではない、海に居るころからそれは変わってなど居ない。
「神託が下りました。大嵐の雷鳴が来ます!」
これ以上ない程真面目な顔で、最重要の部分のみを告げる。これは由々しき事態だ、神の警告がどの程度の的中率があるかと言えば、実に百パーセント、一度も外れたことがない。
「王都に一報を飛ばせ。出港している全ての船に帰港を命じろ、戻って来るのが無理なら出来るだけ近くの港に寄港するか接岸するように警告を出すんだ」
「承知しました。私が船舶組合に行きます!」
「うむ。俺は全土に風雷対策とその後の手当てを行えるように布告を出す。海はお前に全権を委任する、急げ!」
執務室を出ると裏手にある馬小屋へ行き壁にかけてある旗を手にした、騎乗すると桟橋を挟んで反対側にある船舶組合へ一直線向かう。真っ赤な旗を腰に括り付けると「伝令!」大声で叫びながら港を疾走した。
「みんな道を空けろ!」
気づいた者が周りに報せる、すると騎馬が駆けられるだけの空間が作られる。それでも気づかない者を巧みに避けてキャトルは船舶組合の事務所へと入った。
「ギルドマスターは居るか! エトワール伯爵の名代でキャトル・エトワールが火急の用事で推参した!」
二階の階段上から中年の白髭男が出てきて「ここにおります」返答する。
「神託が下った、風雷が来るぞ! 全ての船に帰港命令を出すんだ!」
前置きなどすっとばして大切な部分を真っ先に伝えた。空を見てもそんな感じは全くない、無いが無視する気などこれっぽちもない。
「灯台に走れ! 信号弾をあげろ! 桟橋の船は全て固定だ! 荷役中の船は作業を中断して固定の応援に回すんだ! ここに本部を設置する、手すきの奴らを集めろ」
号令がかけられると皆が一斉に動きだす、非常事態に文句を言うものは居ないし、言わせはしない。こんな時の為の訓練は何度もしてある、この手順は戦争が始まった時と似通っている。
市街地にも伯爵家の者が出てきて布告している、早馬が次々と駆けだして行き近隣の街に散って行った。
皆が慌ただしく動き回り、一人の船乗りが本部にやって来る。
「外国船が一つ言うことを聞きやせん! 出港するってきかなくて」
「エトワール様、いかが対処致しましょう」
全権代理を認められている、ここで判断を誤るわけには行かない。
「その船の規模と所属国は」
「ゼノビア教国の大型ガレー乙型級でさぁ!」
大型ガレー乙型の特徴を思い出す。櫂で漕ぎ出すので小回りは利くし素早い、だが致命的に喫水線が浅くて船体が大きい。漕ぎ手は殆どが奴隷で長期の維持をすることになれば費用がかさむのが理由だろうか。
「もし風雷で転覆なり轟沈して港の出入り口が封鎖されることになれば、帰港予定の船が立ち往生する。停船命令を出して、それに背くならばこれを撃沈せよ。これはエトワール伯爵の言葉と捉えよ!」
キャトルの判断に待ったをかけるギルドマスター。ここにある船は小さな外国、船上には主権すら存在している。
「お待ちを、ゼノビアとの外交問題になる恐れが。もし風雷が無ければ大変なことになります」
伯爵へ判断を仰ぐことはできる、それこそ三十分と掛かるまい。だがその間にガレー船が湾の出入り口に滑り込んでしまえば、もう選択肢は無くなる。決めなければならない、どれだけ不安定な状況であっても。キャトルは全ての権限を持っている、同時に全ての責任も負っている。
「聖女の神託を信じる、風雷は必ずやって来る。その上での判断だ、多くの船を危険にさらすわけには行かん。責任は私にある、命令を実行させろ」
「……承知致しました。走船を出してガレーの頭を押さえるんだ、港の砲台照準をガレーに合わせろ!」
それから五分とせずに強風が吹いてきて、空に分厚い雲がかかって来る。雨が混じって来て波が高くなる、風に湿り気が出て来た。帰港命令を見て大小さまざまな船が港に殺到する。
停船命令を無視して外へ出ようとするガレーに砲撃が行われた。船体に直撃すると穴が開き、浸水が始まる。走船を何艘もぶつけて滑って来るガレー船を何とか減速させ、ついには停止させることに成功した。次々と入港する船が桟橋に泊まると、ロープで固定して行った。
雷鳴が轟く。いつしか横殴りの雨が降りしきり、波が高くなる。ガレー船の船員を全て救助し組合の倉庫に詰め込むと、暴風が襲ってきた。
「こいつはひどいですな!」
ギルドマスターが顔をしかめて外の様子を見詰める。もし判断が遅かったら、今頃湾内は恐ろしい惨状になっていただろう。ガレー船には悪いが被害が最小限に食い止められた結果がこれだ。巫女の、聖女の存在がこの国で大切にされている理由をその身で体験する。エトワール家が庇護するとのことだったが、最初に護られたのが自分たち。
「――なにがご迷惑だ。私は今以上に精進せねばならんな」
小さく呟く独り言、彼は手探りの道を迷わずに間違えずに進まねばならない。それは自分自身の為というよりは、多くの他人の為に。だがそれが決して嫌ではなく、むしろ心地よいとすら思えているのだった。
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