第2話 エシェッカは巫女で聖女で性悪で-2

 聖女とは思えないほど狭い心を自身で全く気にせずに、にこりともせずに無視してやった。室内がざわつく、扉の傍にはあのトライゾン王子が立っていた。こちらに近づいてくると目の前で立ち止まる。


「愛しのエシェッカ、君のことが忘れられ無くて。婚約破棄は間違いだった、すまない。私とやりなおして欲しい」

 

 厚顔無恥の見本と言えるような行動に、正直吐き気すらしたエシェッカは眉を寄せて両手を握りしめた。言うべきか言わざるべきか迷う。


「どうかしたかいエシェッカ、さあ私と一緒に陛下に挨拶しに行こうじゃないか」


 作った笑みを浮かべて手を差し伸べて来る。仮面の下でどういう顔をしているのかは、先日既に解っているというのに。


「やりなおす? 冗談お断りです。婚約破棄ありがとうございました、私はあなた以外の誰かと寄り添おうと思っていますのでお引き取り下さい!」

 ――言ってやった! ざまあ王子! 


 驚きで両目を見開いている王子がおかしくて笑ってしまう。付添人無しで国王の前に挨拶に行くことになった。



 選定の儀式を終えると聖女が国王に謁見して、誰の庇護下に入るかを報告する。通例ならばここで同道する婚約者、即ちいずれかの王族が隣に居るはずなのだが、エシェッカは単身で赤い絨毯の真ん中を歩いてくる。これには国王も疑問を持ってしまう。


 かといって、ここまでやって来たのに回れ右で戻れとは言えない。謁見の間へ通してしまった者に責任がある。もちろんそれも今とやかく言ってもどうにもならない。王の器量で対処すべきところなのだ。


 王の左前に立っている小太りの男。ヒラヒラした燕尾服に、縦ロールの茶色いカツラを載せている。マルキオー第一宰相は政治をみない、宮廷内でのことだけに関わる最高責任者。


「新たなる聖女よ、名乗れ」


 マルキオー第一宰相が王の代わりに声をかける、それも儀式の一環。そもそも王は平民などとは直接言葉を交わしはしないし、貴族相手でも身分が低ければ同じこと。


「アリデーレ伯爵領マインツ出身エシェッカです」


 本来ならば巫女はどこかの貴族の娘が選出されることが多く、平民出がここまで登って来ることなど極めて稀。エシェッカもアリデーレ伯爵の養子として、王子との婚約をした経緯があった。ところが王子の婚約破棄により『事前』に養子縁組を解かれていた。


 どういう意味かというと、王子が伯爵令嬢を婚約破棄すると伯爵に失礼を働いたことになるから。では逆だとどうなるか、王子が平民と婚約をしていた事実が残る。それが巫女というステータスを持っているので、違和感はあっても不思議ではない。


 かくして本人の知らぬところで、婚約は破棄されてしまっていたのだ。それを聞かされたからと、何をどうすることも出来ない。みじめで一杯の彼女を笑うものは居ても、慰めてくれた者など誰一人居なかった。これが宮廷での競り合いというものだと理解した時にはもう遅い。


「陛下、聖女が誕生いたしました。国家の庇護を与えるべくお言葉をいただきたく」


 前例がない状況にも、第一宰相は動じずに告げる。聞こえは良いが国王に丸投げしただけという現実が見え隠れしている。目を細めてどうしたものかと思案する国王、いつまでも黙っているわけにもいかない。


「聖女エシェッカに王国より庇護を与える。通例であれば余が庇護者を置くものであるが、此度はそなたに指名権を委ねるものとする」


 さも恩寵を与えるかのような言葉にすり替えて、本人の好きにしろと国王も丸投げしてしまった。長くても数年、短ければその年のうちに聖女はその資格を失うことが多いから。何せ王族と婚姻し姦通してしまえばそれまで、聖女は次の代へと受け継がれるのだから。


 ――そう言われても誰も私になんて……あ。


 ここで名を出せなければ聖女になってまた笑われてしまうだけ。どうとでもなれと知っている名前を口にする。


「はい、御心のままに。エトワール伯爵の子、キャトル様に庇護を頂戴したく願います」


 第一宰相も国王も、エトワール伯爵は顔も宮廷での席次も知っていた。どのような実力を持っているかもだ。ところが子のキャトルと言われたら全くの不明、そもそも存在しているかもわかっていない。


 王がこんなことでしくじるわけにいかず、さりとて第一宰相は助け舟を出すつもりは一切無く。ふむ、と考える振りをして誰かの声が上がるのを待つ。すると、絨毯の左右に並んでいた廷臣の一人が進み出る。


「ヴァロノス男爵の発言を許す」


 第一宰相が間を取り持ち、例によって代わりに話をする。権威というのは当人らにとっても面倒で、時に笑ってしまいそうなことの積み重ねで作られている。


「畏れながら申し上げます。キャトル卿をこの場へ招かれる役目を、どうぞ臣にお命じ下さいませ」


「されば陛下のお召しである。速やかに連れて来るように」


 存在すら知らなかったが、どうやら実在の人物で城に居るらしいと判断する。当然、王がここで待つことは無いので一旦退席して第一宰相と聖女は待って居ろ、ということになった。


 雑談するような場所ではないので、無言で棒立ちをしたまま暫く。先ほど顔を会わせたキャトルが絨毯を進んできて片膝をついて頭を垂れた。


「国王陛下、ご入来」


 恐らくは控室で解決策の模索を進めていたであろう国王が玉座に腰を下ろす。お決まりの名乗りを行い、その面構えを初めて確認した。


「エトワール伯爵家に聖女の庇護を命ずる」


「父であるエトワール伯爵に成り代わりまして、キャトル・エトワールが謹んで拝命致します」


 実務は詳細を後程打ちあわせろと謁見の間から去って行く国王、それを恭しく見送りエシェッカとキャトルも退室した。何故こうなっているのか全く不明で、部屋を出たところで隣に居る彼女に尋ねた。


「いささか不躾では御座いますが、質問をさせて頂いてもよろしいでしょうか」


 流れから答えは何と無く想像出来ているようで、質問とはいっても恐らくは確認でしかない。だとしても丁寧に応じてくれたキャトルに彼女は微笑んだ。


「もちろんですわ」


「そのお返事で何と無くですが理解しました。エトワール伯爵家の推定相続人は既に妻を得ておりますが、いかがしたものでしょうか」


 小さなため息交じりで異例中の異例をどうしたものか、彼は色々と想像する。聖女を庇護する為の力が伯爵家にあるかも疑問ではあったが。


「私、あなたが浮かびました、それでお願いしたんです。やはりご迷惑でしたでしょうか……」


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