《世界を選ぶ者》おまけ
淡色の少年はゆっくりと目を開く。神官に凭れたまま言葉を紡ぐ。
「北の畑の一角に毒虫が卵を産んだみたいだ」
「何?」
赤い髪の神官は呼んでいた本から顔を上げる。
「他の畑にまで広がらないように早めに閉鎖した方がいい。毒虫は幼虫の時は身を守る為に体の内で毒を作ってるけど、成虫になってしまえば必要なくなって中和されるから。それまで」
「分かった。伝える。だが、畑の規模を縮小してしまうとそこの農民の収穫量が減るな。他に何か斡旋してどうにか蓄えを増やしてやらないと」
「南の畑は今季豊作で人手が足りなくなりそうだから。そちらの手伝いに行って貰うのはどうかな?」
「提案してみる」
神官は立ち上がり、少年の頬に触れる。
「すぐに戻る」
「うん」
仮眠室はすっかり少年の部屋になっていた。隣に座っていた神官のいなくなった場所に横になる。寝足りないと言わんばかりに少年は目を閉じる。
*
「神官補佐」
「はい」
「北の農民を呼んでくれ」
「何かありましたか?」
「《世界》から宣託が下った」
「すぐに呼んでまいります」
*
呼ばれた北の農民家族は何だろうと不安そうな顔をする。毒虫の話をすると不安が的中したと言わんばかりに愕然とする。神官が毒虫の住み着いた畑の一角を封鎖する策を伝えると年嵩のいった人の良さそうな農夫は素直に何度も頷いた。娘だろうか、おどおどした農夫とは打って変わって年頃の女性が神官の言葉をしっかりとメモに取る。農夫は収穫が減ることを不安そうに語り、それに対しても神官は《世界》の言葉を伝えていく。
「南か。あまり遣り取りしたことはないな……」
「こちらから話は付けておく」
神官の言葉に農夫は恐縮して何度も頭を下げた。
後、神官補佐から南の農民家族に無事、北の農民家族から娘がひとり、合流した報告が上がる。
*
閉鎖した畑ですくすくと育った毒虫が無事成虫になり巣立った頃、その知らせは突如やってくる。
「神官様! この度、我が娘の婚礼が決まりました!」
「は?」
北の農民だった。毒虫の話をした時、頼りなさげだった農夫の顔が今や喜色に満ちて浮かれている。
「はい! 相手は南の農民の次男坊です。良縁に導いてくださった《世界》様と神官様に感謝致します! それでですね。是非! おふたりを式にご招待したいと思いまして!」
「おお。おめでとう!」
「素晴らしいことだわ」
「お幸せに!」
「ありがとう! ありがとう! 皆さん!」
「……」
「……」
相談室に集まっていた民衆が祝いの言葉を投げ掛ける中、神官と神官補佐だけが置いてきぼりを食らう。
「婚礼? なんでそうなったんだ?」
「出会いがあったからでしょう」
神官補佐の言葉に「まあ、そうだが」と神官はとりあえず頷く。
「まあ。喜ばしいことだな」
「そうですね」
「分かった。《世界》にも伝えておく。式の日取りは決まってるのか?」
「今こそ両想いなんだが初めて顔を合わせた時は酷くお互いのことを毛嫌いしていたらしく……あ! はい!?」
娘ののろけ話を自分のことのように語っていた農夫が神官を振り返る。
「ええっと、日取り、日取りですね。えっと、ああ、そうだ! それも《世界》様にお尋ねしようと思っていまして。まだ、決まっていないのです」
「そうか。では、それも《世界》に伝えておく。良き日が出たらこちらから知らせよう」
「ありがとうございます!」
*
神官から話を聞いて少年は目を丸くする。
「婚礼……」
「ああ。お前はそこまで見えてたのか?」
「まさか! 別に僕は未来が見えてる訳じゃないんだから。世界の動向をいち早く察知できるだけ。雲はこれからあっちに行くから逆算して何日後には雨だな、とか。大地の底で揺れが起きたら、逆算してその波が何日後に地上に到達するな、とか。なんとなく分かるだけだ」
「そうか」
「それにしても婚礼か。まあ、喜ばしいことだよね」
「ああ。そうだな」
「折角呼んでくれるんだし。行こうかな」
「そうだな」
「僕がいい日を決めなくちゃいけないのか。責任重大だなあ」
「気楽に行け。午前が小雨で午後が晴れの日がここでは婚礼にいい日だと伝えられてる」
「……難しくない? てか、なんで?」
「あっちの諺にもあるだろう。雨降って地固まる」
「その諺、悪いことが起こったけど前よりいい状態になったっていう時に使う諺だからね」
「結婚もそんなもんだろう」
「……。まあ、いいや。分かった。午前が小雨で午後が晴れの日ね」
「ああ」
*
そうして、その日はやって来る。
南の農民の次男坊が北の農民に婿入りするということで、婚礼は北の農民の農園で行われる。
馬車から《世界》と神官が降りると歓声が沸き起こる。
「すごい盛り上がり」
「そうだな。盛り上がってるな」
「《世界》様!」
「神官様!」
正装に身を包んだ男女が少年と神官に駆け寄る。目の前にやってきた本日の主役、新郎新婦のふたりに少年はお祝いの言葉を送る。
「本日はおめでとうございます。この良き日に招待してくださり、ありがとうございます」
「!」
新婦が涙ぐむ。
「とんでもございません。感謝の言葉は私が《世界》様に送る言葉です。《世界》様。この良き出会いに導いてくださったこと、本当に感謝致します」
跪こうとする新婦に少年は慌てる。
「わあ! 待って待って! ドレスが汚れちゃう! 少しとはいえ、朝に雨が降ったんだからっ」
少年と新婦はお互いの顔を見合って笑い出す。
「はい。《世界》様。良き日を選んで頂きました」
新郎新婦とその家族、招待客が家の裏に回れば、そこには広大な大地が広がっている。その中にポツンと一脚の机が置かれ、そこで新郎新婦は永遠の愛を誓う。
式は大いに盛り上がった。
お酒も少しばかり嗜んで、少年と神官は帰りの馬車の中で微睡む。
「幸せそうだったね」
「そうだな」
お互いの手を握り合って、その存在を確かめ合いながらふたりは心地良い気分で目蓋を閉じる。霊廟のようなあの真っ白な建物に帰る頃にはすっかり日は沈み、満天の星が輝いていた。
了
『小休憩』2番目の物語 利糸(Yoriito) @091120_Yoriito
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