5
外の景色には目もくれず、未だ窓際の席を獲得出来ていた俺はノートにペンを走らせていた。
「うっまぁ~!」
その声に気が付けば隣に立っていた莉星。
「ほんとだぁ。すっご~!」
更に莉星と一緒に居た流華がそれに反応した。
「ん? どうしたの?」
すると今度は前の席に座っていた夏樹が騒ぐ二人へ顔を向けた。
「なに? なに?」
そうなれば夏樹とおしゃべりをしていた真人が食い付くのはもはや必然。
「零がすっげー上手い絵描いてんだよ」
莉星が指差した手元のノート端に描いていたのは、ビル群とその間から見える青空。
俺は四人の会話を聞きながら最後にそこへおめかしするように掛かった虹を描いた。一応、授業中に気が付けば描き始めていた落書きは完成。
自然と零れる溜息と共に投げるようにシャーペンをノートの上に置き顔を上げてみると、何か言いたげに笑みを浮かべる夏樹と目が合った。
「あの時と同じ顔して描いてたね」
「あぁー。あの時なぁ」
「莉星ちゃんと分かって言ってるの?」
「いや。全く分からん」
一瞬その言葉の場面は俺にも分からなかったが、すぐに脳裏には答えが浮かび上がってきた。溶けてしまいそうな気温とダイヤモンドの煌めき、少し臭くも感じる特有の匂いに人と水の燥ぐ音。
最近、答えが見つからないあの自問を考えなくなった。それは分からないと放棄するようだったが、不思議とあっさり忘れ去り気が付けば――また絵を描き始める前と似た心模様になっていた。似てはいるがそれは決して同じではない。
でも授業中や勉強中ふとした瞬間、無意識のうち走り出したペンは同じように落書きをしていた。誰かに見せる訳でもないただノートを閉じられ忘れ去られるだけの絵。
俺はその日、家に帰ると部屋の机に座り取り出した液タブと対面していた。久しぶりに見るその顔は相変わらずで俺を迎え入れる。そしてペンを握り画面を走らせた。ちゃんとした構成は無くただ思いつくままに。
双眸を突き刺す画面の光、ペンが画面を叩く音、動く手と脳内でするイメージ。だがその途中、液タブで絵を描くと言う行為の細かな要素が脳を刺激し思い出したくないリアルな感覚がひょっこりと顔を見せた。数年前と少し前のトラウマのようなあの感覚。確かに小鳥川さんと星降さんと比べた俺は落胆する必要がないようにも感じた。しかしあの瞬間に体験したあの感覚は嫌と言うほど本物で、あの絶望は嫌と言うほど黯く深かった。必要は無くとももう体験したあれは忘れられない。
その記憶に手も止まり俺はそっと閉じた。
でも同時にあれは紛れも無い過去の出来事であり、バートランド・ラッセルの言葉が本当なら存在すらしていない。もしそうなら、そんなものに囚われるのはあまりにも馬鹿げてる。とは言いつつもこうして無理矢理あの感覚を放棄しようとする事が御都合主義な考え方だという事はわざわざ確認するまでも無い。まぁでも別に誰かに害が及ぶわけでもないし、世の中に溢れ返った不安定なモノを持ち出し都合よく信じてしまうのも悪くないのかもしれない。少なくともそうやって片付けられる程には俺の中で変化はあったという事だ。
ふっ、と一人笑みを零した俺はゆっくりと閉じていた目を開けた。
そして頭に残ったものを他所に再度ペンを走らせ始めた。
その日の放課後、俺達はみんなで遊びに行こうと校門へと向かっていた訳だが、その途中で俺は忘れていた提出物の事を思い出した。その所為で愚痴を言われながらもわざわざ教室へと戻っていた。
「ったく。零くーん。こうのはちゃんと提出しなきゃダメでしょー」
「そう言う莉星は出したの?」
「出したに決まってるだろ。神のみぞ知るって書いてな」
「それでよく呼び出されないよね」
「どーせ先生ももう諦めてるんでしょ」
そんな会話を聞きつつ、何で待ってないでついてきたんだよなんて思いながら一人教室へと入った。
机の上に残された一枚の紙。ずっと出してなかったがようやくだ。もしかしたら卒業する頃にはまた変わってるかもしれないが今はこれでいい。自信も確信も何もないがこれ以外に思いつかないし。でもほとんどの人がそうだと思うし、結局は他と変わらない。
そこはずっと空欄で不透明なままだった。無数に伸びた道。靄がかかったように先が見えなくてどこに進めばいいかも分からなかった。適当。そう言えばそうかもしれないが、深く考えるのを止めただ今だけの気持ちを文字にしたらそれは簡単に埋まった。
『進路希望調査』
そう書かれた一枚の紙へ手を伸ばすと卓上を滑らせ手に取った。
俺はやっとその空白に未来を描いたのだ。不確定で不安定。若気の至りのようなものかもしれないが、今はこれで良い。
泥中の𩵋 佐武ろく @satake_roku
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