最終章
1
その日、俺は休みだったが燈さんに呼ばれカフェへ来ていた。
「あれ?」
てっきり急だけどシフトに入ってほしいという意味かと思っていた、がドアに掛かった表示は『clause』になっており俺は小首を傾げた。その後、ドアに手を伸ばし店内へ。
当然ながら店内はガラガラでカウンターに男女が一人ずつとカウンター内で椅子に座る燈さんがいるだけ。
「これクローズになってますけどいいんですか?」
ドアの開く音にこっちを向いた燈さんへ挨拶よりも先にそう尋ねてみる。
「大丈夫。大丈夫。とりあえず座りなさい」
「はぃ」
どうして呼ばれたのか分からないまま、俺は言われた通りカウンター席に腰を下ろした。
「珈琲でいい?」
「はい」
いつも通りの手際で珈琲を淹れ始める燈さん。
「その二人はアタシの友達。もしかしたらあんたも知ってるかもね」
手元の作業に視線を落としながら燈さんは隣に座る二人が誰なのかを教えてくれた。その言葉に俺が顔を横へ向けると既にこっちを見ていた二人と目が合う。燈さんと気が合いそうな凛とした女性とその隣にはシンプルな眼鏡を掛けたもの静かそうな男性。改めてその顔を見たが、どちらとも会うのは初めてだ。
「君が燈の言ってた子かぁ。――私は、小鳥川なな」
「僕は
軽く手を上げる小鳥川さんとその奥で手を軽く振る星降さん。
星降一、その特徴的な名前にどこか引っ掛かりを覚えはしたが気の所為な気もする。もどかしいような感覚に襲われながらも俺は会釈で返した。
「あれ? 知らない?」
そうアイスコーヒーを俺の目の前へ置きながら燈さんは少し意外と言った表情を浮かべていた。その言葉にもしかしたら一度会った事があるのか? と自問しつつもう一度二人の顔を見遣る。
するとさっきの引っ掛かりが気の所為じゃない事に気が付いた。だが同時にそれを疑う気持ちと疑問が湧き上がる。
「あっ! もしかして……御伽の住み人って漫画の?」
「知ってくれてるなんて嬉しいね」
「いや、でも……。なんでそんな人が」
「おっ! さっすが一。やっぱ漫画って強いねぇ。で? 私は?」
まだ驚き収まらぬ俺へ小鳥川さんは自分で自分を指差しながらそう尋ねてきたが、いくら記憶を絞ってもその名前は一滴も出てこなかった。
「いや。すみません……。もしかして漫画家さんですか?」
「えー! うっそー! 空を泳ぐ夢鯨と僕らの夢とか知らない? 青空に溶けゆく旋律とかさ」
俺は申し訳なさに少し表情を歪ませながら首を傾げた。
「これはショックだねぇ」
「高校生なんてそんなもんでしょ。アタシだって今もだけどほとんど読まないし」
フォローするように燈さんがそんな事を言ったが、俺は未だ彼女が一体誰なのか分からず少しモヤモヤとしていた。
「小鳥川なな! 小説家。ちゃんと覚えておくように」
するとそんな俺へ指を差しながら小鳥川さんは力強く答えを教えてくれた。小説家だったのか。申し訳ないが小説はほとんど読まない。
「はい……。すみません」
俺は心咎めを感じながら逃げるようにアイスコーヒーを一口。
「高校生相手にそんなムキになる?」
「これはこれは、名高い漫画家さんの星降一先生。さぞご余裕がおありで」
「止めてよ」
「まぁ私より上なのは人気だけじゃなくてイカサマの腕もだけどねぇ」
「いや、あれは違うじゃん。それにちゃんと無しにしたし」
「ちょっと。あんた達の痴話喧嘩を聞くために呼んだんじゃないんだけど?」
口の中で甘さとまろやかさとほんのり苦みが完璧な旋律を奏でている間に、隣で始まった喧嘩と言うには余りにも穏やかな会話を燈さんは呆れた様子で遮った。にしても俺は一体なんで呼ばれたんだ?
「まっ、とにかくこの二人はアタシの幼馴染ってやつで今はプロの漫画家と小説家ってわけ。しかも高校の時に付き合い始めてそのまま結婚しやがった奴らでもある」
俺の方を向いた燈さんはまとめるようにそう説明をした。
でも肝心なとこは分からないまま。
「それで俺は何で呼ばれたんですか?」
「というかむしろこの二人をあんたの為に呼んだのよ」
「俺の為ですか?」
「そう。この二人も別に圧倒的な才能であっという間にプロって訳じゃないし」
「私は大学から書き始めて、一は高二だっけ?」
「高二の夏ぐらいかな」
「もしかしたら何か参考になる事があるかもしれないからね。まぁ、ただの雑談だと思って話でもしなさい」
だからわざわざお店も閉めてくれてるのか。この前といい、今の燈さんへはこの言葉しかない。
「ありがとうございます」
「いやぁ~。でも何だか懐かしい気もするわ。デビューするまでの時期って」
「まぁ色々あったからね」
「君は賞とかにも結構応募とかしてたわけ?」
「はい。中学の頃とかは出来る限り応募してました。全然ダメでしたけど」
改めて思い出してみても結果は散々。思わず苦笑いが零れた。
「私も大学の頃はとにかく応募しまくってたなぁ。ネットにも投稿してたし。でも笑っちゃうくらい音沙汰無しだったけど」
「お二人のデビューっていつだったんですか?」
「私は二十六の年末」
「僕は二十五だね」
「一とは大学の頃から同棲してて、卒業後に私は出版会社で働きながら小説書いてて、一はフリーでイラストレーターしながら漫画描いてたよね。デビューしてどっちも辞めたけど。まぁでも、あの頃の金銭面を支えてたのは八~九割私だったね」
「それは言い過ぎでしょ。いっても七だって。それにその代わり家の事は全部僕がやってたし」
「君は恋人いないの?」
すると突然、小鳥川さんからそんなパスが飛んできた。
「――いないですけど」
「彼女だろうが彼氏だろうが誰だろうが、そう言う夢に向かう自分を支えてくれる人はいた方が良いよ」
小鳥川さんはそう言って隣の星降さんの肩へ手を回した。
「経験者が語るんだから間違いない。それに何だかんだ大事なとこで背中を押してくれるし安らげるからね」
「でもあんた達、大学卒業後って結構、喧嘩してたよね。それでななは、よくアタシの家に逃げて来てたし」
「お互い辛い時期だったし、それでイラついて変に当たったりしちゃってたからね」
「後になってバカなことしたなって後悔するんだけど」
俺はその会話を聞きながら思い当たる節を思い出していた。夏樹へそうやって関係ないのに八つ当たりしてしまった時の事を。
「でもそうやって余裕をなくしちゃうぐらい、やってる事に実りの無い時期っていうのはしんどいんだよね。特にそれが続けば続く程」
まるで「そうでしょ?」と言うように小鳥川さんは俺の方を見た。
この二人は俺なんかとは比べ物にならないぐらい長い間、その時期に耐えて来たんだろう。俺なんてほんの二~三年で耐えられなくなったのに。しかも少し期間を置いて再開してもたった一回にすら耐えられず逃げ出した。
多分、こうして成功した二人と俺の違いのひとつはそこなんだと思う。結局、俺は全員へ平等にくる我慢の時期を堪え切れなかった心と意思の弱い奴だったって事か。
「もしかして今、僕らと自分を比べちゃってる?」
すると表情にでも出てしまっていたのか、星降さんが図星を突いてきた。
「あぁーあ。いけないんだー。まだまだ青いね」
冗談めいた口調の小鳥川さんは最後に昔の自分でも見るような表情を浮かべた。
「でも仕方ないと言えばそうだよね。あの人は自分よりどうだとか、いかに自分が劣ってるかを言い訳みたいに考えちゃうのってさ。僕もよくしちゃってたし」
「なんかちょっと自傷行為みたいじゃない? あれって」
「まぁそうかもね。でも結局、そうやってる間って何も進んでないし、単なる時間の無駄なんだよね」
「あぁー確かに。あとくだらない優越感とかもね。ていうか結局のとこ、作品に関係する事をしてる以外の時間って全部無駄。作品に取り組んでるかその為に取り込んでる事か、もしくは良い作品の為の気分転換とか休憩とか。それ以外は価値無し」
「もちろん。夢を追うって限定的な視点で見たらだからね。当然、この無駄の中にも必要な事はあるかもしれないし。無駄だって別に絶対しちゃいけないって訳じゃない」
星降さんは補足するように説明した。
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