6

「実は昔、バンドやってたんだよね。アタシ」


 記憶の世界でそのまま懐古の情を駆り立てるような想い出でも見つかったのか、燈さんの発言はまたもや急なものだった。


「バンドですか?」

「そう。ギターしてた」

「へぇ~」


 でも別にそこまで意外じゃなかったのは、何となくギターを弾いている姿が想像出来たからだろう。


「高校の時からギターはちょくちょくやってたんだけど、バンド組んだのは大学ん時。それから卒業してもやってて、アタシたち本気でデビューしようとしてたんだよね。アタシ、昔はミュージシャン目指してたんだ。実はね」


 燈さんはそう言ってどこか面映ゆそうな懐古の笑みを浮かべた。

 それは初めて聞く話だった。バンドをしていた事も、ミュージシャンという夢を持っていたという事も。


「でも今はカフェをやってる訳ですからそれって……」

「そう。ただの夢で終わった。楽しかったは楽しかったけど、正直言って今思い出しても辛いことだらけだったわね。知り合いしかいないライブに深夜の眠気を我慢して作った曲、理想とは似ても似つかない現実。自分達では良いのが出来たって騒いでたのに実際、ネットにアップしたら笑っちゃうぐらい誰も聞かなくて」


 そう話しながら燈さんは思い出し笑いを零した。


「はぁー。でも辛いときは本当に辛かったなぁ」


 笑みの後、溜息を挟み呟くと煙草を咥えながら上がった顔が俺を見遣る。


「だからアンタの気持ちも分からなくはないんだよね。音楽と絵。やってる事は違くてもね」


 言葉と共に揺れる煙草から煙を吸い、吐き出す間、俺は燈さんを見つめていた。もし他の誰かにお前の気持ちが分かると言われていたら、分かる訳ないって言ってたかもしれない。でもその話の後に言われたら少なくともそう簡単に否定する事は出来なかった。燈さんもあの気持ちを味わったのかと考えてしまう。


「悔しいよね。苦しいし、辛いよね。悪くないのに何でって、あんなに頑張ったのに何でって――思うよね」


 俺は気が付けばベランダに出ていた。痛い程にその言葉が心へ突き刺さったから。その言葉に引かれるように燈さんの前へ足を進めていた。


「自分では一生懸命以上にやって良い作品が出来たって、これならいけるかもしれないって思えてたのに実際に投稿してみたら、応募してみたら全然駄目で。それが重なっていくともう自分が信じられ無くなるですよね」

「分かるよ。そうなってくるとこれいいのかって。またどうせ駄目なんじゃないかってね」

「そうやって余裕が無くなっていって、直接言う訳じゃないにしろ他の作品に当たったりする自分が嫌だったんですよね。それで余計に落ち込んで」


 話しているだけでその時の自分に対する落胆や嫌悪感を思い出してしまいながら俺は、燈さんの隣に行くと欄干へ腕を乗せ凭れながらちっぽけな夜景をただ瞳に映した。暗闇を照らす無数の光が寂しく見えたのはきっと俺の心がそうさせたからだろう。

 その隣で同じように景色へ顔を向けた燈さんの手にはもう煙草は無かった。俺が隣に来たから気を遣って消してくれたんだろう。でもその残り香は微かに鼻腔へ触れていた。


「他のメンバーに当たったりもして、喧嘩して。みっともないんだよね。そういう自分ってさ。ほんと惨めで、ダサくて。――それにそういう時って本当にいい作品とか聞いても、自分のは結局まだまだなんだなって悪い捉え方しちゃうし、全てが悪い方向に向いて良い事なんて何も無いんだよ」

「昔描いて時、自分はどれだけやっても全然見てもらえなかったのに――なのに自分よりも短い期間しか経ってない人が、これだけやってこれたのもみんなのおかげです。全然まだまだだけどこれからも頑張っていきます! みたいな事言ってたんですよね。それ見て、何言ってるんだこの人はって思っちゃった事があったんですよ」

「イラついた?」

「いや。悲しくなりました。落ち込んだっていうのかな。その人よりやってるのに、その人の全然まだまだにすら手が届いてないってどうなんだろうって思いましたね。その時、ちょっともう已めよっかなとも」

「しかもその作品がそこまで良いモノに見えなかったらもっと最悪なんだよね」


 ふふっ、と燈さんは鼻で笑った。それは過去の自分へ向けたものだったんだろうか、嘲笑的で寂しげで呆れたような笑いに俺は聞こえた。


「誰にも見てもらえないのに作り続けるって辛いよね。自分の頑張りが無かったことにされるみたいで。時間が経てば経つ程、続ければ続ける程、結果が出ないって事が重く圧し掛かってくる。辛さは心の奥深くまでやってきて、苦しみが絡みついて放してくれない」

「なんか溺れてるみたいですよね。苦しみの中で必死に藻掻いて水面へ上がろうとするのに体はどんどん沈んでいって……」

「段々と前へ進めなくなって、それでも前へ進もうとしてる内はまだ大丈夫。でも沈み始めたらただただそう言う辛く苦しい気持ちに蝕まれていくだけって感じ。確かに結果が全てじゃないけど、結果は大部分を占めてる。結局、大なり小なり結果が無いと次にすら繋がらないからね」


 苦痛、苦悩、自己嫌悪、絶望、ネガティブに無気力……。抱える黯く重いモノが多くなればなるほど、体はどんどん沈んでいく。内側から蝕まれ、深く、深く、沈めばもう光すら見えなくなる。


「燈さんもそれで已めちゃったんですか?」

「いや、アタシはもっと良い終わり方した。已めた後、あんたみたいにずっと引きずってた訳じゃないしむしろすぐにスッキリと想い出として片付けられたからね」


 俺とは違ってすぐに切り替えて燈さんは強いんだな。そう思った。同時にずっとそういう気持ちに纏わり付かれている自分が少し情けなくさえ思えた。


「アタシは諦めるって決心してから已めたけど、あんたは違うみたいね。口では已めるって言ってるけど、心は納得してないみたい。引きずっちゃってる。忘れられず、立ち直れもしない。中途半端に悪く残ってる所為で次にもいけないし。――でもその気持ちも分かるよ。実際、アタシもそんな時あったし」

「その時はどうしたんですか?」

「その時は、他のメンバーが支えてくれた」


 その答えに俺は思わず俯いた。


「そうなんですね。でも俺は昔も今もそう言う絵描き仲間とかもいなくて一人でだし、そういう人は――」


 すると俺の言葉を遮るように燈さんは少し強めに肩を組んできた。その勢いに引かれ体が燈さんの方へ寄る。


「何言ってんのよ。アタシはたまたまバンドっていうグループの一人だったけど、あんたはもうちょっと周りを見てみなさいって」


 俺は突然肩に手が回った事に対しての喫驚が落ち着いた顔で燈さんを見上げた。頼り甲斐のある笑みを浮かべたその顔と目が合った時点で何が言いたいのかはありがたい程に伝わっていた。


「それともアタシじゃ物足りないっての?」

「いや、そう言う訳じゃ……」

「クサイ台詞かもしれないけど、あんたは一人じゃない。アタシだってついてる。それに他にもいるでしょ。お願いした訳でもないのに落ち込んで殻に籠ってる今のあんたをどうにかしようとしてくれる連中がさ」


 一人一人、名前を言われるまでも無い。脳裏にはあの四人が浮かんでいた。今思えば、最近やたら遊びに誘ってきてたのは俺がコンクールに落選して落ち込んでたからか。

 ここ最近、自分の事で精一杯だった所為でその事にすら気付けなかった。でも改めて考えてみれば明らかだし、そんな好意の行為を不愛想に断り無下にしてたのが申し訳なく思えてきた。


「確かにこれはあんた個人の事かもしれないけど、いいんだよ――頼っても。まずは嫌な事全部、一時的にでも忘れて心の呼吸を整えてからどうするか決めればいい。今のあんたは諦めたんじゃなくて多分、苦しみから辛い気持ちから逃げてるだけなんだと思う。だから今決断するんじゃなくて少し距離を置いてもいいからまた落ち着いてから先の事は考えなって」


 言葉の後、燈さんの肩に回っていた手が俺の頭へ少し乱暴に乗せられた。

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