4
梅雨時のように一向に晴れる気配の無い心模様を内に隠したまま、翌日俺はカウンター越しに立っていた。
「零。お前、水曜バイト?」
目の前に座る莉星はグラスを片手にそんな質問をしてきた。
「いや」
「じゃあじゃあ! 放課後みんなで遊園地行かない?」
それは前のめりになりなる隣の流華の提案だ。
「いや。俺はいーや」
「えー! なんで?」
「気分じゃない」
「水曜にはそういう気分になってるかもしれないじゃん」
「いーって。お前らで行ってこいよ」
「そんじゃ、海ってのはどーだ?」
若干のドヤ顔が微かに鼻に付く莉星は別の場所を提示してきたが、遊園地が嫌だから断ってる訳じゃない。
「パス」
「なんだよー。最近、悉く誘いを断りやがってぇ」
駄々を捏ねる子どものような口調だけじゃなく露骨な不満顔を見せる莉星。
「それはお前らがいつも以上に誘ってくるからそー感じてるだけだっての」
それにしても本当に最近はいつにも増して遊びの誘いが多い気がする。
「あっ! じゃあ映画は? 零、前に見たいやつあるって言ってたじゃん。それか誰かの家で映画鑑賞とか」
「だから場所じゃなくて単に行かねーって」
ったく。ムッと頬を膨らませ拗ねたような不満一杯の表情を見せる流華を見ながら心の中でそう呟いた。
「そー言えば。今日は女の子諸君は一緒じゃないね」
「真人は用事があるとか」
「夏樹は分かんないけど今日はいいって言ってましたよー」
「誰かさんみたいになぁ」
嫌味のつもりか莉星は横目で俺を見た。
だがその視線は俺にとっては別の意味に思え、つい顔を逸らし俯かせた。
そしてそれはその日のバイトが終わり帰ろうとしてた時だった。
「はい。ちょっと待った」
裏から着替えを済ませ出て来ると、目の前に腕が一本伸び通行止めにされた。
「何ですか? もうやる事は全部やりましたよ」
「何の為にいつもより早めに店閉めたと思ってんのよ」
「さぁ。燈さんがそういう気分だったからじゃないんですか?」
チッチッ、と燈さんはこれ見よがしに指を振った。
「飯行くわよ」
「えぇー。悪いですけど、俺はいいですよ」
「聞こえなかったの? 行くかどうかは訊いてない。行くわよ」
「いやでも俺、今手持ち無いんで」
「これぐらい奢ってあげるって」
どうやら俺に拒否権はないらしい。
「分かりましたよ」
「それじゃあちょっと待っててー」
それから俺は待っている間に親へ連絡だけ入れて置き、燈さんに連れられご飯を食べに向かった。
「ぷはぁー! やっぱ仕事終わりの一杯は格別だねぇ。この良さをまだ味わえないあんたが可哀想に思えて来るよ」
「別にその良さを知らないんでガッカリもないですけどね。にしてもご飯って居酒屋ですか?」
てっきり焼肉だとか回転寿司だとかハンバーグやトンカツみたいな場所に行くかと思っていたが連れられてきたのは居酒屋だった。まぁ、燈さんらしいと言えばそうなのかもしれない。
「何? 不満かね? 居酒屋はいいぞー。何でもあるし、色んなの食べられるし。それにお酒もね」
そう言って冷えたジョッキを持ち上げるとまた大きく傾けた。
「まぁいいですけど」
もちろん俺はウーロン茶だ。
「食べたいものがあったらジャンジャン頼みな。なんだってあんたは奢ってもらえるんだからねー」
「じゃあ遠慮なく」
「食べ盛り、鱈腹食えよ」
それから代わり替わりテーブルへと並ぶ料理を食べながら燈さんとは他愛ない話をしていた。その話の中で知った事だが、燈さんは結構バンドに詳しいらしい。パープルスイングやフォーリンヘブン、隣人突破や星雲遊泳など国内から海外のバンドまで色々と。
「青の感情って曲がめっちゃ良くてさ」
色々なバンドの事を語りながらも(お酒を呑んでいるからだろう)その言葉を何度も繰り返していた。でもそれだけいい曲なんだと言う事は伝わった(俺は聴いた事ないが)。
それ以外にも色々と話しをしたが何を話したかと後から訊かれれば多分、その多くは答えられないだろう。でもその時間が楽しかったかと訊かれれば、迷いなくそうだと答えられる程には燈さんとのご飯は楽しかった。それにここ最近、沈みに沈みぐちゃぐちゃになっていた俺にとっていい気分転換にもなったし。
そして燈さんのグラスがまるで砂時計のように無くなっては戻ってを繰り返す中、俺の胃袋は徐々に満足で満たされお互い食べる手が止まると程なくして店を後にした。
「いやぁ。美味しかった。お酒」
「ご馳走様です」
「はいよ。にしても少し呑み足りないわね」
「まだ呑むんですか?」
さっきも中々の量を呑んでいたように思えるが一体どれだけ呑むつもりなんだろうか。
「あったり前でしょ。そんな一件で終わる訳ないじゃない。これが大人の付き合いってやつよ」
そう言って雑に肩を組む燈さんから漂ってきたお酒の匂いが俺の鼻を突いた。
「大人の付き合いって俺、高校生なんですけど? 未成年をそんな連れ回さないでもらえます?」
「ちゃんと親には言ってあるんでしょ? バイト先の優しい店長さんにご馳走になるって」
「優しいは言ってないですけど、連絡はしてます」
「なら大丈夫、大丈夫。それにあんたの親には一回会った事あるし」
「会った事あるってうちの親がたまたまバイト中に店へ来ただけじゃないですか」
「会ってんじゃん。話しもしたしサービスもしたし、信頼はバッチリ」
「今の姿見たらどうですかね」
「うるさい。さぁ、次行くわよー」
俺はまだ十八にすらならぬうちに、全国の上司に連れ回される部下の気持ちを味わっていた。いや、心底嫌がってる訳じゃないという違いを見ればこれはまだ垣間見ただけなのかもしれない。
そして燈さんに連れられ俺が向かったのは次のお店。ではなく、燈さんの家だった。途中スーパーに寄って色々と買ったかと思えば、今は玄関を上がり廊下を歩いている。
「他のお店行くんじゃないんですか?」
「最初はそうしようかと思ったけど、やっぱりあまり高校生を連れて回るのはね。だから宅飲みってことで」
「それなら俺は帰してくれてもいいじゃないですか?」
「寂しいこと言うなよ。ていうか何? そんなに帰りたいわけ?」
「いや、その言い方はちょっと……」
「ほら、座った座った」
先にソファへ腰掛けた燈さんは隣を叩きながらそう言いい、俺は荷物を適当な場所へ置くと横に腰を下ろした。
そして燈さんはビールの、俺はソーダの缶を開け揃って気持ちの良い音を部屋へ響かせた。軽く乾杯しビール宛ら一口。隣で燈さんはCMのような声を出した。
「外もいいけど、やっぱ宅飲みだね」
「何か変わります?」
「うん。全然っ違う。楽」
「なるほど」
気持ち的な違いだったのか。
「思う存分呑んで、そのまま適用に寝れるっていうのが最高なんだよねー」
そう言ってソファへと深く体を沈める燈さん。
「やっぱ帰らなくていいっていうのがね。アタシ外で飲んだ後の帰り道が一番嫌いなんだよね。面倒だし」
そんな分かるような分からないような、いつかは経験するかもしれない話を聞きながら俺もソファへ全身を預けた。
「まぁ、俺はこれから帰る必要ありますけどね」
「嫌味か? ヤな奴だなぁ」
ちょっとした意地悪のつもりで顔を向けながらそんな事を口にすると、こっちを向いた燈さんは眉を顰めながらそう返してきた。
「――じゃあ面倒なら泊まってく?」
すると燈さんは全ての問題を解決する提案かのようにそんな事を言い出した。
だがやっぱりこの人は酔っぱらっているようだ。
「いや。俺、明日学校なんですけど?」
「明日?」
「はい。明日月曜ですよ? 大丈夫ですか?」
しかし燈さんはニヤリとあまり吉兆とは程遠い笑みを浮かべた。
「なに? あんたお酒一滴も呑んでないのに酔ってるわけ? それとも当てられたか?」
「どういう意味ですか?」
俺は何故そんな勝ち誇った笑みを浮かべそんな事を言えるのかが全く分からなかった。
「だって明日は祝日じゃん。大丈夫?」
「え?」
そう言われ俺は半信半疑どころかほとんど疑いながらもスマホを取り出し、カレンダーを確認した。すると燈さんの言う通り確かに明日は赤く染まっていた。
「ほんとだ。知らなった……」
吃驚としながら不意に訪れた明日も休みと言う朗報に嬉しさが込み上げてくる。そんな俺の隣で勝利を肴にするように燈さんは手に持っていたビールを呷っていた。
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