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 本気で真剣に絵を描くことに取り組んでいたあの頃。コンクールひとつひとつ、投稿作品ひとつひとつ全てが全力だった。


「よし。これは結構いいな」


 人気のにの字さえなかった俺は、毎回これで何かが変わるかもしれないと本気で思っていた。この絵がバズって、この絵がコンクールを取って。脳内だけで描き続けていた夢と言う絵が飛び出しその色鮮やかさで現実を染め上げてくれると。そしてまた白紙に戻ったそこへ俺は新たな夢を描く。


「はぁー。これも駄目なのか……」


 だけどそんな俺を嘲笑するように現実は無情にも打ちのめしてくる。それはただの絵であり妄想であり続けた。幾つものコンクールに敗れ、投稿も芽すら出ない。


「何でこれが……。俺のも最高じゃないけど悪くないだろ」


 トップレベルというにはほど遠いが、こんなにも反応がない作品じゃない。何度もそう思い苛立ちの溜息を吐き出す度に自分と世間の感覚が酷くズレているんじゃないかとさえ思った。一枚また一枚と絵を描き上げていくにつれ、夢と現実の差が開いていく。近づこうとしているはずなのに遠ざかっているような気がした。時間を掛け自分の中の最高傑作を描き上げようとすればするほど――苦労して完成さる程、無駄な時間だったように感じる。あれだけ苦悩して頑張り描き上げたのにも関わらず結果は冷酷で呆気ないものだ。まるで蚊を叩くように容易く弾かれてしまう。

 それは夢を追い絵を描き続ける俺という存在を否定されているようで――でもペンを離さないと言うように拳を握り締め、弱音を押し殺すように歯を食いしばった。だが苦しみは募るばかり。


「何でこんなのは伸びるんだよ」


 苦悩に余裕が喰われていけば醜い自分が周囲に唾を吐きかける。無意味で意味も価値も無い、何も変えられないと分かっているのにも関わらず。


「あぁ。まただ。また落ちた。――クッソ!」


 焦燥と苛立ちは内側から首を締め付け、笑える程に出ない結果にやる気さえ吸い呑まれていく。自分の才能が無い事を呪ったところで気休めにすらならず更に鬱憤が山を成していくだけ。皮肉にも夢の為に身を削ることで夢へと進む気力と意欲が蒸発していく。夢の為にそうしていた行動が、夢へ向かうこの身を引き留めようとしていた。

 だけど愚かで惨めにそれでも進もうとしていた俺を突き動かしていたのは一体何だったんだろうか。どうして俺はあんなにも自ら辛苦の中に身を置き続けていたのだろう。最早、楽しさより辛苦の方が勝っていたはずなのに。

 でもそうやって折れず続けていた俺だったが、結局最後は呑み込まれてしまった。必死に足掻き前進もうとしていたが、重く体に纏わりつくそれは鉛の様に俺を引きずり込もうとする。行動一つ一つに酷く体力を使い疲労が絶えず溜まっていく。それでも前へ。そう死物狂いで体を動かすが、段々と沈み始め――沈んでいった。一切の抵抗をせず夢を描くスペースすらない黯に包み込まれていくのは、不思議と気楽だった。全身の力が抜け骨身に染みる冷たさとほんのり流れる温かさ、周囲はずっと見ていた光さえ絶つ黯然な世界が広がっている。それでもこれ以上の辛苦はない。

 俺は奥底へと呑み込まれていく最中で努力なんて無い事を知った。努力すれば、努力しないと。宝石の煌びやかさのようなモノとして、とても素晴らしく価値あるモノとして語られるその言葉。

 だが実際はどうだろうか。どれくらいやれば努力に値するのかすら分からない。自分ではやっているつもりでも結果が出なければ努力が足りないだの方向性が違うだの言われるだけ。

 きっと努力と言うのはまやかしだ。輝かしい努力が成功へ導くんじゃない。成功した者のやってきた事が輝かしい努力として崇められるだけだ。これ見よがしに煌めく都合の良い言葉に過ぎない――努力なんて。だってあれだけ苦悩も辛苦も苦渋も何もかもジョッキどころの話ではない量を飲み干してきたのにも関わらず、結局その成功とやらは影すら見せなかったのだから。


 昔、俺は本気で夢を追いかけていた。だけど全力で走れば走る程、転んだ時の激しさも大きい。夢は大海原の様に果てしない。出航し一度沖へ出てしまえば、後は大陸に辿り着くか海の藻屑となるか。二つに一つ。

 昔、俺は本気で夢を追いかけていた。でもその途中で耐え切れず全てを手放した。

 そのはずだったのに、またこうして絵を描き始め愚かにも同じ道筋を歩んでしまった。同じように夢に魅せられ、同じように沈んでいく。甘い蜜に誘われ罠にかかるように愚かな俺はまた同じ苦しみを味わってしまった。どれけやっても駄目な自分に怒りを覚え、上手くいかぬ現実に息苦しさを感じ、纏わり付いたネガティブに心を打ちのめされる。煌々とした夢を見続けている分、自分のいる場所が酷く暗く感じた。


「はぁー。俺何やってんだろ」


 風光明媚展。絵の投稿。もうそんなものはどうでもいい。どうせ俺には無理だ。これだけやってきて分かった。溺れる程に苦渋も辛苦も呑まされてやっと気が付いた。

 俺には絵で何かを成し遂げるなんて到底叶わない。俺と言う人間にはこの泥沼を抜け出すことは出来ないんだと。

 でもまた体の力を抜き、沈み忘れるだけ。もうこれ以上、こんな思いをしなくて済む。ただそれだけだ。

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