8
まだまだ暑さも続く中、例年とは違った夏休みを過ごした俺は若干の懐かしさすら感じる教室にいた。教室に響く担任の声に微かに交じる蝉の声。暑さも蝉も多少なりとも大人しくなったが、まだ夏は終わらないらしい。
「――い。おーい」
担任の話もどこへやら窓越しに爽快な夏空を見つめていると、突然視界に割り込んできた人の手が上下した。
「零ってば」
視線を腕をなぞるように移動させていくと前の席の夏樹へと辿り着いた。
「何ボーっとしてるの?」
どうやらいつの間にかホームルームは終わったらしい。
「いや、別に」
「でも夏休みもあっという間に終わっちゃったね」
「そーだな」
「楽しかったけど結局、夏祭り行けなかったしそれはちょっと残念かなぁ」
「そーだな」
「――心配?」
俺が同じ返事をしたからか少し声色を変えた夏樹の声は真剣味を帯びていた。
だが、何のことを言っているのかすぐには分からず俺は首を傾げた。
「心配って何が?」
「えー? そろそろ結果が出るでしょ? ほら、コンクール。忘れちゃった? そんな訳ないよね」
「あぁ。結果って言ってもまだ一次だろ?」
「へぇー。零はそんな感じなんだ。私はもうドキドキなんだけどなぁ」
「何でお前がそんな緊張してんだよ?」
「するよ。大丈夫かなって。――別に信じてない訳じゃないよ。零なら大丈夫だと思うけど……それでもちょっとね」
夏樹は笑みを浮かべたが、やはり不安が拭い切れてない。
「零は全然平気そうだね」
「まぁ。もうどうしようもないからな」
そう言って雲ひとつない蒼穹へと視線をやった。本当は不安なんてないのはそんな理由じゃない。心のどこかで一次は大丈夫だという自信や確信があるからだ。根拠は無い。保証も無い。でも何故か不安を感じない程には安心している。
それよりも今は、変化の無い投稿の方が不安や焦燥でどうにかなりそうだ。皮肉にも描けば描く程、変わらず伸びない現実にやる気が削られていく。でも風光明媚展の為にも描かなければいけない。さながら自傷行為でもしているようだ。
今の俺を支えているのはコンクールの存在とそれへ向けた義務感、あと細やかな希望。脳裏で見ている夢から溢れた活力を使いペンを走らせている。今は苦しくても風光明媚展が終わればもしかしたら……。そんな淡いが俺にとっては確かな光を見つめただ前へ進み続ける日々。
その日、学校の時も帰ってからも、頭にはあったがその事を特に気にしてはなかった。でもちゃんと時間は分かってたし、その時間になればちゃんとチェックはしようとした。
「そろそろ見るか」
時間を確認した俺は絵を描く手を止め、スマホを手に取った。そして背凭れに深く体を預け、悠々とコンクールのサイトを開く。
そこには一次審査を通過した作品名と作者名がずらり並んでいた。俺は上から一つずつ目を通し自分の名前と作品名を探していく。どんな絵か気になるような題名の作品をいくつか通り過ぎ下へ、下へ。
だが気が付けば列挙された名前と作品名は終わりを迎えていた。どうやら軽快にスライドした所為で見逃してしまったらしい。確かに全部へ丁寧に目をやった訳じゃないから覚えてないし見逃していてもおかしくはない。
だからもう一度、上から下へ今度はひとつひとつ丁寧に確認していった。
「あれ?」
だが二度目の最後を迎えても結果は変わってなかった。そこに俺の名前も作品名も無い。
もう一度。今度は焦燥感で足早になりながらもより丁寧に確認していく。
もう一度。最後まで行ってはまた最初から。
でも何度やったところでその一覧に俺の欠片を見ける事は叶わなかった。そして何度も繰り返すうちに染み渡った現実にやっと俺は見返す手を止めた。その時には嫌でも刻み込まれ分かっていた。
「ダメだったのか……」
俺の作品は一次という岩壁すら登り切れず崖下へ落下した。
それは予想すらしていなかった現実。少しの間、頭では理解していても良く分かっていなかった。まるで魂が抜け去り側だけで啻に現実を見ているかのように。そこには感情は無かった。只々、事実が独りそこにいて俺はそれを視界に捉えながらつくねんと座っているだけ。虚ろになった双眸で何かを見ているようで何も見てなかった。
そしてスマホは机に置くとただ重いだけの体を無理矢理動かしベッドへと正面から倒れ込んだ。でも体がベッドに沈み込む感触すら感じない。頭では非情な事実が嫌味のように闊歩し、心には遅れてきた感情が真夏日に飲む飲み物の冷たさが胃から拡散するようにジワリ広がっていた。段々と鮮明になっていく。見たくも知りたくも無いのに、俺の意思など眼中にないと言うようによりハッキリと。
落胆、悔しみ、苛立ち、悲痛。それが何か分からないが、負の感情だという事は分かる。心へ拷問のように時間を掛けて広がるその感情は酷く刺々しく、キツく締め付けてくるのを嫌でも感じた。自信があったからこそこの裏切りは深く心に突き刺さり、認めたくない現実に食い込む程に強く拳を握り締める。
だが、一人でどれだけ唇を噛み締めようが苛立ちに心を締め付けられようが落胆や焦燥に首を締め付けられようが――現実は何も変わらず、相変わらず嘲笑うように俺をその一部として流れていた。
「クソっ! クソっ! クソっ!」
仰向けに寝返りを打ったのが起爆剤になったかように突然、爆発した苛立ちの破片が口から飛び出した。ここ最近、投稿も芳しくなかった上に確信とも言うべき自信があったコンクールでさえ脚光どころか木漏れ日さえ浴びれなかった。強く求めていた分、コンクールの為に何枚もの絵を描いた分、色々と試行錯誤し悩み苦労の末に描き上げた絵だった分。こうもあっさり終わってしまった事に対してどこにぶつけていいか分からない怒りがただ内側でマグマのように煮え滾っている。俺の努力が易々と破り捨てられたような気分だった。いや、ただの怒りじゃない。発散する事の出来ないそれは内側から俺を焼き焦がしてる。泣きそうで、苦しくて、もどかしくて――最悪の気分だ。
希望や自信をその身に縛り付け高くまで飛べば飛ぶほど、落ちる時はより深く。
俺はそれを以前にも体験したはずなのにまた同じ過ちを犯してしまったらしい。苦しみに呼び起こされるように脳裏には、嫌な感情ごとあの頃の事が浮かんでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます