5

 あまりの暑さにたまらず昼間からクーラーをつけたリビングで、俺は音楽を聴きながらコンクールの画を仕上げようと励んでいた。


「あぁー。もう分かんねー」


 実際にこの目で見た景色を再現しようとするが、色が中々上手くいかない。あの神秘的で神々しい雰囲気を全く生み出せず難渋していた。軽く放ったペンは液タブにぶつかるまで転がり、俺は横へ体を倒し寝転がる。


「はぁー」


 溢れてきた溜息を吐き出し腕で双眸を覆うと、目の前には黄金の向日葵畑が広がる。なのにそれを描き出そうとすると上手くいかない。その都度、喉まで出かかっているのに思い出せないようなもどかしさと若干の苛立ちが積もり無意味だと分かっていても溜息を零してしまう。

 この絵はまるで茨の柵だ。長引けば長引く程、体へ伸びた茨はより複雑に絡み付きより深く締め付ける。身動きが取れずじわじわと棘が喰い込んでいく。

 俺は温度以外、快適とは言えな状態のままスマホを手に取ると投稿サイトを開いた。丁度、昨日まだ上げてなかった一枚を投稿したところだ。これまでの結果から積み上がった期待を胸にサイトを開いて絵を確認してみる。

 だがまたもや溜息が零れ落ちた。そこに表示されていた数字は想像には及ばないモノ。他と比べてもあまり伸びていない事を物語っていた。


「個人的には結構好きなんだけどなぁ」


 最早、溜息を吐き出す為に呼吸しているんじゃないかって思う程に再び零れ落ちる溜息。

 最近は、全てにおいて良くない。絵は進まないし、投稿した絵がこれ以上伸びることも無ければ平均を下回る時も多々ある。全てが行き詰り。まるでこれがお前の限界だと、言われているようだ。ここが行き止まりの終着点。ここより先には行くことは出来ないと。

 スマホを持ったままの腕を倒し瞼越しの光ですら遮った。このまま何もしないでじっとただ音楽を聴いていたい。描きながら頭を悩ませる事も無く、投稿する度に一喜一憂することも無く、何も考えないで音楽だけを聴きながら眠りに就きたい。

 でも俺は左右から流れ込む音楽が静かに終わりを告げ次が再生されるとそれに感化されるように起き上がった。


「つってもやるしかないしな」


 気合を入れ直したという訳じゃない。どちらかと言えば義務感のようなものかもしれない。俺はペンを手に取ると煽り立てるような曲を聞きながら暗闇に沈んだこの世界に光を降り注がせようと頭を悩ませ始めた。

 だがそんな風に少し休憩を挟んだからと言っていきなり描けるはずもなく、意気込みとは裏腹に依然と世界はモノクロのまま。


「駄目だ。やる気もアイディアも何もない」


 別に渇いたという訳じゃないけど、俺は立ち上がると飲み物を飲みにキッチンへ。これはテスト勉強中に掃除や模様替えを始めるのと同じなのかもしれない。やなければないけない事から目を逸らす為に別の何かを始める。

 でも俺は冷たい麦茶を飲みながらこんなことを思い付いた。


「もう一回、あの場所に行くか」


 実際の景色を目の前にすれば何か感覚を掴めるかもしれない。このまま座っていても進む気もしないしそれがいいのかも。後はこれが掃除や模様替えと同じ行為でない事を祈るだけだ。ただ絵の前で悩み続けるが嫌で思い付いた事じゃなく何か実りがあればいいが。

 そして残りを一気に飲み干した俺はさっさと着替えを済ませ、向日葵岬へと向かった。

 あの日とは違って小屋は開放され、子連れや老夫婦にカップル、色々な人が中へと足を進めていた。それに続き冷房の効いた小屋へ入るとカウンターの向こうに座る若い女性の前まで。


「高校生一名でお願いします」


 カウンターへ向かいながら頭上の料金表を見た俺はそう言いながら財布を取り出した。


「学生証などはございますか?」


 その言葉の後、財布から取り出した学生証を見せ、料金を支払った。


「ではあちらを出て真っすぐお進みください。出口はこことは異なりますが案内がありますのでそれに従ってお進みください」

「はい。ありがとうございます」


 お礼を言いこの小屋は二度目だが景色自体は三度目の俺は奥のドアから外に出てデッキへと足を進めていく。疎らな人々と生温い風に乗る感嘆の声の中、俺は真っすぐ欄干へ近づく。

 そこから見える景色は、何度見ても飽きる事がないんだろうとまだ三度目でありながらも確信するように思えるものだった。それにやっぱり画面上で試行錯誤していたどれも、この素晴らしく美しい光景を表現するに至ってなかったんだと景色を眺めながら改めて思っていた。

 天と地を繋げる光の道、風に揺れ躍る向日葵、蒼穹に浮かぶ個性的な雲。それから須臾の間、俺はこの美景を眺めながら頭の中でどうすればいいかを考えていた。欄干に凭れ一人じっと景色を眺めただ只管に。

 そろそろ帰るか、それはそう思いデッキから降り出口へと続く道を歩き始めた時だった。俯き気味で歩いていた俺は、視界端で翻る白に数歩進んだ所で足を止めた。そして振り返る。正直、自分でも何故そうしたのか分からなかった。ただ何となく、体が動くまま。そう表現するのが一番妥当だ。

 でも無意識に引かれるまま顔を上げ後ろを見た俺は、時間が止まるのを感じた。

 そこには道の端で立ち止まっていた人が一人。その人は道の途中、名残惜しそうに立ち止まり向日葵の横顔を見つめていた。麦わら帽子を被り白いワンピースを着て。

 時間が止まったと言うより一瞬にして戻ったのかもしれない。数年前の公園、絵というものに初めて心打たれたあの瞬間へ。向日葵畑を背景に立つその人は――もしかしたら。

 そう思うと俺は自然と足が動いていた。少し強めに吹く風に飛ばされないように麦わら帽子を押さえるその人へ近づいていく。そして肩へ手を伸ばした。


「あの、すみません」


 肩に手が触れるのとほぼ同時に声を掛けるとその人はゆっくりと顔を向けた。そして目と目が合う。


「あっ……」


 だがそれは記憶の女性とは違う別人だった。その瞬間、夢から醒めたような――ぼやけた視界が晴れ渡るような感覚と共に俺は我に返った。


「すみません。人違いでした」


 頭を下げ踵を返すとそのまま向日葵岬を後にした。

 正直、今ではあそこにいた人があの人じゃなくて良かったとも思っている。もしあの人だったとして、一体何て声を掛けたらいいか今でさえ分からないからだ。それにあっちが俺を覚えてるともよく考えてみれば思えない。そうなったら俺は単なる変人かナンパ野郎か、どの道あまりいい印象じゃないだろう。

 でももしあの人だったら訊いてみたい。どうしたらいいかを。どうやったらあの景色の美しさを描けるのかを。あの人の絵が俺の心へそうしたように誰かの心を打つような絵はどうしたら描けるのかを訊いてみたい。

 そんな事を考えながら家へ帰った俺は部屋に籠り絵と向き合った。そしてペンを取りまだ胸に残っている新鮮な感覚で絵を染め上げていく。納得のいく仕上がりになる事を願いながら。

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