2
その日、俺はカフェにいたがカウンター越しの燈さんの隣ではなく、お客として座っていた。
でもそこには俺の代わりに制服を着た莉星が立っていた。
「莉星どーなんですか? 正直に」
絵を描いていた俺の隣に座る真人は何かを期待しながら燈さんにそう尋ねた。
「まぁまぁ。零の方が気が利く」
「そりゃオレここ初めてですから。でも慣れちゃったらもうあれですよ。零をクビにしてオレを雇いたくなっちゃいますよ?」
「へー。タダ?」
「燈さん雇うって意味分かってます?」
「じゃあ零でいいや。色々と使えるし」
「莉星ー。僕、レモネードのみたーい」
「私は……メロンソーダにしようかな」
莉星を働かせる為であろういつもよりも多く注文する流華に対して静かにだが舌打ちが響いた。だが透かさず燈さんの手が肩を軽く叩く。
「お客さんに舌打ちしない。ちゃんと対応しなさい。ほら」
「かしこまりました。少々お待ちください」
それが真面目にされてる注意じゃないと分かっていながら莉星は小声の早口で普通のお客として対応した。表情はあまりよろしくないものだったが。
そして早速、注文の飲み物を入れ始める。
「なぁ、信じられるか? オレ今、賃金発生してないだぜ?」
そう愚痴りながらも飲み物を入れていく莉星。結構、仕事は出来てるっぽい。
「いやぁー。アンタってほんと上手いよね」
すると横からまだまだ途中の絵を真人が覗き込みそう声を漏らした。
「今は何描いてんの?」
「一応、あのコンクール用のやつ」
「おっ、五十万?」
「そう」
この絵とまだ決まった訳じゃないしまだ期限はあるけど、描き直せるように早めから描こうと思ったからとりあえず一枚目として描いてる。最終的な目標は風光明媚展だけど、これは力試しのようなものだ。別にどっちのレベルが高いとかそういうことじゃないけど、ここで最低でも一次は突破出来ないと風光明媚展は無理だろう。
リハビリのように再び描き始めてから短い期間だけどそれなりに描いて来た。それに期間が空いたからと言って昔の蓄積された分が消えたわけでもなければ、むしろ合計すればかなりのものだ。これだけやればいけると思うし、これまでの絵を見てても最優秀賞とはいかなくとも佳作は取れるような気がしてる。他の人の絵を見てないから断言は出来ないが、少なくとも悪くないとは思っている。
「いいねぇー。で? どうなの?」
「さぁ。まだ出来ないし」
「私は大丈夫だと思うよ。これまで描いたのだって凄かったし」
絵を覗き込みながらそう言った夏樹は何故か俺より自信に満ち溢れていた。
「あんた明日シフト入ってるけど進み具合は? もしあれだったらこのタダ働き使うけど?」
「あと二回ですからね。慎重に使ってください」
「全然大丈夫ですよ」
そうは言ったが本当は嘘だ。全然進んでない。描いては消して、描いては消しての繰り返しだ。ただの練習としての絵ならある程度は妥協してたかもしれないが、これが審査員の目に映るとなるとどれも納得いかない。
「ちなみに何描いてるの」
夏樹越しから聞こえてきた流華の質問に俺は自分のまだ欠けたものばかりの絵を見ながら答えた。
「向日葵畑と奥に海。タイトルはまだ決まってない」
「そんなとこ行ったっけ? 確か夏の想い出風景画コンクールって名前だったよね?」
「昔、行ったことがある。それに必ず体験した想い出の絵じゃないと駄目とかあったか?」
「んー。どうだろう。僕が勝手にそう思ってただけかも」
「そんなの関係無いって。もし無くても大丈夫」
肩に手を乗せられ真人の方を見遣るともう片方の手の親指を堂々と立てていた。
「いや、あるだろ」
「そーじゃなくて。行っちゃえばいいって事。向日葵畑でしょ? あたし行ってみたいと思ってたんだよね」
「私も行ってみたい」
「じゃあ今から行っちゃう?」
前のめりでそう言う流華は意地悪い笑みを浮かべ俺らの方を見ていたが魂胆は透けて見える。
「おい。まだオレが働いてる途中でしょーが! 止めろ! オレだけこんなとこに残すの」
「へぇー。こんなとこ! に残るのは嫌かね? ん?」
莉星の言葉の直後、すぐ傍まで迫った燈さんの平然を装った声が失言をした者を静かに包み込んだ。しかも失言を嫌に強調して。
「い、いや。つい勢い余って思っても無いこと言っちゃったっていうか。その――オレはめっちゃ好きですよ。ここ。いや、ホントに」
妙に怖い微笑みと共に更に迫り来る燈さんに弁解する莉星は身を引き苦笑いを浮かべていた。
だが詰め寄るのもそこそこに燈さんは表情を戻し、莉星の額へ軽いデコピンをひとつ。
「ならよし」
そしてホッと安堵の溜息を零す莉星から離れ元の位置へと戻った。
「でもその場所って遠いの?」
そんな光景を目の前にさらっと話を戻した真人。その問いかけに俺は昔の記憶を探っててみたがどこにあるかまでは覚えてない。
「どこだっけなぁ。全然覚えてない」
「じゃあ零が親に訊いて、それからいつか決めよっか。出来るだけ早くにね。行くのも訊くのも」
「帰ってから訊くよ」
「よーし。頼んだ」
最後に余計な分の背中叩きが飛んで来た。しかも文句をいうほどではない絶妙な強さの。狙ってたとしたら中々の嫌がらせだ(する意味もわからんし、何よりこいつがそんなに器用だとは思えないが)。
それからすぐのある日。俺らは人のいない車両の中、電車に揺られながらその向日葵畑へと向かっていた。
母さんも言っていたが随分と久しぶりだ。にしても絵にしようとしていた景色は覚えているけど、それ以外は全く覚えてない。正確にはあの景色を見た瞬間のこと以外は。
だけど逆にその瞬間の事はよく覚えてる。眩しすぎる程に照り付ける太陽も。雲ひとつない淡い青空も。汗を冷やす風も。母さんの零した感嘆の声も。握り締める手の感触も。目を瞑れば思い出せる。
その代わりという訳じゃないけど、その他の事は何一つ覚えてない。周りがどうでどういう道順であの場所まで行ったか、こんなにも想い出として残っているのに――何も。だからかこうして実際にあの場所へ行っていると思うとどこか不思議な感じがする。まるで一枚の写真を頼りに隠された宝を探してるような気分だ。それにしては宝の在処も宝が何かも分かってるけど。
「――零。おーい。起きなさーい」
電車より激しく揺らされる体と真人の声。俺は言われるがまま瞼を上げる。気が付けば寝てしまってたらしい。にしても記憶が絡み合いやけにリアルな夢だった。
まだ夢見心地だった所為で気付かなかったが、目を覚ました俺の視界は傾いていた。頭の側面にだけ何かが触れている。ゆっくりと顔を上げ横を見てみると、隣に座る夏樹と目が合った。いつの間にか寝て凭れかかってしまってたらしい。
「悪い」
「ううん。大丈夫」
「あれよりマシでしょ」
真人が指を差した方を少し前のめりになり夏樹越しに見遣ると、隣に座る流華の膝枕で寝る莉星の姿があった。途中は分からないが幸いにも今はこの車両に人はいない。
「どうやったらあーなるんだよ」
そんな事を言ってるうちに電車は減速し始めた。この駅だ。
立ち上がった俺はドアへ向かいながら莉星の頬を軽く叩き起こした。
「降りるぞ」
寝ぼけ眼を擦りながら起き上がる莉星と共に電車は止まり、立ち上がる莉星と共にドアが開いた。
そのドアを通り降りた駅は時間帯の所為か無人駅のように人けは無く、閑散としていた。本当にここかと心配になるぐらいに。でも間違いなく駅名は聞いてたものと一致している。
それからスマホの地図を片手に母さんから教えてもらった懐かしの場所へと向かった。
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