10

 キャンプ場に近づいて来ると段々、いい匂いが鼻腔を刺激し始める。やっぱりもう作り始めてるらしい。


「あっ、戻ってきた」


 匂いに誘われたような俺に流華が声を出すと、それに反応した夏樹が顔を上げた。


「今ご飯作ってるからもう少し待っててね」

「とびっきり美味しいの作るから期待してていいよ」


 自らハードルを上げた流華だったが、その表情は自信に満ちていた。


「期待しとく」


 そして二人から視線を逸らせばまだ川で遊ぶ莉星と真人、お酒片手にハンモックで揺れる燈さん。行く前と変わらない光景がそこには広がっていた。

 俺は荷物を適当な椅子に置くとまず燈さんの元へ足を進めた。


「燈さん。どうですか?」

「ん? あぁ、良いよ。思ってた以上にね。なんかお酒呑んでたら責任の重圧とかもうどうでもよくなってきたし」


 そう若干の酔いを感じさせる声で言うと酒を呷る。


「おかわり持ってきて。川で冷やしてるから」


 そして言葉と共に差し出された空缶。ちゃんとした責任ある大人……だよな?


「分かりました」


 疑問を頭に浮かばせながらも空缶を受け取り、新しいお酒を手渡した。

 その後は蓋の開く心地好い音を背に莉星と真人の方へ足を向かわせた。


「はいー! またあたしの勝ち~」

「くっそー! なんでだよ!」


 やけに盛り上がっていた二人がしていたのは、水切り。真人は余裕の笑みを浮かべ、莉星は頭を抱えてしゃがみ込んでいた。


「これで飲み物五十本目。ちゃんと払ってよ」

「負け過ぎだろ」


 その驚異的な数に俺は思わず呆れ声を出した。


「ちなみに五十連勝中~」


 俺の方を振り返る真人は言葉に合わせピースサインをした。


「そこまでいったら莉星が絶望的に下手か真人が驚異的に上手いかのどっちかだな。いや、両方って可能性もあるか」


 そう言いながら足元にあった丁度よさげな石を拾い上げる。


「おいおい。零君。あまりこの世界を舐めない方がいい。お前みたいなポッと出が早々にデカい顔していい場所じゃないんだ」


 莉星はそんな俺に対して受けて立つと言わんばかりに挑発と共に石を手に取った。


「それはアンタもだ。この世界の者として名を語りたきゃ、まずあたしを一度くらい負かしてみるんだね」


 俺らに続く真人。これで役者は揃った。全員が余裕の笑みを浮かべながら沈黙の中、互いの顔へ目をやる。

 すると莉星がまず一歩前へ出た。やる気だ。


「足も疲れてきた頃だ。そろそろ王者の椅子にでも腰掛けさせてもらうかな」


 五十連敗中の男が言っているとは思えないそれは、これから全力を出しさっきのが嘘のように勝ちそうな声だった。そんな今までのはほんのお遊びだと言っているこいつは五十連敗中。

 そして構えを取った莉星は、意味があるのか無いのか(多分ない)一瞬の静寂に身を顰めるとこいつなりの何かしらの好機を読み取り――投げた(どうやら二人は川を斜めに投げてるらしい)。

 少し見えずらいが一回、二回……水面を弾く石。


「いっけー!」


 莉星の魂の叫びを受けながら川を渡る石は、五回六回と飛び七回目の着水でそのまま沈んでいった。


「よし! 見たか! 最高記録だ」


 嬉しさのあまりガッツポーズをした莉星は挑戦状を叩きつけるように真人を真っすぐ指差す。

 だが真人は未だ余裕の笑み。


「悪くないな莉星。だが忘れるなよ。あたしは一度八回を出した女」

「偶然の産物だろ」

「それはどうかな……」


 そして真人は莉星の隣まで悠々と足を進め構えた。


「よく見ておきな。これがあたしとアンタの力の差だよっ!」


 勢いよく水面を蹴った石は、調子よくその回数を重ねていく。五回へ突入するのを緊張の面持ちで見つめる二人。

 だがその表情にはそれぞれ相対する感情が混じっていた。

 そして石はついにその勢いを失い川底へと沈んでいく。その回数、八回。


「よっしゃぁぁぁ!」

「くっそぉぉぉ!」


 両手を上げ喜ぶ真人と膝から崩れ落ち頻りに地面を叩く莉星。

 ほぼ同時に太陽と月のような反応を見せた二人の成績にはそれぞれ黒と白の星が輝いた。

 だが徐に立ち上がった莉星の双眸では、まだ希望の星が煌々としていた。


「まだだ。まだ奴がいる。……こうなったら、お前を王座から引きずり下ろせればそれでいい。お前もオレと同じ負け犬になり下がればな!」


 こいつ今、自分のこと負け犬って言ったぞ。


「ふんっ! こんなひよっこがこのあたしを? 見誤ったわね莉星」

「いや、オレは信じてるさ。こいつの可能性を」

「そこまで言うなら、あたしが勝ったら三回回ってワンと鳴いて平伏し、負け犬どころかあたしの犬に成り下がりなさい!」

「――いいだろう」


 そうなると少し負けたくなってきたな。


「だがその代わり……こいつが勝てば五十本はチャラだ!」

「それはヤダ」


 さっきまでの演技はどこへやら一瞬にして素に戻った真人。余程、嫌だったんだろう。


「だが二十本にしてやろう」

「十!」

「十五」

「……仕方ない。ならば交渉成立だ」

「鳴く為に喉を整えておくことね」


 二人は合意を認め固く手を握り合った。そして俺の方へ歩いて来ると一度、目の前で立ち止まる。


「零。お前ならやれる。今までの特訓を思い出せ」


 そんな身に覚えのない特訓なんて思い出せるはずもない。


「あたしはこの五十年間この王座に腰掛け続けてきた。この王座を支えているのは何だと思う? これまであたしに挑んできたバカの屍だよ」


 お前は一体、何歳なんだ? それにそのバカの屍は全部ここにいる奴のだろ。

 そして二人はそれぞれ俺の肩を叩くと一歩後ろで見守り始めた。俺はむず痒い視線を背に受けながらも足を進めると先程の二人と同じ位置で立ち止まった。

 投げる前に視線は一度、手元の石へ。俺が勝てば莉星は十五本になり、俺が負ければ三回回ってワンと鳴く羽目に。正直に言えばどうでもいいし、なんなら負けて鳴く姿を見たい気もする。だが頼まれた以上――いや、シンプルに自分が何回跳ねさせられるかが知りたい。その為には全力でやるしかない。ついでだが、莉星の命運を背負ってやろう。

 俺はその意志と共に石を強く握り締めた。そう決意すると心做しか石がより一層重く――感じないな。

 そして俺は石を構えた。昔なにかでチラっと見た事がある。確か思いっ切り回転を掛けつつ水面ギリギリで投げた方が良いらしい(うろ覚えでは正しいかは分からないが)。目を瞑り頭の中で一度イメージをしてみる。

 よし。イケる。そう思った瞬間、目を開き俺は石を投げた。

 一、二、三。石は意気揚々と水面を駆けていく。

 四、五、六。まだいけそうな気はする(何せ暗くなってきてるから見えずらいことこの上ない)。

 そして七回目を迎え八回目も水面を蹴った石は宙を進む。


「いけー!」

「落ちろー!」

「もっと伸びろ」


 種類は違えど皆の想いを背負い石は運命の水面へと近づいた。水に触れ、水中へと引きずり込もうと伸びた無数の手が絡まる。全ては俺の石に託された。

 そして皆が固唾を飲んで見守る中、俺の石はもう一度――飛んだ。


「うっしゃぁぁ!」


 後方から既に歓声が聞こえる中、石は最後の力を振り絞りもう一回。計十回という記録を生み出しそのまま川底へと消えていった。

 その切りがいい記録に満足している俺へ後ろから莉星が抱き付く。


「よくやった! 流石はオレの弟子だ!」

「いつから弟子になったんだよ」


 全くどの口が言ってるんだか。

 そんな事を思っていると、悔しそうにしながらもどこか清々しい表情の真人が目の前へとやってきた。


「負けたよ。まさかこんな逸材がこの国に残っていたなんてね」


 多分、他にももっといると思うけど。むしろこのテンションで水切りをやれるお前らの方が逸材だろ。


「でも負けは負け。今日からあんたが王だ。おめでとう」


 そう言うと真人は最後に堪え切れないと言うように敗北への抵抗を顔に浮かべ莉星と挟み込むように抱き付いて来た。今の状況を言い表すなら、中には火が通ってない上に冷たいままの肉ってところだろ。つまり両側の奴との温度差が激しい。


「そりゃどうも」


 俺の言葉の後、離れた二人はそれぞれさっきとは逆転した表情を浮かべていた。


「俺、戻るけどお前らは?」

「先に戻ってていいぜ。オレは残り十五本を帳消しにしてから戻るからな」


 その言葉に二人の双眸には再び闘志が宿った。ちなみにそう仕掛けたこの男は現在五十一連敗中。


「結局アンタはあたしに勝てないのよ。いい加減分かりなさい」

「はいはい。それじゃあ楽しんでどーぞ」


 そんな二人を残し俺はテントの方へと戻った。

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