9
この日も相変わらずの快晴で汗を呼ぶ気温。俺らは指定の駅に集合し、燈さんに拾ってもらうとキャンプ場へと向かった。道具は貸出も出来るという事で、借りたテントや料理用品などを運びいざキャンプ地へ。
ホームページや商品の宣伝写真というのは大抵大袈裟に良く写されてる事がほとんどだが、俺らが着いた場所はそう言う訳でもなかった。もちろん良い意味で。
「すっげー!」
「おぉー! 自然って感じ」
全員から感嘆の声が飛び出す程に、そこはいるだけで気持ちの良い場所だった。
川底まで見える透き通った水はひんやり冷たく、辺りには都会のビル群のように生えた木々。空を見上げればいつもよりも青くて、いつもより自由な蒼穹が広がっている。川のせせらぎも足元に転がる無数の石も。時折、聞こえてくる名前も知らない鳥の囀りでさえも、この場所の全てがいつもと違って――そんなに遠くへは来てないはずなのに、日常を飛び出しどこか遠くまで来たような感じがした。
「おーい。零、テント張るぞー」
この場所の特別な雰囲気を全身で感じていると莉星に呼ばれ俺はみんなと一緒にテントを張った。借りたテントは女子テントと男子テントの二つ。
『僕、燈さんと同じテントがいい!』
なんて流華が言い出したが、燈さんに瞬殺で却下された。それに借りる訳だから少ない方が良いということでそうなった。燈さんだけは一人別でも良かったのだが、一緒でいいという事で二つ。その他にも椅子やテーブルや焚火台なんかの準備を手分けして済ませた。その間、燈さんはレンタルしたハンモックを設置していた。
「かんせーい!」
「よーし、遊びいこー」
「いくぞー! 遊ぶぞー!」
準備が終われば、あとは自由時間。三人はすっかり張り切っていた(この自然だ。気持ちも分かる)。
「零はどうするの?」
「んー。そこら辺でも軽く見て回って、絵でも描くかな」
これだけの自然があるのだからどこか一枚でも描きたい。この自然を目にした時、俺は気が付けばそう思っていた。川、森、他にも何かいい画があるかもしれない。それを思う存分描きたいと。
「――じゃあ、みんなには私が言っておくからまたあとで一緒に遊ぼっ」
「そうだな。折角来たんだし少しぐらい遊ばないと」
「そうだよ。じゃあまた後でね」
そう言うと夏樹は川で燥ぐ三人の元へ。
一方、俺はショルダーケースに入った液タブを持ち燈さんに一言声を掛けてから適当に歩き出した。川沿いに上流へ向け軽い足取りで進んでいく。静かに流れる川と森の景色は心までも穏やかにしてくれ、まるで老後にする早朝の散歩のような気分だった。というよりこういう老後を過ごしたいと、成人すらまだなのに既に老後を考えてしまうようなゆったりとした空間だった。
「こういう場所が家の近くにもあったらな」
でももしかしたらこれはただの隣の芝生が青く見えているだけなのかもしれない。普段、都会とは言えなくとも建物に囲まれた場所に住んでいるから自然がより一層よく見えてるだけなのかも。心から自然が好きなんじゃなくてただいつもと違うという新鮮さにときめいているだけかもしれない。本当に好きかどうかは慣れてみないと分からないし、もっと悪い面を体験してみないと分からないんだろう。
そう思うと自分にはある程度、都会の方が合ってるような気もした。
でも今、感じているこの心地好さは本物。一時でもそれを堪能しようと俺は足を進める。
更に進んでいくと川はより多くの木々に囲まれ始めた。そして辺りはすっかり森に呑み込まれ、さっきとはまた一味違った景色が周囲を埋め尽くしていた。足場もより歩き辛く、心做しか涼しくなったようにも感じる。
「おぉー。これいいなぁ」
荒れ始めた息の俺が足を止めたその場所は、苔の生えた石や身を乗り出すように伸びた木々に生い茂る草。その光景は日本が世界に誇る某アニメ制作会社の作中に出てきそうな雰囲気を漂わせたもの。
「あんまり奥に行くのもあれだし、ここにするか」
まず俺は位置を移動しながら画を決め、適当に腰を下ろすと早速この神秘的で非日常的な雰囲気を意識しながら。描き始めた。奥行や自然体に伸びる枝、大きさの違う石や葉の一枚一枚。存在する風景だけど現実では見られないような絵を描きたい、そう思っているけどここは既に非現実的でその印象を大事にしたかった。だからあえて忠実にこの雰囲気を再現したくてより丁寧にペンを進めていく。いつものように眼前の生景色とを見比べながら、いつの間にか我も忘れる程に集中して描いていった。
最近、俺は絵を描くことばかり考えている。最初は夏樹の妙な提案でいつぶりかに描くことになったが、今ではコンテストの練習に関係なく描くことが楽しい。誰かに褒められたり、誰かに良いと言ってもらえたりする事がこんなにも嬉々とした気分にさせてくれると思い出してからは。描いてる時がこんなにも集中出来て無心になれると思い出してからは。
最初は、ただ懐かしさを感じているだけなんだと思っていた。でも今は――自分でもやっぱり絵を描くのが好きなんだなと思う。描いている時は、何も感じてないと言えばそうだけど時間すら縮めてしまう程に集中してる。よりよいものを描きたいと試行錯誤している時は特に。
正直に言って、こんな風に好い画と出会った時は自分の手で絵にしてみたいと思うぐらいには描くのが楽しくてしょうがない。あの頃と同じだ。初めて絵というものにのめり込んで上手い下手なんて気にせずただただ自己満足で描いていたあの頃と。あの時は誰に見せる訳でもなく描いてたし、見せるとしても母さんぐらい。しかも母さんは毎回決まって喜色を浮かべ褒めてくれた。だからより一層、絵を描くのが好きになった。
今は夏樹に言われ一応サイトに投稿しているが、基本的にはただ自分が描きたいと思ったものを描いているから楽しい。燈さんに言われたようにやってて楽しんでるかが、やっと分かり始めた気がする。いや、思い出したと言った方がいいのかもしれない。
それからも俺は表情には現さないまま楽しんで(もしかしたら無意識に出てたかもしれないが)いつもとは違った風景を描き続けた。ヒーリングミュージックのような音の流れる森の中、誰にも邪魔さることなく一人で偏に描いていた。質感や遠近感。耳を澄ませば森の静寂や小鳥の囀りに川のせせらぎが聞こえ、息を吸えば澄んだ空気を感じられ、苔でさえ触らずともその質感が分かるような絵を目指して。
そしてまた例の如く時間を忘れ絵を描き続け、どれくらい経ったのだろう。気が付けば、辺りは薄暗く体は少し痛くて疲労が溜まっていた。それらを全て体から追いやろうと立ち上がった俺は大きく伸びをした。声を漏らしながら伸びをすると若干の眩暈がジャブを打つようにやってくるぐらいには疲れていたらしい。描き始めたのが何時だったか分からないから時間的にどれぐらいやったかも分からないが、感覚的にはあっという間でも体的には随分とやった気がする。
「そろそろ戻るか」
また後で遊ぶという話をしてたがすっかり空は眠りに就く準備を始めてる。戻っても流石にその時間はなさそうだ。それにお腹も空き始めてるし、そろそろ夕食の準備だろう。確か夕食は夏樹と流華が作るって話だったか。両方ともちゃんと食べた事はないけど、器用だし何より安心感がある。流石にとんでもない、食べられないような料理は作らないだろう。それに一応、自分で作れると言ってた訳だし。そうなってくるとお腹は更に空き、既に楽しみだ。
そんなさっきまでとは別の理由で弾んだ心を胸に俺は川を下ってキャンプ場まで戻って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます