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「あぁ~。今日、なんかめんどくさいなぁ」


 カウンターへ突っ伏しながら愚痴を零す燈さん。今日はいつも以上にダレている。


「お客さんがいないからってしっかりしてくださいよ。店長」


 あなたのお店ですよ、と言う意味を込めて店長と呼んでみたが効果は全くと言って良い程に見られない。燈さんは突っ伏したまま少し唸ると、唐突に顔を上げた。


「よし! 今日はもう臨時休業にする」


 そして凛とした表情をしながらそんな事を口にした。


「いや、何言ってるんすか?」

「丁度、お客さんもいないし。はいはい、もう店は閉めますよーっと」


 そう言いながら燈さんは本当に入口の札を裏返しロールスクリーンを引いてしまった。


「いや、俺まだシフト時間余ってるんですけど?」

「じゃあここで終了」


 当たり前と言わんばかりに平然と手を叩き燈さんはそう言った。


「あっ、そーだ」


 すると何か閃いた表情を浮かべる燈さん。その脳裏には一体どんな名案が浮かんでいるんだろうか?


「あんたこの店の絵、描いてよ」


 それは思った以上にとんでもない案だった。


「え? 何でですか?」

「そう言うの額縁に入れて飾ったらそれっぽいっしょ」

「まぁ上手い絵ならですけど、俺のは……」

「そんなの気にしなくてもいいって。どうせそんなじっくり見ない見ない。それにケチつける奴なんていないって。そんな奴いたら美術館行けって言ってやるからさ」

「いや、でも……」

「はい。店長命令。あと、しゃーなしに残りのシフト時間も使って良いから。給料出るよ? しかも絵の練習も出来る? どう? いいっしょ? じゃあ始めて」


 このまま断れる気もしなければ、給料が出るのならと俺はそれを引き受けてしまった。


「まぁ――分かりました」

「そーだ。特別に、この絵になるアタシもその絵に加えていいわよ。粋なマスターのいるカフェってね」

「いや、俺――人物はちょっと……すみません」

「なんだよー」


 そう言いながら尖った口の上では、二つの眉が身を寄せながら下へ下がっていた。


「ったくしょうがないなぁ。じゃあアタシはここにいない方が良いってわけ?」

「まぁ……なるべく」

「分かった。じゃあ裏で仕事してるから終わったら声かけて」

「はぃ。――ていうかその前に描く道具買ってきていいっすか?」

「いーよ。いってらっしゃい」

「はい。行ってきます」


 近くの百均で画用紙と鉛筆を買い戻った俺は、早速どういう風に描こうか店内を見回した。入口側を向いた絵か、逆に背にした絵か。カウンター越しの店内か。色々考えた結果、入口を背にして入ってすぐの右手カウンターを少し見るように角度を付けた絵にすることにした。

 そうと決まれば早速、近くの椅子を今の場所へ移動させて座り描き始める。

 BGMも無くなり異空間のように森閑とした無人の店内には、画用紙を撫でる鉛筆の音がそよ風のように響く。液晶に触れるペンのコツコツとした音とも悪くないが、俺はこの音の方が好きだ。やけに静まり返った授業中やテスト時間、耳を澄まさずとも聞こえるシャーペンの音。それに黒板へ触れ流れるチョークの音。落ち着く。

 それから俺は描くには最高の環境の中、調子よく進む鉛筆で絵を完成へと近づけていった。顔を上げては景色を確認し、顔を下げ鉛筆を走らせる。それだけをただ繰り返して数時間。

 長い時間が経過したのにも関わらず、時間を忘れ集中していた俺にとってそれはあっという間だった。無意識の中で描くと言う事だけに染まり、それだけに支配される。何も覚えて無くて、何も感じない。人生の中から切り取られたような無の時間。

 でもそれは何もないはずなのに――我に返るように気が付けばとても有意義で無駄の無い時間のようにも思えた。好きな事に集中して忘れた時間はどこか快い。

 そしてそんな気分に内側を彩られながら俺は、手元の画用紙を持ち上げ少し離して見た。鉛筆の黒が濃淡で姿を変えながら目の前の景色を白紙へと取り込んでいた。少々、簡単ではあるけどそのモノクロの世界は割と不服のないものだとは思う。


「どーう? 進んだ?」


 すると俺が描き終えるのを見ていたかのように燈さんが姿を現した。カウンター裏へと向かう燈さんへ俺はこっち側から絵を見せる。


「完成しました。って結構、大まかな仕上がりですけど」

「えっ。早いねー」


 燈さんは画用紙を受け取ると目を落とした。一時の沈黙が妙に緊張を煽る。


「いいじゃん。でも、へぇー。あんたがこんな絵描けるなんてねぇ。知らなかった」

「言う程、上手くないですよ?」

「いやいや。アタシなんて絵心皆無だし。――という訳でこれは額縁買って飾らせてもらいます」


 最初にも言っていたがやっぱりやるのか……。そう思うとさっきまでの気持ちが少し揺らぎ始めた。


「やっぱり止めませんか?」

「なんで?」

「いやぁ。ちょっと飾るっていのうは自信なくて……。誰も見ないとは思いますけど、簡単に描き過ぎたかなぁって」

「何言ってんの。十分だって」

「でも……」

「分かった。じゃあ、新しい絵持ってきたらいいよ。それまでこの子は返さない」


 燈さんはまるで人質のように俺から絵を遠ざけた。本当に返してもらえなさそうだ。でもちゃんとした絵を描いたら交換してくれるらしいけど、俺に描けるのか? このお店に飾られても平気な絵が。とは思いつつもどうやらやるしかないらしい。


「分かりました。じゃあ頑張ってみます」

「頑張って。――それじゃあ、なんか飲む?」

「珈琲お願いします」


 俺は心の中で溜息を零しながらカウンター席に腰を下ろした。

 少しして俺の前にはアイスコーヒーが出された。ミルクと砂糖が既に入った完成形で。


「ほい」

「ありがとうございます」


 クーラーの冷気に包まれているとは言え体に染みるアイスコーヒーの冷たさは心地好い。あと、流石は燈さん。味も美味しい。


「あっ、そーだ」


 燈さんはそんな声を出すと冷蔵庫から何かを取り出し、カウンターの裏で更に作業をしてから俺の前へ出した。


「新作のケーキ。食べてみて」


 真っ白なお皿には沢山のフルーツが乗ったケーキが一切れ。


「いただきます」


 俺は早速ひと口サイズに切ったケーキを口へ運んだ。そこまで甘くないケーキとフルーツの甘味や酸味などが見事なハーモニーを生み出していた。


「甘さ控えめで俺は結構好きですけど、ポイップクリームとかあってもいいんじゃないですか?」

「確かにそれもありだね」


 うんうんと頷きながら燈さんは紙に走り書きをした。他にも何かアイディアがあるんだろう色々と書いていた。何を書いてかは分からないけど。

 それから俺は珈琲と共に新作のケーキを黙々と食べていたわけだが、三分の一ほど食べ終えたところで顔を上げ燈さんに尋ねた。


「絵を描く時の参考にしたいんで写真撮って良いですか?」

「え? アタシの?」

「いや、この店のです」

「あぁ、そっち。別にいいけど。アタシは?」

「出来れば一瞬、しゃがんでてもらえると助かります」

「いーよ」


 快く了承してくれた燈さんはその場でしゃがみ、俺は急いでさっき絵を描いた場所に立ち、一枚。


「おっけです。ありがとうございます」

「はいよー」


 言葉の後、顔を出した燈さんは作業を再開し、俺は裏から液タブを持って来て早速、新たなお店の絵を描き始めた。

 互いの作業の音だけが響く中、黙々と自分の事に集中する俺と燈さん。

 でもあまり長く続かなかったその静けさは燈さんの声で終わりを迎えた。


「あんたってさ」


 そう言葉が始まり俺は顔を上げた。


「何で絵、描かなくなっちゃったわけ?」

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