3

「お前らあんま近づくなよ。濡れるから」


 少し距離を取った場所で立ち止まると、真ん中辺りで中腰になった。そして内カメにしたスマホで調整を始める。


「零ってさ。着替えとか持って来てるの?」

「一応。濡れるかもしれないし、それに汗かいた時とかに着替えられるようにな」

「へぇー。あっ真人もう少し寄った方が良いんじゃない? 夏樹も。ほら、莉星も」

「そう言うお前が画面に入ってねーじゃん。早くしろよ流華」

「はいはい。じゃあ零の合図でね」


 画面内に全員が収まっている事を確認してから俺は言われた通り掛け声を口にした。


「いくぞ? はい。チーっ――おい!」


 言葉を少し喰いながら四人は同時に四方から抱き付いてきた。勢いでシャッターを切りながら俺はすぐに離れた四人と距離を取る。服は上下とも何とも言えない程度に濡れていた。


「何すんだよ」


 そんな俺を他所にハイタッチをする四人。


「いやぁー。濡れちゃったね零」

「濡れちゃったらもう着替えるしかねーよな?」

「でもでも。折角、着替えるならどんだけ濡れても関係なくない?」


 取って付けたような会話をしながら俺へ向けられた双眸は、その全てが確信犯のそれだった。

 そして最後に近づいて来た夏樹が俺の手を取った。


「ほら、折角来たんだしちょっとぐらい遊ぼうよ」


 俺はまだ描かないといけないのに……。

 でも木漏れ日を浴び体の雫が疎らに煌めく四人の表情は断るにはあまりにも楽しそうだった。


「ったく。お前ら俺に五十万取らせたいのか取らせたくないのかどっちなんだよ」

「今は遊びたいに決まってるじゃん」

「でもオレは焼肉も食いたいからな。家でちゃんと練習するんだぞ!」

「まぁまぁ、そんなに気張らなくてもいーじゃん。夏休みなんだし楽しまなきゃ」

「言われなくても。服も濡らされたしな」


 さっきまでの自分を戒めるような気持ちはどこへやら、すっかり一息つく気になっていた俺はスマホをバッグに仕舞い上を脱いだ。遊ぶと決まってから不思議と気持ちが楽になった気がした。まぁ、これから遊ぶんだから当然か。

 そして下にはズボンをそのまま、半裸状態で四人と一緒に岩の上へ。


「うわっ。意外とたけーな」


 岩上から見下ろす滝壺は下から見るより全然ある高さが若干の恐怖となって襲ってきた。

 だけど同時にそこから感じる滝は、より迫力的で荒々しく、自然の勁烈さを肌に突き刺す程に感じた。


「おいおい零。ビビってるのか?」


 俺が少しそこからの景色を楽しんでいると後ろから餌を見つけた動物のように莉星が煽り言葉を飛ばしてきた。

 だがこいつのそんな煽りは一切響かない。なぜなら……。


「お前の方がビビってただろ? 一回、跳ぼうとしたのに直前で止めたの見てたからな」

「なっ! そ、そんな事ねーよ。オレはガツンと跳んだからな」


 そう言う莉星の後ろでは三人が声を堪えながら笑っていた。


「見栄張ったってもうおせーって」

「うっせーな! だったら跳んでみろよ!」


 羞恥を掻き消すようにムキになった莉星は勢いよく俺を指差した。その指先と挑戦状を叩きつけられた俺は若干肩を竦め余裕を見せつけると助走の為の距離を取った。

 そして走り出し――飛んだ。

 全身で空気を割き、落ちていると実感できる程には長い落下時間。鬼気迫るように近づく水面。体中を包み込む霧状の水飛沫は気持ちよく、内側に溢れる心地好い戦慄もまた刺激的だった。

 日常の中なら気にすら留めないほんの数秒。でも体感ではもう少し長め。そんな落下時間を経て俺は水面へ到達した。まるで天地が逆転してしまったかのように、一瞬にして辺りは蒼穹とは違う深くも穏やかな青へと一変。そして全身の力が溶けだすような心地好い浮遊感が俺を包み込んだ。同時に心にある重荷も水底へ落ちてゆくようで、和やかで、春陽的で、何の柵も無い。

 ずっとこの気分のままこうしていたい。そう思っていると口から数多の気泡と共に心地好さが溢れ出した。気泡は俺の中に息苦しさだけを残しそそくさと水面目掛け上っていく。まるで理想が消え現実だけが残されたような感覚のまま俺も空気を求め水面へ。飛び跳ねるように顔を出すのと同時に大きく呼吸を繰り返した。


「おーい! れーい!」


 息が整い始めると上から見下ろす三人へ返事として手を振った。

 そしてその姿が引っ込むと流華、真人、夏樹が順に水へ沈んでは近くで顔を上げた。


「莉星! ビビんなよ!」


 そして最後の莉星がそろそろ飛んでこようかと言う時、俺は仕返しのように大きく叫んだ。聞こえてるかは分からないけど。

 だが声の後、すぐに莉星は降ってきた。落下と共に傍で水飛沫が大きく上がり、雨のように降り注いだのと入れ替わり莉星の顔が水面に上がる。


「こんなんでオレがビビるわけねーだろって」

「そりゃもう何回も飛んでるもんね。流石にビビッてたらねぇ」

「うっせー!」


 最初はビビってたと遠回しに言う流華へ莉星は水上を走らせた手で水を浴びせた。


「ちょっ、やったな!」


 応酬する流華。


「いいぞー! もっとやれー!」


 それに横から参戦する真人と流れに乗り俺と夏樹も加わった。五人してプールで燥ぐ子どものように誰彼構わず水を掛け合い、滝壺には水の轟音に交じり五人の笑い声が響き渡った。

 それからも俺は絵の事を一切忘れたまま友達と遊びに来た滝をただ楽しんだ。飛び込んで、泳いで。水から上がる莉星に手を貸したら滝壺に落とされて、仕返ししようとしたけどアイツは手を貸さなかったり、でも流華に突き落とされたり、代わりに手を貸してくれた夏樹を引き落としたり。笑い声が笑い声を追いかけ最後は滝音が全てを呑み込む。でもすぐにまた別の声が辺りへ響き渡って。ただただ夏休みを謳歌した時間だった。

 そして多少の疲労と満杯の満足を抱えながら俺は少し休憩をしていた。その横では同じように休憩していた夏樹がペットボトルを傾けている。

 俺はまだ無限の体力で遊ぶ三人を眺めながらタオルを肩に掛け濡らさないように液タブを手に絵の続きを描いていた。


「ねぇ、練習で描いた絵ってどうしてるの?」

「どしてるって。どうも」

「じゃあさ。ついでってわけじゃないけどサイトに投稿してみたら?」


 またこいつは変な提案をしてきた。そう俺は零すように笑った。


「こんな絵。一体誰が見るんだよ」

「誰がって……。少なくとも私は見るよ。というか見たいもん!」

「なら俺がお前に送った方が早いだろ」

「それは違うじゃん。何て言うんだろう。もっと大勢の人に見てもらいたいっていうか。とにかくいいでしょ? そうだ! 昔のアカウント使えばいいじゃん」

「もう消したって」

「じゃあまた新しく作って! ねっ?」


 どうしてそんな前のめりになってまで投稿させようとするのか分からないが、引きそうにも無い夏樹に俺は渋々と言った感じで頷いた。


「分かったって」

「約束ね! あと、作ったら教えて」

「はいはい」


 それからその日は、帰るその時まで絵を描き続けていた。でも完成とまではいかず写真を一枚撮りそれを見ながら家で続きを進めた。もちろん、また言われる前にイラストサイトにアカウントを作りそれを夏樹へ報告するという約束も果たした。これからは練習に描いた絵を投稿する予定だ。


「上手くいくとは思えないけどなぁ」


 そうぼやきながらもその後はペンがより活気に満ち爽快に走るのを感じた。

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