3
「それではみなさんこの貴重な夏休みを大いに楽しんでください」
終業式も終わりついに始まった夏休み。
記念すべき最初の行事――と言うべきなのか分からないが、最初にあいつらと集まったのは予定通り課題の絵を描く時。駅に集合してそこから近くの海へと向かった。
海に入るには良い感じの気温の中、額へ汗を滲ませながら眼前に広がる海景色を見渡した。ジリジリとアスファルトを焼く陽光が降り注ぎ海面に煌めく夏の宝石。熱気を運ぶ風が体を駆け抜ければ夏の匂いが鼻腔を刺激し、耳を澄ませば……。
「夏の海だぁー!(夏の海だぁー!)」
莉星と真人の燥ぐ声が聞こえる。
「よっし! 遊ぶぞー!」
「あーもう早く海入りたーい!」
「お前ら何しに来たんだよ」
「分かってるよ」
燥ぎ声から一変、普段の声に戻った莉星は俺の肩に手を乗せると親指を立てて見せた。
「――夏を満喫しにだろ?」
「ちげーよ。課題終らせにだよ」
「でも見てみろ! こんなにも綺麗な海が呼んでるんだぞ? ちょっとぐらい遊ばねーと失礼だろ!」
「そーだ。そーだ。それにこんなに人がいないなんて中々無いんだぞー」
確かに真人の言う通り夏休みに入って間もないからか人はあまりいない。
「いいか零。オレはな。この青の為なら赤く染まる事も怖くねー」
そう海を見つめる莉星の眼差しは水平線まで届きそうなほど真っすぐで、決意に満ちていた。ただ前だけを見て希望に満ち溢れた表情。莉星はここの誰よりも威風堂々としていた。
「それにオレは、赤より青が好きだー!」
最後に謎の理由を残し莉星は走り出した。それに続き真人と流華も。
肌を突き刺す日差しの下、その場に残された俺と夏樹は砂浜を走る三人をただただ眺めていた。
「行っちゃったね」
「はぁー」
正直、心のどこかではこうなる事は分かってた。だから特別何とも思わないが、暑さの所為か溜息が零れる。
「とりあえず私たちも行こっか」
「そーだな」
そしてまだ人もいないという事で半額で貸してくれたパラソルに守られながら俺が炭酸を飲んでいると、海へ驀地だったあいつらが脱ぎ捨てた服を(水泳の授業みたいに下から着てたらしい)拾った夏樹が戻ってきた。
「零は遊ばないの?」
「んー。今はいいかなぁ。暑いし」
するとすっかり全身ずぶ濡れの三人が駆け足で戻ってきた。
「おいおい! 見てみろよこれ!」
暑さでやられたようにやけに高いテンションの莉星が指差していたのは真人のお腹。俺は小首を傾げながらその場所へ視線を向ける。
「こいつ、ヘソにもピアス開けてんぞ!」
確かに真人の臍ではシルバーのピアスが静かに光っていた。両耳にも既に数ヶ所開いてるのにまだ開けるとは……。
「どんだけ開けるんだよ」
「でもいい感じだよねーこれ」
「ホントだよな。ていうかオレ見てるだけで腹痛いんだけど」
「別に痛くないって。でもまず莉星は、ピアス似合いそうな顔してんだから耳から早く開けなって」
莉星の顎を鷲掴みにし右へ左へ向けては耳を見る真人。
「あたしが開けてあげるからさ。ていうか開けさせて」
「ヤだよ。いたそーだし。それに体に穴開けるとかありえねー」
「痛くないって。全くチキンなんだから」
「オレは鶏肉好きだから別にいーっての」
「じゃあ零は? 開けさせて!」
この中でピアスを開けてるのは真人と流華だけ。流れとしては自然なのかもしれないけど、とんだとばっちりだ。
「生憎ピアスには興味ないからな。俺は誰かが付けてるの見るぐらいで十分だな」
「じゃあ夏樹! 痛くしない自信しかないから、ねっ!」
もう手あたり次第だ。何でこんなにも人様の体に穴開けたがってるんだよこいつ。その姿勢が普通に怖いだろ。
「私は……ちょっと興味あるかな。でも今は、ね」
「はい! 頂きました。それじゃあ開けたくなったらいつでも言って。絶対にあたしに開けさせてね! 約束だから」
「わ、分かったって」
人目も憚らず真人はガッツポーズをした(人目はないと言っても過言じゃないけど)。
「それじゃあまた海行こー!」
「よーし! 行こー!」
今度は流華の声で三人は海へと帰って行った。そんな三人の後姿を眺めながら隣に夏樹が腰を下ろした。
「お前ピアス開けるの?」
「え? うーん。分からないけど興味はあるかな。似合うと思う?」
そんな質問をされ俺は夏樹の顔を見ながら想像してみた。どんな顔がピアスの似合わない顔か分からないし、どんなピアスをするかにもよるとは思うけど……。
「別に似合わないって事はないと思うけど」
「そっか。良かった」
余程気になってたのか夏樹は少し安堵の交じった笑みを浮かべた。
すると夏樹は自分の鞄から徐に画用紙と色鉛筆を取り出した。
「折角だからね。ちょっとぐらい描いとかないと」
俺は一度、海で遊ぶ三人へ目を向けそんな夏樹と見比べた。
それから俺も同じように道具を取り出した。
「そーだな」
学校以外でこうやって画用紙を広げるのは久しぶりだ。蒼穹に浮かぶ雲のように真っ白な画用紙。それを目の前にすれば若干、懐旧の情が浮かびあがってくるような気もする。
「ちゃっちゃと適当に終わらせるか」
無限の可能性を秘めた白から顔を上げ、眼前の景色へ目を向けると莉星、流華、真人が遊ぶ海。三人が上げた水飛沫が昼間だというのに夜空の星々のように煌き、混じり合うことのない二つの「あお」の空間がそこにはどこまでも広がっていた。
その吸い込まれるような美景は、どう描けばこの魅力で白を彩れるか、なんてことを自然と考えさせる。頭の中で巡る色とりどりの構成。少しの間、俺は夏の暑さも忘れじっと眼前の景色を眺め続けていた。
そして何となく完成形が見えると手は色鉛筆へと伸びた。イメージをなぞるように色鉛筆を走らせ、何度も顔を上げてはその景色と進行形の絵とを見比べる。みんなで海へ来たことも、これが課題で適当に終わらせようとした事も忘れ一人黙々と。
俺は完全に一人の世界へ入り込んでいた。周りの声や絶えず包み込む熱気、潮の香り。視覚も含めた全ての感覚がただ目の前の絵を描く為だけの素材でしかない。見て、聞いて、嗅いで、感じて。俺という人間が感じている全てを凝縮して作られたイメージを落とし込む為の――色であり配置であり配色であり濃淡であり……。
だがそれはまだ半分も完成していない時だった。悟りでも開いたようにすっかり集中していた俺は色を変えようと画用紙から腕を退かした。するとそこにはびっしりと汗の痕がついてしまっていたのだ。暑さを気にしてなかったとはいえ、体はちゃんと現実世界で暑さを味わい続けている。結果、生理現象として汗を掻いた訳だがそれに気が付かないでいた俺は拭き取りもせずこうなってしまった。
それを目にした俺は我に返った。
「あっ」
「ん? どうしたの?」
いつの間にか描くのを止めていた夏樹がそう言って絵を覗き込んだ。
「あぁーあ。折角、良い感じなのに。これどうするの?」
「まぁまだ全然出来てないしもういーや。暑いし」
少し萎えた上に集中力が切れ暑さが一気に蘇ってきた。もうやる気は起きない。俺は画用紙を折り畳むと道具を片付けた。
「おーい。お前らいつまでそこにいるつもりだよ」
「早くみんなで遊ぼーよ」
「夏樹も折角、水着買ったんだからさ。ほら、行こう」
確かにもう描く気になれないし、暑いし。
そう思った俺は立ち上がり服を脱いだ。どうせ最終的には遊ぶ事になると分かっていたから俺も下に履いていた(こんなにも早くなるとは思わなかったけど)。
「まぁ折角、海に来たわけだからね」
そう言って夏樹も立ち上がるとあっという間に水着姿に。さっき真人が買ったと言ったからだろう。莉星と流華は「フゥゥゥー!」と演出的な声を出した。
「めっちゃいいじゃん夏樹!」
「可愛いし、良く似合ってるし」
「ちょい待ち! あたしも買ったんだけど?」
その反応に二人を止めた真人は両手を広げて見せた。それに対し莉星と流華は囃し立てるように声を上げた。
「こりゃもうそこら辺の男が放っておかないぞ!」
「雑誌に載れちゃうぞー!」
わざとらしさ満点の言葉にどんどんポーズを取っていく真人。
「はい。そこまで。お前らさっさと遊びに行くぞー!」
「おー!(いぇーい!)」
太陽へ向け大きく拳が伸びた後、俺は流華に手を取られ夏樹は真人に手を引かれ砂浜を走り出した。
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