第14話

 ビールは三杯目となり、マテ茶の代わりに白ワインとなっていた。「そうなの、こんな状況だから、職安も面接を止めていて、応募できないの」、大柄の男は下を向きながら何度もうなずく。「ニュースにあるとおり、どこも募集していないらしくてね、探そうとしても、なんか、わからなくて」「ほんとに、大変だよな」「けど、なんとかするわ、あれだけ元気もらったし」、多弁な女の話しを聞き続けていた男は、テーブルへの目線を変えずにいたが少し変わった間を微動しない体で用意したらしく、ぼそっとマスクを外した口を開いて「元気をもらったのは、こっちのほうなんだよ」「へっ」「不要不急なんていわれて、プロレスの興行も止められて、やんなるよ」「あら、どうしたの」「金かかるんだよ、ああいうの」「うん、そうよねぇぇ」「人も集まるし、ぜえぜえ言ってすげぇぇ唾飛ばすから、あんまよくねぇぇんだけど」「わかる、一生懸命だもんね」「やらねぇぇほうがいいんだけど、やっぱ、じっとしてられねぇぇしよ」、女は一瞬黙った──特殊景品ヲ受ケ取リ金勘定シタ──。「動かねぇぇと、こっちがまいっちゃうからさ」「そ、そうよね」「だから、赤字覚悟でチケット配って、迷っている連中を集めて、お客さんから元気をもらうことにしたんだよ」「まあ、そうだったの」「ばあさん、元気出たんだろ」「もっ、もちろんよ」「俺もなぁぁ、昨日の試合で、すげぇぇ元気出たんだよ」そう言って、大柄の男は両拳をテーブルに叩いた。

 女は大柄の男に手を振った。相手も遠くから振っている。(ヤッパリいけめんダッタワネ、マスク外シテモイカスヨウナ)女は隠れた口を緩ませていた。無駄を覚悟に、無為に抗って優しいプロレスラーは闘っていた。そんな心ある人が、良い手をしていると褒めてくれた。女はマスクの上から口元をかく。器量の悪い顔を少しでも隠そうと、小さい頃から手作りのマスクで自分を覆い、気づけば娘の顔にも手を伸ばし、夫は違うと相手を見つけて去って行った。特に手をかけることもないほど、とても良い心根を持って生まれた娘に、下手にして、指を失わせてしまった。けれど、それがきっかけで医療の道に向かい、今も母親への連絡も忘れて、きっと大きな、見えない、終わりのない仕事と対面している。女は曇る仕切り壁を前に、ぽつんと一人座り、時間を逃してきた。鬼のマスクが高く、綺麗な弧を描いて体を重ねた。人生は前向きに生きなくても、見ず知らずの人が勝手に前を進ませてくれる。別に望んでないのに。逃げるマスクが自分の、そして娘の道を選ばせた。そして今は、別のマスクが手を見つめ、行き先を切り開いてくれた。

 家に戻ると、ポストに娘からの封筒が入っていた。中には手紙と、柄のマスクが十枚ある。買ってきた肉が適温になるまま、女はそれぞれの中身を眺めていた。すると携帯電話が鳴り、見ると娘からだ。悪いことが続くこともあるけれど、時には良いことも連なって起こることがある。だから人生に足をつけて生きてられる。(イッツモ、ソウ、ワタシノ手ノ外ニイルンダカラ)。

 女は電話に出た。親の気持ち子知らずののんきな声が聞こえると、女は娘を遮って声を大にした「わたしね、星の王子様のような凄いイケメンに出会ったのよ、だから、だからねぇぇ、あたし、逃げるマスクじゃなくて、闘うマスクを作るのよっ」、娘は、笑ってこたえてくれた。

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グランマスクス 酒井小言 @moopy3000

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