第13話
(フフフ、ホントッ、オカシナ夢ヨネ)椅子に座る女は、同じ姿勢の緊張をほぐすように両腕をあげた。テーブルには紙が重ねられている。手を伸ばしてカップを取り、マスクをずらして口にあてると、マテ茶の渋みが舌をついた。(昨日ノセイネ、アンナ大乱闘)上瞼をやや持ち上げて、ふっと店内に目をやると(アラ、ぷろれすらぁぁカシラ)、周囲に際立つ大柄の男が店内に入ってきた。(昨日ノ試合ニ出テイタ人カシラ)──一試合目、緑ノ柄ノすぱっつ、黒イぶりぃぃふ、二試合目、黒ト黄ノ派手ナすぱっつ、青一色──、頭の中で眺めていると大柄の男は注文する前に席を探すらしく見回し、(ンッ、目ガ合ッタ)気づくとすぐ女の手元に目をやり、数秒、するとのしのし近づいてきて、「おう、ばあさん、昨日は観に来てくれて、ありがとな」と言うから、女は静止して、「あらら、あなたが」声の印象がリフレインして合致した。「そこ座っていいかい」「ええ、どうぞ」「他に空いてねぇぇんだよ、ちょっと頼んでくるから、とっといてくれよ」「はい、わかりました」。離れても大きい大柄の男を見ながら、マテ茶をすすり(ドウシテ、私ダトスグニワカッタノカシラ)、視線を動かさずにカップを鳴らして置き(声カシラ、デモ、口ハ開イテイナイワ)、とまり、(ドッカデ、私ノ顔ヲ覚エテイタノカシラ)。
「いやあぁぁ、全身がいてぇぇよ」男がエナメルのマスクの見えない口を開いてビールを置くのを待たずに、「どうして、わたしだとわかったの」「えっ、あ、ああ、手だよ、手」「手、手っ」「なんかさぁぁ、人の手を見る癖があんだよ」「そう、でも、手、どうしてわたしの手を」「換金所で、いつも手が見えるじゃん」──曇ッタ仕切リノ向コウデ、見エナイ顔ハ、札ヲ出ス皺ダラケノ手ヲ見テイル──「まあ恥ずかしい、こんな皺くちゃの手を」「そう、顔みえねぇぇから、手を覚えちゃって」「でも、たったそれだけで、よくわかるわねぇぇ」女は自分の両手を開いて見つめ、「似てんだよ、おふくろの手に」大柄の男はビールをごくりと飲み干し、「あらそう、あなたのお母さんに」「なんか、うまく言えねぇぇけど、編み物ばかりしてた手で、わかったんだよ」──平タイてぇぇぶるニかっぷガ置カレ、裁縫道具ハ脇ニアル──「そう、そうなのね」「暇さえありゃ、いっつもなんかしら編んでんだよ」──ちぇっくノ柄ノますく、ごむヲ通シテ、広ゲテミセル──「好きなのね、お裁縫が」「よくわかんねぇぇけど、そうらしくて」「ご健在なのお母さん」「ああ、元気にやってるよ」「ほんとぉぉ、いいわね」女は自分の両手をまじまじと見通した。
「今日でパチンコ店も終わりか、ばあさん」「そうよ、おしまい」「次の仕事はあんのか」「そんなすぐには決まらないわよ」「そうだよな、急だもんな」女はテーブルの書類を片づけながら「昨日はほんとありがとね、あたし、初めてだったけど、すごい興奮しちゃった」「そりゃよかった、じゃあ、元気でたか」目を光らせながら「うん、すごい出ちゃった、だからねぇぇ、昨日の夕飯なんて、珍しくステーキ食べちゃったの」「そいつはご機嫌だな、嬉しいこった」口元は隠れているが笑って、「裸の男が、あんなに激しくぶつかるなんてね、考えたこともなかったわよ」「いいだろ、迫力あって」「ほんと、すごいの、でもね、あなた、顔を知らないでしょ、だから、どの人かなあぁって、探したんだけど」「わかったかい」男は目を逸らしてビールを飲み、「たぶん……、四試合目の、紫のマスクね」女は大柄の男に指さして声を大きめに、「残念、違うな」「あれっ、違うの」「最後の試合だよ」「ええっ、最後の試合」──ろぉぉぷノ反動ヲ使ッテ跳ビ、ヒラヒラサセナガラ綺麗ナ宙返リヲスル──「まああぁぁ、あの人」「そうだよ、恐竜のようなマスクをした」「えっ、そっち」「はあ、なんだよ、そっちって」「わたし、こっちかと思った」「そっちこっちって、まったく、本当に観てたのかよ」男も女も見えない口元を揺らして笑った。
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