第7話

 女は窓口に十六万円の札束を叩き置いた。「なんだなんだ」「あんっ」「次の人が待ってるから、はやく行ってちょうだい」「なんだババア、おめえぇぇがとろとろ、金を出さないから待ってたんだろ」「うるさいうるさい、いけっ、いけっ」「ちっ、糞ババアが、不愉快だな」「ほっとけほっとけ、こんなところで働くババアだ、ひでぇぇババアにちげぇぇねぇぇ、くせぇぇのが感染るぞ」「感染させたのはおまえらだろ、大切な指を盗んで」「はあっ、何言ってんだこいつ」「もう行こうぜっ、みっともねぇぇよ」女は台を手の平で思いきり叩いた「おまえらのせいだからな、はやくこの世からいなくなれ」──包帯ヲシテ横ニナル少女ハ泣イテ謝ッテバカリ、泣イテ謝ッテバカリ、可哀想ニ可哀想ニ、マダマダ先ノ人生ハ長イノニ、足トハイエ、指ヲ失ウナンテ、可哀想ニ可哀想ニ──。「おだやかじゃないねぇぇ、ばあさん、どうした」次の客が少ない特殊景品を窓口に置いた。「なんでもないのよ、なんでも」女は素早くそれを取り、荒い息づかいで数え始めた。「あいつらこんな平日の昼間からうろうろと……、まあ、俺もそうだけど」「ひい、ふう、みい」「マスクもしねぇぇでべらべらしゃべって、唾がとんで危ねぇぇよ」「マスクっ、あいつらにマスクは必要ないよ、悪いことしかならないんだから、感染してばかりで、迷惑な連中だよ」「まあな、まあ、そうだよな」「えっと、ひい、ふう、みい……」。

 「ちょっと、あなた、今晩のおかずは何にするの」、(フン、芋デモ食ッテリャイイジャナイノ)、「あら、あなた、マスクがずれてるわよ」。

 毎日過ごしていれば悪いニュースばかりが入ってくる。東京がああだ、海外はこうだ、会社がそうだ、同僚はほうだ、良い知らせはみんな端へやられて、望む便りはいっこうにやってこない。女は人の気配がいっそう失せた商店街を歩き、シャッターを見ながら唇をなめた。消えていくって悲しいことだ、前は本屋だったここもとっくに辞めて、隣の婦人服店も静かに黙ってしまった。練り物の香りを冬に届けていたおじさんもいつの間にか、増えるのはフランチャイズのテカテカしたドラッグストアや、均一料金で販売する安っぽい店だ。(マア、助カルケド)昔なんて靴磨きをする得体の知れないじいさんもいた。鼻を垂らした子供たちが細い足で騒ぐこの通りに、どうやって生きているのかわからない怪しい行商人もいて、どの人も小汚い格好で臭いけれど、鼻をつまんだり顔をそむけることはなく、その人の表情を見れば暮らしは覗けたものなのに、今ではただでさえ見えない人ばかりか、口と鼻も覆われてしまって、やたら化粧した偽物の目ばかりがキラキラしている。(ドイツモコイツモ同ジ目、にゅぅぅすニ流サレル個性ノナイ目元ト睫毛ダワ)──金髪ノ女ノ子ハぎらぎらシタもぉぉぶデ影ヲ流シテイル、下手ナあいらいんデモ、溌剌ト背伸ビシテイル──(アノ男ニ似タノヨネ、私ダッタラ、モット器量ハ悪イモノ)ドラッグストアに貼られているポスターを見て足早に過ぎると、パンダか熊か判然しないイラストのキャラクターが蛍光色を背景に新しい店をオープンさせていて、灰色や黒のマスクを着ける若者が大勢並んでいた(マタたぴおか屋)。

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