第2話

 (人類ノ歴史ニますくガアッタノカ知ラナイケド、私ノ歴史ニハ欠カセナイ物ネ)女は特殊景品を数枚の札に換えて、窓口に置いた。すると骨太い声とは裏腹に、皺のない細長い、華奢な指がさっとそれを取った。(体ヲ動カス人ミタイダッタケド、ほわいとからぁぁカシラ)シルエットもぼかされたガラスの向こうに黒い髪と肌の色、そして白い張り紙のような物はすぐに消えて、何もなくなった。

 「おつかれさまでした」タイムカードを差し込んでから女は扉に向かうと、「ちょっとぉ、待ってあなたぁ」白髪の女が近づいてきて、「今日の夕飯は何にするの」と訊いてくる。「今日、今日はねぇぇ、煮付けにしようかしら」「煮付け、煮付けね、いいアイデアね、何を煮つけるの」「んとねぇぇ、ハゲかカレイかしら」「カレイねカレイ、それいいわね」「でも、スーパーに行ってから」「そうよね、何があるかわかんないからね、そうよね、でもいいわ、わたしも今晩は煮付けにしよ」手を打つのを見て、(今夜ハ巻キズシガイイワネ、穴子ガ食ベタイワ)指を口にあてて扉へ歩き出そうとすると、「ちょっとあなたぁ、マスク忘れているわよ」「あらっ、マスク」──大キナからすがれいガ水揚ゲサレルト、タダチニ白イますくヲ口ニハメラレ、スカサズ用意サレタ鍋ニ入レラレルト、ますくゴト煮ツケラレ、甘辛ク黒イ醤油色ニ布地ハ変色シテイク──、「そうね、マスク、忘れていたわ」「あなた、マスクしないで外を歩いたら、ひどいわよ」「そうよね、うっかりしてたわ」「わたしなんか、うるさくてたばこ臭い店内の掃除だから、マスクは欠かせないけど、あなたはいいわね、一人の部屋にこもっているから」「そうかしら、けっこう寂しいわよ」「うるさいよりましよ、わたしなんかいま、ほら」「あら、耳栓」「そうよ、これがないとね、パチンコ玉や放送だけじゃなくて、うっさいくそじじいのたわごとも聞かなくてすむの、いいでしょ」「あらやだ、それじゃあ、誰の声も聞こえないじゃない」「いいのよ、用があったら肩をたたいてくれるから」「でも、それじゃぁ、接触しちゃうじゃないの」「いいのよ、マスクさえしてれば、ちょっとくらい触れたって」なんて会話を続けていると、「おつかれさまでした」黒く顔を覆った若い男が二人の間を通って扉を出て行くので、「じゃあ、おつかれね、また明日」と言って女は鞄からパンダのマスクを取り出した(ツイツイ、忘レチャウノヨネェ、最近)。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る