グランマスクス

酒井小言

第1話

 洞窟から古代の壁画が発見されたとニュースで流れた。描かれたのは氷河時代らしく、ペンキに触った手で一面一杯に残すようなやり方で、長方形を歪ませた形が手前にも奥にも、遠近法ではない重層な表現で壁を埋め尽くしていた。白が最も多く目立つが、黒や灰もあり、植物のアラベスクや菱形の幾何学模様も混ざっていた。壁画の前で第一発見者らしきコーカソイドの人が立ち、インタビュアーの質問に興奮して答えているものの言語が違うのか、それとも音声が小さいからか、何を言っているかよくわからない。その背後の歪んだ四角形に埋め尽くされた壁画は流動しており、線と色彩は生気を持って数を増やしながら止まらず、氷河時代に描かれて固定されたのではなく、その始まりがその頃で、今もなお変わらずに生きているように見えた。(モシカシテ、コレッテ、ますくジャナイカシラ)そう思った途端に四角形の両脇に手形が貼られ、一瞬で驚異的な数に増加した。


 (変ナ夢ダッタワ)椅子に座る女は背を丸めた。(寝ル前ニ見テイタてれびガイケナカッタノネ)マニキュアのだいぶ剥がれた爪で親指の端を掻いた。「おい、おばさん、さっきからなにやってんだよぉぉ」「はいっ」「とっとと換金してくれ」「えっ」「置いてあんだろ、はやく勘定しろよ」「あっ、ああぁぁ、はいはい、ごめんなさいねぇ」「ぼけてんじゃねぇぇよ、くそばばぁがぁ」聞こえる小さい声を耳にしながら、女は曇ったガラスの下の穴へ手を伸ばし、プラスチック板に金の閉じ込められた特殊景品を手にとった。(ソンナ昔ニ、ますくナンカアルワケナイノニネェ)。 

 昨日の夕食さえ覚えていられない。痴呆や健忘ではなく、健康な初老の女性らしいうっかりした態度だ。いつから流行したのか、一年の経つのは早いけど、忘れるのはさらに何倍も加速しているようで、春と秋の花粉症と、冬の乾燥を防ぐ為のマスクがいつからこんなに広がったのだろう。女は昔からマスクをしていた。子供の時に書店で震えながら立ち読みした口裂け女の小話で、マスクは女の美を隠すものと恐怖して知り、器量は決して良くない、億万回という鏡の前で気にした事実を消すためにいつの間に、いつからか夏の盛り以外はマスクをしていた。看護師なら年中マスクできるのに、転転した職ながら、今ではガラス板に貼られてマスクなく顔を見られることもない。

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