第15話 四人目

 貞目内科医院の診察室前で、シャツのポケットからスマホの鳴る音が響く。小丸久志が画面を見ると、実家からの着信だった。そう言えば娘と話して何時間くらい経ったのだろう。いや、実際はそんなに経っていないのかも知れないが、強いショックを受けたからか久志の頭はちょっと呆けているようだ。


「もしもし」


「父さん、大丈夫?」


 電話に出た恵の声は震えている。いまにも泣き出しそうだ。ああそうか、きっとさっき国道で巻き込まれたあの発砲事件のことを知って不安になったんだな。久志は落ち着いた声で恵を安心させた。


「うん、父さんは大丈夫だよ。まったく問題ない」


 すると恵は安心したのか、電話の向こうで大きなため息をつく。


「よかったあ。父さんが巻き込まれてたらどうしようかと思ったの。じゃあ、いまショッピングモールにはいないのね」


 ここで飛び出した想定外の単語に、久志は思わず聞き返した。


「ショッピングモール、て何で」


「え、だってショッピングモールで銃撃戦があったって。いまニュースでやってるよ」


 ショッピングモールで銃撃戦? 撃ったのは自分たちを狙ったあの犯人だろうか。だが銃撃戦ということは、銃を持っていた者が二人以上いたことになる。まだ別に拳銃を振り回すヤツがいるというのか。何だ、いったい何が起こっている。疑問は尽きないが、いまはとにかく恵の身が一番大事だ。久志は強くハッキリした口調で言った。


「とにかく父さんは大丈夫だから、恵は戸締まりをキッチリしなさい。お祖父ちゃんとお祖母ちゃん以外の人が来ても玄関を開けちゃいけない。いいね」


「父さん、まだ帰って来れないの」


 不安げな恵の声に久志の心はかき乱された。全部投げ出して娘の元にいますぐ駆けつけたい。だが明後日まで、明後日の朝までは散場大黒奉賛会の新入信者として研修を受けねばならないのだ。


「ゴメン、なんとか少しでも早く戻れるようにするから」


 口からデマカセだ。とりあえず嘘でも何でも並べて、いまこのときだけを取り繕おうとする。自分のこういうところが本当に嫌になる。スマホを握る久志の手は自己嫌悪に震えていた。


「……うん、わかった。ワガママ言ってごめんなさい。待ってるね」


 恵の顔は見えないが、無理をして微笑んでいるだろうことは伝わってくる。自分のしていることは、すべて恵の笑顔のためなのに。そのはずなのに。


「ああ、それじゃ切るから」


「気をつけてね」


 寂しげな声を残して電話は切れた。眉間に深い皺を寄せ久志がため息をついたとき、診察室の扉が開く。マルチーズのボタンがピョコンと起き上がり尻尾を激しく振った。縞緒に支えられながら立つ黒づくめの少女の全身の傷口にはガーゼが当てられ、テープで止められている。


「抜糸の必要はないが、傷口は簡単に開くからな。暴れるなよ」


 背後から聞こえる貞目の声に振り向いてうなずくと、“りこりん”は久志と釜鳴に頭を下げた。


「お世話をかけました」


「い、いや僕の方こそ助けてもらって礼も言わずに」


 ぎこちなく立ち上がった久志を軽く馬鹿にしたように一瞥すると、縞緒は静かにこう言う。


「そういう訳で、四人目の入信者です」


 これには久志と釜鳴が同時に間抜けな声を上げた。


「はぁ?」




 強行犯ではあるが死人は出ていないため、捜査一課は最低限の人員しかいない。まだ国道の現場を引き揚げる訳には行かないからだ。よってショッピングモールの現場を仕切るのは鮫村たちとなる。鑑識課員の面子はさっきの現場とは違うものの、このところ立て続いた事件ゆえか疲労の色が濃い。


「茶髪の作業服を着た男と、大柄な坊主頭の男が撃ち合ったようです。証言は複数」


 部下の報告に鮫村は首をかしげた。


「誰が何の銃を持ってた、とかはわからないよねえ」


「見分けまでは、さすがに」


 まあそれは当たり前だ。撃ち合っている銃の名前までわかるようなガンマニアが、そうそうどこにでもいる訳がない。鮫村がため息をついていると、小さなビニール袋をいくつも持って鑑識課員がやって来た。


「鮫村課長」


「見つかった?」


「七・六二ミリのトカレフです。あと九ミリパラも」


「パラねえ」


 鮫村は不服げに顔を歪ませる。九ミリのパラベラム弾は、現代の銃の標準弾と言っていい。要するに、この弾を撃てる自動拳銃は世の中に腐るほど種類があるのだ。銃種を特定するだけで一苦労だろう。


 そこにもう一人部下の刑事がやって来た。


「課長、フルフェイスのヘルメットをかぶった緑色のライダースーツの女が目撃されてます。ただし銃は撃っていないと」


 この女が国道の現場にいたのと同一人物だとすれば、茶髪か坊主か、どちらかの男に銃を渡した可能性がある。それがトカレフだった場合、相手が九ミリパラの自動拳銃を持っていて撃ち合った訳だ。


「なるほどね。全然わからない」


 鮫村は眉を寄せた。トカレフを使った殺人事件の標的は、これまで無差別的に選択されていたように思える。だが、今回たまたまトカレフを使って撃ち殺そうとした相手が、たまたま九ミリの自動拳銃を持っていて、たまたま銃撃戦になった、などという確率が、この日本でどれだけあるだろう。ほとんどゼロだと言っていい。


 ならば、この現場においてトカレフは差別的に標的を選択したはずだ。そして相手も自分が狙われていることを知っていたために銃を所持しており、ここで両者が衝突したと考えるべきだろう。では誰だ。トカレフはいったい誰を狙っている。またトカレフがこれまで無差別と思える殺人を犯して来たのは何故だ。


 ここまで考えて、鮫村はまたひとつため息をついた。いかんいかん。誰かを狙っているのはトカレフではない。トカレフの持ち主だ。トカレフに意思があるはずはないのだから、そう思いながら。

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