第12話 縫う

 釜鳴はコルト・パイソンを持ち、黒衣の少女は刀を持っている。いかにそれが他人を守るために使用されたのだとしても、銃刀法違反なのは間違いない。警察に身柄を拘束されれば、久志と縞緒は教団に戻れるだろうが、二人は下手をしなくとも留置場行きとなる。


 すなわち自分の命の恩人を前科者にはしたくなかった、という美しげな建前は一応あるのだが、実際のところ久志の考えとしては、散場大黒奉賛会の潜入捜査を行なう上で、釜鳴の協力を失う事態は避けたかったのだ。自分は独善的に過ぎるのだろうかと久志は心の中で思う。


 全身黒づくめの少女を背負った縞緒を前後で挟むように、久志と釜鳴が走る。その横を真っ白い小犬も走る。脇道に入ってすぐ、遊具らしい遊具もない、芝生とベンチだけの公園で久志はどこかに電話をかけた。


 待つこと十五分。低いエンジン音を響かせながら前に停まったのは黒いSUV。久志が急いで助手席側の降りた窓に近付くと、運転席から鋭い視線を飛ばすのは、六十絡みで細身の男。久志は小さく頭を下げた。


「すみません、先生」


「いいから乗れ」


 久志の合図で縞緒たちが駆け寄り、後部座席に縞緒と少女とその膝に白い犬、そして釜鳴を乗せ、久志は助手席に乗り込んだ。道を知り尽くしているのだろう、SUVは国道には出ず、細い路地を縫うように走る。久志に先生と呼ばれた運転席の男は、視線を前方に向けたままこうたずねた。


「娘は生きてるか」


 その不躾とも思える問いに久志は腹を立てるでもなく、親しげな笑みを浮かべる。


「はい、まだ生きています」


「ならいい。来月また薬を取りに来い」


 SUVは何度も細い路地を曲がった末に、川の堤防沿いの道へと出た。沈黙する車内とは裏腹に、タイヤは猛然とその道を加速する。そして五分ほど川沿いの風景の中を走った後、静かに減速して駐車場へと入って行った。入り口の看板には「貞目内科医院」の文字が。




 服も脱がせず診察台に寝かせた黒づくめの少女の傷口に、久志に先生と呼ばれた男は乱暴に消毒液を浴びせかける。少女はこれで目が覚めたようだが、痛みに叫び声を上げることはなかった。


「傷口は消毒せずに塞いだ方が治りは早いが、時間が経っているし数も多い。厄介なことになりたくないだろう」


 貞目医師は背を向け、電子レンジにも見える消毒保管庫から何か取り出した。縫合用の針だ。


「外科は専門外でね。痛いし跡も残るが、どうする」


 縞緒が眉を寄せた。


「服を着たまま縫うのですか」


「裸にひん剥かれる趣味でもあるのなら、私は別に構わんが」


「でも麻酔もなしですよね」


「傷口は全身にあるからな、理屈として全身麻酔って手は確かになくはないが、そいつは麻酔医がいる大病院で相談してもらわにゃ。いまから紹介状を書くかね」


 貞目は縞緒に目もくれず、診察台の上の少女を見つめた。少女は苦しげに首を振る。


「……このまま、縫って」


「わかった。しばらく我慢しろ」


 針を手に貞目医師はうなずいた。




 貞目内科医院の診察室前、暗い廊下のベンチシートに釜鳴と並んで座り、久志はウォーターサーバーの紙コップを手にうつむいていた。診察室の扉の脇には、おでこにリンゴの飾りを付けた真っ白い毛のマルチーズが、ちょこんと利口に座っている。


「先生には、娘が世話になってまして」


 疲れた様子の久志の言葉に、釜鳴は同情を目に浮かべた。


「娘さん、どっか悪いんですかい」


「心臓が悪いのは間違いないらしいんです。ただ根本的な原因がつかめないようで、何度か病院を変わったんですが、そのたびに治療も変わって。娘も僕も疲れ果ててしまいました。そんなとき、偶然先生と知り合って、根本治療はできないが、症状を抑えるだけなら入院しなくてもいいと言われて」


 何かに思い当たったかのように、釜鳴はニヤリと笑った。


「その薬は手に入るが、少々高いのが玉に瑕、ってとこでやすかね」


 久志は苦笑してうなずいた。


「ええ、僕の安月給だけでは正直キツいところです。で、イロイロ悪いことにも手を出して」


「それがバレて、仕事を引き受けなきゃ終わりだぞ、と散場大黒奉賛会に送り込まれた。なるほどね」


 久志は黙って手の中の紙コップを見つめている。釜鳴は、ふっと笑った。


「アッシにゃ子供はいやせんがね、こんなヤツでも世話になった人間はいるんでさ。そいつから頭を下げられて、危ねえ仕事だが引き受けてくんねえかって言われた日にゃ、断る訳にも行きやせんでね」


 そう言いながら、上着のポケットから4インチバレルのコルト・パイソンを取り出した。


「こういうオモチャをね、取り扱ってやがるらしいんでさ、あの宗教。アッシの目的はそこだけでござんすよ。おたくさんらの仕事の邪魔をする気なんざねえんで、安心しておくんなさい。ただ」


 顔を上げた久志に、釜鳴はニッと笑う。


「前も言いやしたが、あの縞緒のお姉さんにゃ近付かない方がいい。あと、あの黒いオベベのお嬢ちゃん。アンタ女に弱そうでやすからね、フラフラ近寄りそうで危なっかしくていけねえ」


「……そんなに女性にだらしなさそうに見えますかね」


「見えやすねえ、残念ながら」


 反論はできなかった。図星だと自分でも思う。それに縞緒とは昨夜事務室に忍び込んだ仲である。いまさら知らん顔をするのもおかしい、ような気がする。久志はそんなモヤモヤした気分で天井を見上げた。診察室からは、まだ誰も出て来ない。




「ライダースーツの女?」


 覆面パトカーの後部座席で鮫村は眉を寄せた。ろくな仮眠も取れないままに、また拳銃の発砲事件。もう課長室でイライラと時間を潰すのはこれ以上ゴメンだ。精神衛生上悪い。真夏のカンカン照りなのは気に入らなかったが、県警の建物から出られるならば我慢もできると課長自ら現場に出向いたのだ。しかしそこで得られた情報は、真相に迫るより困惑を生んだ。


 深夜のネットカフェで防犯カメラに映っていたのは、おそらく中東系の男だ。だがこっちの国道で銃を持っていたのは、グリーンのライダースーツにフルフェイスのヘルメットをかぶった女だという。まったく違う事件だと判断していいのだろうか。アメリカでもあるまいに、こうも立て続けに別の犯人による拳銃発砲事件が起こるとは、いささか考えにくいのだが。


 捜査一課の連中は鮫村に近寄ってこないが、顔を見ればわかる。抱いている疑問は同じに違いない。そこに鑑識課員がビニールの小袋を持って一課の責任者に歩み寄り、困ったような顔でうなずいた。その言葉は鮫村の耳まで届く。


「たぶんトカレフです。七・六二ミリの」


 小袋の中身は銃弾か薬莢だろう。どういうことだ。鮫村は首をひねらざるを得ない。ネットカフェの件も結局トカレフだった。犯罪者の間にトカレフがまた流行でもしているのか、それともただの偶然か。まさか同じ銃で別人が犯行を繰り返している? 組織的な犯罪の可能性は否定できないが、しかし何故わざわざ同じ銃でなくてはならんのか。それもトカレフなんて古い銃、いったいどんな意味がある。


 鮫村が頭を悩ませていると、一課の現場を仕切っている古株の刑事、倉橋警部補がこちらに来るのが見えた。まあ、言いたいことは顔を見ればだいたいわかる。何か情報を隠しているのではないかと疑っているのだ。


「鮫村課長」


 話しかけようとした倉橋を手で制し、鮫村はこう言った。


「ここは一つ、腹を割って話さないか。時間がないのはお互い様なんだから」


 もちろん鮫村は何の情報も持っていない。つまり何も持っていないのだから、腹を割ったところで損をすることは有り得ないのだ。

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