第10話 論を交える
小さなスナックのカウンター席で、真っ赤なロサンゼルス・エンゼルスのキャップを手にしたマーニーは、出された野菜スティックのキュウリを珍しそうに口に運んだ。
「いまひとつよくわからんのだが、いったい何故そうも外国人を嫌うのだ」
これに並んで座る白い特攻服の男がムッとした顔で返答する。
「子供にはわからん」
「子供にもわかるように説明してくれんか」
「別に外国人が嫌いな訳ではない」
一口ウイスキーを含んで、いまいましげに言葉を吐き出す。
「ただ日本で我が物顔に振る舞っている外国人が許せんだけだ」
「日本人なら許せるのか」
「日本人でも許せんさ。だが外国人はもっと許せん」
「それは単に外国人が嫌いだからだろう」
「違う!」
特攻服はグラスをカウンターに叩き付けるように置くとマーニーをにらむ。
「いいか、この日本は日本人のための国だ。フィリピンはフィリピン人のための国だし、アメリカはアメリカ人のための国だ。それぞれの国で生まれ育った人間は、それぞれの国で暮らせばいい。そう考えることの何が悪い!」
キュウリスティックをポリポリかじるマーニーは、首をかしげて特攻服を見つめる。その目の奥に楽しげな気配すら漂わせて。
「しかし自分の国の中に幸せが見つけられない人間もいるぞ」
「それはその国の政府が悪い! 制度やシステムや宗教や慣習が悪い! なのに悪いところを放置して変えようともせずに外国を頼る、いや頼るだけならいい、問題は自分がその外国に助けられて当たり前、幸せな暮らしを与えられて当たり前と思う性根の卑しさだ!」
「日本人に卑しい者はおらんのか」
「いるさ! 山のようにいる! だがそれは日本人の問題だ。日本人が何とかすればいい。腹が立つのは、外国から持ち込まれてくる問題まで日本人に何とかしろということだ。何故そんなことをしなきゃいけない。問題を起こした連中は全員本国へ強制送還で何が悪い。世界中がそうすれば平等で公平だろうが!」
特攻服の男は心底悔しそうにグラスを握りしめた。マーニーはその横顔をのぞき込む。
「世界中が平等で公平な方がいいのか?」
この問いに特攻服は、ギョッとした顔で黙り込んでしまった。ニンジンスティックをかじりながらマーニーは問いを重ねる。
「日本が豊かで平和なら、隣の国が貧しくても別に構わないのではないのか?」
「いや、それは」
言葉が出て来ない特攻服に向かって、マーニーはこう言い放つ。
「この世界に平等も公平もあるはずがない。それを知っていてそんなことを言っておるのだろ。所詮は恵まれた者のねじ曲がった理想主義だ」
特攻服の男の目に暗い火が燃えた。アスパラガスをポリポリかじるマーニーを見つめる視線には怒りと屈辱と、その他イロイロと面倒臭そうな感情が揺れている。手が握り拳を作ったそのとき。
ハッハッハッハッハ、大きな笑い声がよどんだ空気をかき消した。振り返ればボックス席のターさんが、マーニーに体を向けている。
「ねじ曲がった理想主義とはエラい言われようやね。けどまあ、確かに机上の空論に近い考え方やわな。しかしお嬢ちゃん凄いな、言葉を知ってるだけでも凄いのに、ちゃあんと理解して使こうとる。たいしたもんやわ」
ニンマリ笑うターさんに、マーニーもニッと歯を見せた。
「言葉を話すオウム扱いはやめて欲しいな」
「いやいや、褒めてるんやで。ただ、理解できる頭があると思うから言うねんけど、理想主義と現実主義は人の思考の両輪なんよ。ねじ曲がってようが何しようが、理想主義は現実主義と同じ比重で必要とされないかん。どっちかに偏ったらそのままハンドルを取られて崖下に落ちてしまうのが人間やからね」
これにはさすがに同意できない、という顔でマーニーはターさんを見つめる。
「間違った理想でも、ないよりマシと言いたいのか」
「そう、現実だけ見てたら人間は頭おかしいなるから。世界がこうあって欲しい、っていう願いや祈りがないと自分を保てんようにできてんのよ、我々は」
「だったら世界中が仲良く平和に、って願い続けてもいいのではないか」
「それは平等や公平と同じレベルで無理やってわかってるから。そやから我々は次善の理想を求める訳よ。世界を国単位で区切って、その中でその国なりの平和や平等や公平が実現しますように、っていう風に」
「だから外国人は自分の国へ帰れと?」
マーニーの問いに相手をやり込めようという意思は見えない。極めて素朴な疑問を重ねているだけなのだ。
「何も世界中が鎖国をせいとは思ってないんやけどね」
ターさんは微笑む。
「たとえばフィリピン人が日本に来る理屈は理解できるんですわ、我々も。要はお金、仕事ですわな。この世がお金で回ってる限り、それを求めて人口の流動があるのはある程度仕方ない。そこまで全否定するつもりはないのんですよ。ただ」
「ただ?」
赤いキャップでパタパタあおぎながら首をかしげるマーニーに、ターさんは一つうなずいた。
「日本にどうしても入って来たい、て言うから入れてあげたのに、日本のルールを守る気もなきゃ日本の文化に敬意を持つ気もない、そんな外国人もおる訳ですわ、悲しいかな。中には商売っ気すらなしに、宗教を『教えてやる』みたいな面倒臭い連中もおる。これは放置できませんわな」
「その面倒臭い連中を排除できればいい?」
「理想はね。けどそれこそ机上の空論極まりない。実際には当局の人員も有限、予算も有限、箱の中から腐ったミカンだけ取り出すとか費用対効果、コストパフォーマンスが悪すぎて無理、手の打ちようがない。それやったら、全部まとめて追い出したらええんやないですか。それが合理主義いうもんでしょうが。我々はあくまで、その手伝いをしてるだけ。それを余計なお世話と思うのも自由、賛同するのも自由ですわな」
話を聞き終わってマーニーは、感心したかのように目を丸くした。
「なるほど」
「わかってくれましたか」
微笑むターさんに、マーニーも笑顔を返す。
「理屈と
この言葉を受けて、ターさんのこめかみに青筋が浮かんだ。
「……は?」
「もしかして知らないだけならいかんから一応言っておくが、敬意は金では買えないぞ」
マーニーは椅子の上で胡座をかく。
「敬意ってのは、こっちがお願いして相手に持ってもらうようなモノじゃない。相手がどうしても持ちたいって勝手に持つのが敬意だ。日本に来るヤツは日本に敬意を持ってるのが当たり前って思ってるんだろうけど、そんな当たり前は世界のどこにもない。もしあるとしたら日本の中だけだ」
そしてキャップを指でクルクル回しながら、大きなため息をつく。
「敬意を持たれている国や人間は、敬意を持たれるだけのことをしているから持たれているに過ぎない。日本人は何をしている。何をしてきた。何を根拠に世界から敬意を持たれて当たり前だと思い込んでいるのだ。まさか有名な大企業がいくつもあるとか、ノーベル賞をいくつも取ったとか、そんな些末な話ではあるまい」
これを聞いて白い特攻服の男が息を吹き返したかのように立ち上がり、大声を上げた。
「日本人がこれまで世界にどれだけ貢献してきたと思う! それに第二次世界大戦後、ヨーロッパがアジアに持っていた植民地が開放されたのは日本が戦ったからだぞ!」
これにマーニーはキョトンとした顔を見せる。
「で、おたく自身は世界にどんな貢献をしたのだ。アジアの開放戦争に参加したのか。もしも外国人が日本を尊敬せず文化にも敬意を払わない理由が、現代の日本人がみんな過ぎ去った過去に縋り付いているからなのだとすれば、それは当たり前の話ではないか」
「みんなが縋り付いている訳ではない!」
全身を震わせる特攻服に、マーニーは苦笑を返した。
「つまり、おたくらが騒いでるだけなのだろ」
「違う!」
するとマーニーの背後から、こんな声が。
「そうね、ちょっと違うわね」
マーニーが振り返れば、ママは青くなってきたヒゲ剃り跡を手鏡で気にしている。
「この国じゃね、過去の栄光に縋り付いてる人たちと、過去の亡霊に取り憑かれてる人たちが、延々と殴り合ってるだけなのよ。何が正しいもクソもないの。それ以外の人たちはシラけちゃってるし。でもいまの日本を支えてるのは、そのシラけちゃってる人たちなんだけどね」
「よくわからんのだが、栄光に縋り付くのと亡霊に取り憑かれるのは、何か違うのか」
頭上にクエスチョンマークを浮かべているかの如きマーニーに、ママは微笑みウインクしてみせた。
「本人たちは違うと思ってるわよ。周囲から見れば大差ないけど」
「ママさんはシラけてるんだな」
「あーら、アタシは右であろうと左であろうと、上だろうと下だろうと、お客様なら大歓迎よ。あんまりうるさい馬鹿は外にほっぽり出すけど」
特攻服もターさんも、ムッとした顔で黙り込んでいる。このママにはあまり強気に出られないのかも知れない。
と、不意にマーニーがキャップをかぶり直し、椅子を降りた。
「起きたようだな」
勇作は眠っていた長椅子から、顔を手でこすりながら重そうに体を起こす。
「……何時間寝た」
これに答えるのは、ちょっと腹立ち紛れのママの声。
「五時間よ、五時間。アタシの睡眠時間返して欲しいわ、もう」
顔を押さえアクビをかみ殺す勇作に、マーニーは面白そうに顔を近付けてたずねた。
「気分はどうだ。あまり良さそうには見えんが」
「何か説教される夢を見てたような気がする」
「それはいい夢だな」
「良くねえわ。ふざけんな」
「何にせよ、そろそろ移動せねばならんぞ」
マーニーの言葉を聞いて、勇作の目が鋭く光る。
「……来るのか」
「まだこれといった反応はない。だが来ないはずもあるまい」
偉そうに言うな、勇作がマーニーにそう言いかけたのを遮るように、ターさんが声を上げた。
「何や、誰かに追われてんのか」
特攻服も動揺している。
「まさか警察じゃないだろうな!」
警察が怖いなら移民排斥などやめておけばいいのに、マーニーの視線はそう言っているかのようだった。
「警察じゃねえよ。いや、警察にも追われてる可能性はあるが」
勇作はゆっくりと立ち上がる。
「とにかく、もっと面倒臭えヤツだ」
「う、動くなぁっ!」
どこかのポケットに入れていたのだろう、特攻服の男は黒い拳銃を取り出して構えた。だがトカレフではない。グロック17か、珍しい物持ってやがんな。勇作は小さく苦笑する。
「動くなよ、おまえら何を隠してる。正直に言え!」
震える銃口を向ける特攻服に、マーニーは赤いキャップのつばをチョイと上げ、困った子供を見守る母親のような顔を見せた。
「おまえら言うな。確かに隠してることはあるが、別におたくらが困る話ではない。どっちかと言えば、教えられた方が困る話だ。おたくらは話し相手になってくれたからな、できれば巻き込みたくない。そこをどいてくれんか」
「うるせえ! ピーナのガキが調子に乗ってんじゃねえぞ!」
特攻服の目はすっかり血走っている。
「やめんか、児島。拳銃は下ろせ」
静かに立ち上がったターさんを、特攻服の児島は横目でにらみつけた。
「立花さん、アンタどっちの味方なんだ」
「どっちの味方も何もあるか。こんなとこでピストル撃ってみい、後々どうなる思てんねん」
「知らねえよ、そんなこたぁ!」
児島はもはや、マトモな判断力を失っているように見える。銃口は勇作に向けながら、立花とママに殺気を飛ばすように血走った視線を送り、「クソ、クソ、クソ」とつぶやいていた。
そんな血迷った児島に、勇作は一歩近付く。
「児島さん」
「何だ地豪、やんのか、やんのか!」
一人興奮し口角泡を飛ばす児島に、しかし勇作は挑発に応じるでもなく、静かな笑顔で右手を広げて差し出し、こう言った。
「そのグロック、俺にくれないか」
これには、さしもの児島も呆気に取られる。
「……あ?」
「俺たちには銃が必要だ。銃がなきゃこの先、絶対に逃げ切れない。いま俺たちを追ってるのは、そういうヤツだ」
「ふ、ふざけんな! そんなこと知るか!」
構える腕がつらくなってきたのだろうか、グロックがガクガク上下する児島に対し、勇作はまた一歩前に出た。
「アンタ、銃なんか要らんだろう。いつも先頭には出て来ずに後ろで命令してるのがお決まりだ。何で銃を持つ必要がある」
「うるせえ! おまえなんぞに何がわかる! 俺はな、俺はなぁっ!」
「誤解すんなよ、馬鹿にしてる訳じゃねえ。組織や集団には、アンタみたいな立場のヤツもいなきゃならんのだろうさ。だがグロックは要らねえはずだ」
馬鹿にしてる訳じゃない、その言葉こそが何より馬鹿にしているのだ。頭の中でかろうじて児島を思いとどまらせていた「重し」がパチンと外れ、引き金にかかっていた指に力が込められた。
だが。
突如世界が回転したかと思えば、天井が見える。後ろから特攻服の襟を持って引き倒されたのだと理解したときにはもう、勇作の石塊のような拳が顔面にめり込んでいた。
「やあね、まったく」
気絶した児島の襟首から手を放し、ママは一つため息をつく。その力強い右腕に青い血管が浮き出ていた。勇作はグロックを奪うとジーンズの尻ポケットに突っ込み、立花に目をやる。
「申し訳ないが立花さん、後は頼むよ」
「行くんか」
「ああ、こんな形で出て行くのは気が引けるが、アンタらとはこれで終わりだと思う」
「ま、そういうこともあるんやろ。しゃあないわ」
そして立花はマーニーに微笑んだ。
「お嬢ちゃんも元気でな」
「お互いにな」
マーニーも笑い、片手を上げる。
カウンターの中に戻ったママは、壁のコルクボードにピンで刺していた名刺を手に取った。
「これ、持って行きなさい」
持って行けとは言われたものの、名刺が何の役に立つのか。受け取った勇作は首をかしげる。
「これは?」
「何から逃げるのか知らないけど、どうせ行く当てなんてないんでしょ。最終的に困ったら、そこに逃げ込みなさいな。聞いた話じゃ、かなりヤバいとこらしいけど、他のヤバいヤツからは安全かも知れない。命あっての物種だしね」
そうママに言われて、勇作は眉を寄せながら名刺の文字を読んだ。
「ちる……さん、さんじょう」
ママはやれやれといった風に首を振る。
「
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