第10話

 特急で四十分、在来線で一時間。ビルが消え、民家がまばらになり、あたりが田んぼだらけになったところで、電車を降りた。

 閑散としたロータリーとシャッターだらけの商店街。駅のすぐ横にあるレンタカー屋も、もう間もなく閉店だという。「もう来られなくなっちまいますね」「何とかしましょう。我々も長いことお世話になっていますから」などと、教授は親しげに店主の老人と話をしている。

 手続きを済ませて、旧型の軽自動車に案内される。近年は主流になった魔力駆動ではなく、ガソリンエンジンとのハイブリッドのようだ。操作に不安を感じたが、店主曰く使い方は同じだと言うので、恐る恐るスイッチに手を伸ばした。キーンという起動音のすぐ後に、エンジン音が聞こえる。もはや一部のコレクターしか持っていないというガソリンエンジンの駆動音を聞いて、僕は小さい頃に親が乗っていた車を思い出した。確かあれも、ハイブリッドだった。

 ロータリーで軽く慣らした後、商店街に向けて車を走らせる。目的地まではまだ距離があるそうだ。教授の案内で、山に向けて通っている幹線道路へ入っていく。

「……スネてる?」

「スネ……いや、連絡が無かったんで心配でしたけど」

「すまないね、方々で調べ物をしていたものだから」

「急に呼び出されたと思ったら、こんな山の中だし……何県なんですか、ここ」

「何県なんだろうね。場所によって違うらしいが」

「三県境みたいなものですか」

「よく知ってるね」

 ふふふ、と教授は笑った。上機嫌、なのだろうか。たった二ヶ月離れただけで、どう話して良いか分からなくなっている僕とは、全く違っていた。ただ、この他愛ない会話で少し楽になったのは確かだ。ありがたくもあった。

「あと、どのぐらいかかるんですか?」

「一時間ぐらいかな」

「相当行きますね。どんなご用ですか?」

「雨乞い」

 一瞬、何と言おうか考えたが、まあ、でも、無い話ではない。天候の操作はオリンピックなどの大きな競技会では認められているし、必要とあれば出来るということだ。聞けば、この話は元々、この先の山奥の村から、毎年、気象学の青葉教授が受けていたもので、獏教授は民俗学のフィールドワークを兼ねて、助手として同行していたのだそうだ。今年も同じく依頼があったが、直前になって青葉教授が体調を崩してしまい、獏教授が受けることになったと……。

「何か、事情があるんですね、その村。雨乞いするってことは」

「ああ……気流の関係とやらで、元々雨が少ない地域らしい。特に夏は全く降らなくなってしまうので、水不足が深刻なのだそうだ」

 一般的な梅雨の時期も存在するそうだが、他地域に比べれば雀の涙ほどで、すぐに川も貯水池も干上がってしまうらしい。それが毎年というのだから、魔法に頼るのも分かる。

「毎回、教授たちを東京から呼ぶなんて、よっぽど大規模にやらないといけないってことなんですね」

「まあね」

 坂道が続く。そろそろ山に入った、と言うことだろうか。時折ギアチェンジが必要な時がある。あまり手入れされていない古い舗装にタイヤが取られて、大きく車体が跳ねる。

「智樹くん……魔力とは――その根源とは何だろうね」

「えっ……カロリーとか気力とか、そうだって言われてますけど」

 唐突な質問に、僕は基礎理論の授業で習ったことを答えた。

 魔力とは、人間の精神活動によって発せられる、目に見えない微小な粒子であり、空気中に漂っていたり、植物などの有機物が含有したり発している自然の魔力と結びつくことで魔法が使える。かつては“気力”とか“精力”とか呼ばれていたもので、失った分は食事や睡眠によって回復する。

「うん、一般的な論説だ。とりあえず世の中ではそういうことになっている」

「とりあえず、って」

 教授は呆れたような声で続ける。「要は“信じる心”なんだ」

「………はい?」

「魔法を信じる気持ち、心。それが根源だ。——と言ったら、どうする?」

「どうするもこうするも、今すぐブレーキ踏んで面と向かって問い詰めたいですよ」

「ははは、まあ、そうだよな」

 なんだろう、この暑さのせいでおかしくなっているんだろうか。目の端で教授の表情を見るが、至っていつも通りにしか見えなかった。だが問答は終わらない。

「そもそも、その粒子とやらはなんなのか、なんと言う名が付いているのか、どう観測したものなのか、それは分子なのか原子なのか——よく考えれば全てが曖昧だ」

「それは……」

「とても、とても曖昧なんだよ、この世界は」

 辺りはすっかり森の中だ。木陰が深くなり、先ほどよりは涼しくなったように感じる。だが、道が確実に狭くなっていることに気付く。静かに怯えながら、そろそろと車を走らせる。

「魔力とその仕組みは良い、きっと科学的にはそうなのだろう。だがその根源たるところは“信じる力”ときた。この、目に見えず、魔力という名の粒子より曖昧なものが、多大な力を生むのだ」

「——信じなければ、魔法は使えないってことなんですか」

「それについては半分正解だな。魔法を使うためには『魔力の生成』と『知識』があればいい。この二つがある人は、そもそも魔法を信じているということになる」

「使えるから知っている、知っているから使う、使えるから信じてる……?」

「まあ、そうなるね」

「じゃあ、いずれかが欠けていると、どうなるんですか」

「それこそが“魔法が使えない人”ということになる。魔力が無くても器具を使えれば魔法は使える。『知識』が無いなら学べば変わるだろう。だが、“信じない心”は最も曖昧で測ることが出来ない。“魔法を信じていない”、ということは、この世を否定することだ。この地に、あるいはこの世界にある魔法そのものを否定する。——ゆえに魔法は使えない。他の要素のある無しは問わない。それが一番厄介なんだ」

「でも、それが百人のうちの一人だったら、それはその人だけの問題でしょう」

「村人全員だったら?」

 藪の中に壊れかけた看板を見かけた。


『ようこそ 精霊村』


 かすれていたが、かろうじてそのように読めた。

「村人全員が、魔力をもたないか、魔法教育を受けていない世代だ。加えて土着の信仰が長年続けられてきたせいか、“議会”の関与も拒否している。現代魔法の恩恵はほぼ受けられていない。この五年間、私と青葉で陣を置いたり、いろいろと謂れを増やしてはいるが、未だ大規模な儀式が必要だ。——魔法を信じないことは、百人のうちの一人なら個人の問題だが、百人全員ならば、その空間全てに影響する。無論、他人に依頼をして受け入れているわけだから、全く通用しないわけではないが、ちょっとしたことにも魔法を使う我々からすれば、この村に滞在することは、強力なリミッターを付けられていることと同義だ」

 看板を過ぎたからには、もう村の敷地内に入っているはずなのに、道は開ける気配がない。草も木も道路に迫り出していて、車に傷が付きそうだ。ゆっくりと運転する。

「“誰でも簡単に魔法が使える”社会を維持している〈協議会〉がこの国のほとんどに張り巡らせている〈基礎魔法陣〉——それすらも「信じない」という一点のみによって綻んでしまう。そういう、曖昧で脆い社会なんだよ、この国は」

 枝木を折ってでも進むべきか、そう悩むほどに視界を覆っていた木々が不意に無くなり、眼前には畑と思わしき地形が広がっていた。

 やっと村に着いたらしい。進んでいくと、少しずつ民家も見え始めたが、ひしゃげた家の方が多い印象だ。ひと気は全くない。

「だから信じろってことですか。この世界を維持するために」

「逆に、あやふやだから、それを利用するということも出来るさ。要するに“強く信じる”ということだ。念じると言い換えてもいい。たった十分、外に出ているだけで雨が降る、そんな体質の君が、本気で心の底から“雨を降らせたい”と思った時、何が起こるだろうね」

「何か起こる前提なんですか……?」

「そうとも。君の中だか外だかには、何かがいるのを忘れたわけではあるまい。今回のことは儀式としてカムフラージュするが、その中で何かを起こしてみようというわけだ。その正体不明のものを確かめるんだ」

 枯れた田んぼ、しなびた野菜、がらんどうの池、ひび割れた土。

 朽ちていく村。

 この村は確実に消えていくだろう。それでも今、生きている人たちがいる。遠くに見え始めた影がそれを伝えていた。

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