第8話

 教授の叫びで目が覚めた。荒く息をしながら辺りを見回すと、すぐそばで教授が倒れていた。近づいて呼びかけたが、小さく唸るだけで返事が返ってこない。とにかく肩を貸して、ソファに寝かせる。部屋の奥にある簡易キッチンで水につけたタオルと温かいお茶を用意して、教授の額に浮いた汗を拭う。しばらくはうなされていた教授だったが、それほど時間をおかずに目を開けた。


「危なかった」ため息まじりに呟くと、教授はお茶を一口含んだ。「本当に帰ってこられてよかった」

「あれは、一体何だったんでしょう」

「貘を飲み込もうとしていたんだ」


 背筋が冷たくなった。獏が飲み込まれるということは、教授の魂も引っ張られていたかもしれないということか。


「少し強引だったかな」

「すみません、まさかこんなことになるなんて」

「いや、私が悪いんだ。攻撃されるとは思っていなかった」

「攻撃、だったんですか」

「明らかに君とは違う存在を感じた。君の魂とつながっている何かだ。その何かが、君の精神にアクセスしている貘を排除しようと動いたんだ」


 何か――漠然とした表現だったが、僕にとっては十分だった。僕の体質を改善するのには、その何かをどうにかすれば良いはずだ。


「何か、とは何ですか。生き物ですか」


 意気込んで詰め寄る僕を手で制して、教授は首を振った。


「今はまだ分からない。もっと詳しく調べたいところだが、魔法を使ったアプローチはもうできない。感づかれると厄介だ。別の面からやってみるよ」


 教授の顔に疲れが見えている。焦るなよ、と言いたげに僕の肩に手を置き、キッチンへ向かっていった。


「あの、教授……あんな、川の流れを生き物みたいに変えたり、大量の雨を降らせるものを、僕たちにどうにか出来るものなんでしょうか」


 それが中にいるのか、そばにいるのか、とにかく危害を与えるものなのだと思うと、手が、足が、震えた。いくら魔法が進歩しても、同じだけ現れる怪異に対して、どれだけ人間は対抗できているのだろうか。目の前にいる教授は、怪異と呼べる妖と共存してきた存在だ。教授と貘には長い間、それこそ一族が積み上げてきた千年の信頼関係がある。それにだって、慢心してはいられない緊張感がある。

 僕と、何か。姿も気配も見えない相手。それを、どうしていくのか。


「今回は君の体質について、呪いでは無いと分かったことを良しとしよう。一歩前進というところだ。約束――いや、契約したからには、それを果たそう。まだ五体満足であるなら、やり方はある。今日はゆっくり休みたまえ」


 思いがけず肩を叩かれて、ハッとした。全てはこれからだ。

 帰りがけに小さなティーバッグを渡された。包にはカキツバタの絵が描かれている。


「また連絡する」


 ゆっくりと扉が閉まった。

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