第5−1話

 大学の最寄り駅まで十三時に集合、と聞いたが、緊張して二十分も早く着いてしまった。一体、どんな仕事なんだろう。全く想像がつかない。僕自身が何か必要なことなのだろうか。いや、こんな魔力の少ない人間は、いても何もできない。せいぜい物を運ぶとか、雑用として呼ばれたにすぎないんだろう。過度な期待はしないほうが得だ。


「こんにちは、智樹くん」


 目の前にマントをかぶった人が現れた。この前とデザインは違うが、おそらく教授だろう。また心臓が口から飛び出しそうになったが、正体が分かっているだけマシだろう。


「今日は小さくないんですね」

「ん? ああ、あれは目くらましだよ。多少なりとも愛らしい印象を持たせたくてね」


 大きなマント人間より、小さなマント人間のほうが怖くない、という理論らしい。どちらにしても異形っぽい見た目ではあるんだが。


「では向かおうか」

「どちらまで?」

「日比谷まで」


 教授は僕の分の電車の切符も一緒に買って、地下のホームまで一直線に歩いていった。(財布を出す間もなかった)

 この駅から日比谷までは、全て地下鉄と関連する通路だけで移動できる。自惚れかもしれないが、こうした移動が僕の体質に配慮してのことだろうと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。数分も待たずにやってきた電車に乗り込むと、乗客全員が息を飲むのが聞こえた。この姿は自衛のためなのだ。仕方ない。そう言い聞かせて、隣同士に座席についた。

 近年、従来と比べて簡便な移動魔法が開発されて、それなりに力のある人は、移動距離を魔法で省略するようになった。都市部では〈移動〉するための座標でありセーフティエリアとなる魔法陣が〈協議会〉によって各所に整備され、車に乗る人も、電車に乗る人も減っているという。そのせいか、僕たちが乗った電車も、かなり空いていた。一瞬は教授の姿に目を丸くしていた人々も、すぐに関わりを避けるように携帯端末に目を落としたり、本を読んだり、寝たふりをしていた。


「どんな仕事なんだろうか、と気になっているだろうと思う」

「まあ、そうですね」

「今回はどちらかというと見学だ。あまり気負わないで良いよ」

「はあ」


 ますます僕を連れてきた意味がわからない。何か荷物を持たされているわけではないし、事前の指定といえば、「ジャケットを着ておいで」という一言だけだったし。(なので、今日の僕の服装は紺のジャケットとVネックのシャツ、ベージュ色のストレッチ素材のスラックスだ。)これで「見学」とまで言われては、なんだかお気楽すぎて身が縮みそうな思いがする。


「日比谷のどこに行くか、どんな仕事なのか、詳しく話したいところだが、ここでは控えたい。守秘義務というやつだ」

「それは、僕にも発生するものですか」

「もちろん。誰にも言ってはいけないし、何を見ても驚いていない振りをしなさい。君はなかなかにポーカーフェイスが上手いようだから、期待しているよ」

「本気ですか」

「がんばっておくれ」


 訳が分からないというか、冗談か本気か分かりづらい。

 とはいえ、「守秘義務」という言葉にはそれ相応の重みが感じられた。もはや科学と混ざり合い同化しかけている魔法だが、起こしていることは「神秘」そして「不可思議」、あるいは「奇跡」と言い換えてもいいだろう。大抵の人が苦労して起こすそれを、指先一つで叶えてしまう彼らが起こすこと、それを求める誰かが、そこに待っているのだろう。教授との会話はそこで途切れてしまい、彼は彼で目を瞑り、何か集中している様子だったので、僕も向かいの車窓をぼんやりと眺めていることしか出来なかった。


 二十分後、日比谷駅に着いて、一度地上に出た。教授曰く、目的地はすぐそこだということで、そのまま彼の後ろに着いて歩いた。いつの間にか黒いステッキが握られている。足が悪いわけではないから、ファッションかもしれない。黒壇のような素材でできていて、十分に磨き上げられたそれは、控えめだが高級そうな装いで、周りの光を反射させていた。ちょうど右手で握っている頂点には、青く輝く大きな宝石が埋め込まれていた。とてもきれいだ。


「そこだ。時間は問題ないかな」

 タイマーは残り八分となっている。「大丈夫です」


 教授は慣れた素振りで建物に向かって歩を進めていく。旧い建物、だからこそ漂う重厚感。ある種の威圧感も感じるが、それは僕がそうした建物に馴染みがないからだろう。木々の代わりに天高く林立する近代的なオフィスビルに囲まれていると、その佇まいは、ノスタルジーを含んだ暖かみを醸し出していた。


 ―――Imperial Hotel、明治二十三年創業の帝国ホテルだった。


 ……いやいやいやいや。

 正直、建物は日比谷駅の出口からすでに見えていたけれども。「周りのビルにくらべると、なんか渋い建物だなぁ。もしかして帝国ホテルってこれかなぁ」って呑気に思っていたぐらいで、まさかここに入るとは思いもしなかった。驚きすぎて口が開いてしまいそうだが、教授の言いつけも守らなければいけない。なんとか堪えて歩くことにする。

 ロータリーには高級そうな黒塗りの車が二台ほど停まっていた。これから誰かを降ろすのか、それとも乗せるのだろうか。入り口近くにいるベルボーイと目があうと、丁寧にお辞儀をしてくれた。教授は日陰に入った時点でフードを脱いでいたが、未だ黒いマントを着たままだ。やや違和感のある服装には違いないが、ベルボーイは眉一つ動かさなかった。その態度はロビーのスタッフも同じで、やはり高級なホテルは対応そのものが違うものだなと、少々感動していた。


「智樹くん」

「はい」

「あまり浮かれないように。約束を忘れたわけではあるまい」


 バレてた。無理もない。改めて気を引き締める。

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