第4話

「なるほど。屋外で十分以上活動すると雨が降る体質ね」


 僕は自分の話を一通り貘教授に伝えた。

 生まれたその時に、記録に残るほど大きな台風が日本を縦断したことからして、すでに僕の『雨男』としての体質が発揮されていた。

 公園に出れば雨、保育園の遠足も、日常の外遊びも、全て雨。小学生になるころには、偶然では済まされないレベルで雨が降っていた。これほど何度も雨が降るのなら特殊な能力なのではと、入学前検診での魔力検査では僕も両親も少々期待したが、結果はBマイナス。ほぼ最低レベルだ。杖や増幅器を使っても、自在に魔法を使えるというレベルには一生たどり着けない。

 その後、中学二年生と高校二年生での定期検査でも、結果は同じだった。基本的に魔力量は遺伝性があり、親や祖父母がもつ魔力が少ないのなら、その子の持つ魔力の絶対量も少なくなってしまうのだ。無論、突然変異という例も存在しないわけではないが、僕には「雨男」という体質以外、何も特別なことはなかった。

 両親もいろいろと対策をしてくれたが、僕と同じく魔力量が少ないので、対魔法という意味では手が出なかった。あくまでも体質であるし、「外に出ると雨が降る」以外の症状もないとなると、病院に行くわけにもいかず、かといって怪しい霊能力者(のような魔法使いも含む)に頼るわけにもいかず、八方塞がりであった。家にいれば雨は降らないが、そのまま生きていく訳にもいかない。そう考えた小学三年生のころに、通学の時間を使って、この体質にどのような条件があるのか実験をした。毎日カッパを着て歩いても、傘をさしっぱなしで歩いても、関係なく雨は降った。だが何度も続けるうち、家を出て数分間は雨が降らないということに気付いた。どういう仕組みか分からないが、ある程度のラグがあるということだと考えられた。最終的に僕自身が突き止めた発動条件が、「屋外で十分以上活動する」ということだった。それから僕の必需品はタイマー付きの腕時計になった。


 教授はうなづきながら僕の話を聞き、コーヒーを一口飲んでから話し出した。


「雨男、というか雨女なら伝承に存在する。だが、俗語として使われる意味とは違って、完全に妖怪や怪異としての〈雨女〉だ」

 

 教授は一度言葉を区切って、手の中にある計測器を覗き込んだ。中には僕がなけなしの魔力を込めた人工蛍石が入っている。


「見た目や魔力の質も含めて、君は完全に人間のように見える。魔力量も自己申告の通りだし、特別な性質は、ここにある機材では見受けられない。これは体質なのか……あるいは呪いなのか」

「呪いですか」

「可能性はある」

「……そうかもしれません」


 小学四年生のときだ。ひどい雨を降らせたことがある。

 僕は長い間〈雨男〉としてからかいを受けていたが、それが「いじめ」という形でひどくなったのはこの年のことだった。クラスの中でも特に体が大きく、家が裕福で、スポーツに長けた同級生の男子が三人ほどの取り巻きと共に、僕の持ち物を隠したり、汚したり、破壊するようになった。その時の僕はまだ抵抗する気があった。何かが起こるたびに「やめて」「返して」と言っていたが、彼らはニヤニヤとして僕の言うことをおうむ返しする。それが許せなかったし、周りのみんなと同じように穏やかに、楽しく学校生活を送りたいと、切に、そう思っていた。

 ある日、彼らはこれまでの「いじめ」の手法に飽きたのか、急に「お前が本当に〈雨男〉なのか試してやろう」と言って、放課後に僕を追い回した。親が迎えに来るまで図書館にいるつもりだった僕は、とにかく外にだけは出ないように逃げ回っていたが、ついに追い詰められてしまい、最上階の空き教室のベランダに閉じ込められてしまった。「出して」「出して」と泣いて喚いても、彼らはニヤニヤしたまま、扉や窓を数人がかりで押さえている。その様は醜悪だった。彼らにとっては慌てふためく僕の様子がおかしかったのだろうが、僕にとっては、助けを求める人を押しとどめて、その様を嘲笑う彼らの方が恐ろしかった。

 そうして十分以上が過ぎ、雨が降り出した。

 彼らはそれで満足するかと思ったが、ガラスの向こうで誰かが叫んでいるのが聞こえた。部分的にしか聞こえなかったが、概要はこうだ。「このまま放っておいたら雨は振りっぱなしなのか?」純粋な疑問だったのかもしれない。だが僕には恐怖の発言だった。

 もう彼らは僕には目もくれず、走り去っていった。ベランダに残された僕は頭の中が真っ白になり、体の中から心臓だけが取り出されたかのような思いをしていた。ぽっかりと空いた穴に、泥のような憎悪が溜まっていく。

 なぜなんだ。僕だって望んでこんな体質になったわけではないのに。彼らに僕は何をしたというのだろう。何もしていない。たまたま人より外に出られないだけだ。こんな扱いを受ける必要は感じられない。なぜなんだ。なぜ、なぜ。僕は普通に生きているだけだ。悪いのは誰だ。奴らだ。奴らさえいなければ。


 ——その日の夜は豪雨になった。


 町に流れる川が氾濫し、いくつかの家が破壊された。その中には僕を「いじめ」ていた人たちの家が含まれていた。

 僕は帰宅しないことを心配した両親によって夜になってから救出されたが、「いじめ」た人々は家も何もかも失い、中には学校を去った人もいた。

 その後、僕はすっかり化け物あつかいされて、残りの学校生活を過ごすことになった。本当にその雨が、その氾濫が僕のせいだったのかは定かではない。でも僕はそうだと思っている。


「車は大丈夫なのかい」

「は?」

「いや、先程車で迎えに来てもらっていたと話したから。それは屋外にいるとはカウントされないのか」


 それまでの話は置いといて、と言わんばかりである。少しあっけに取られて間が空いてしまった。


「何というか、四方を屋根や壁に区切られていると、屋内にいるということになるらしいんです。段ボールの箱でも試したんですけど」

「降らなかった?」

「ええ」


 はっはっは、と軽快に膝を叩きながら、教授は笑い出した。


「強力な体質の割には、条件がゆるいな」

「いや、屋外に居られないんですから、きついことはきついですよ」

「それは君の精神的な負担の話だろう。それは理解できる。だが、君の体質を呪いと考えると、あまりにも発動条件がゆるいと思うんだよ」

「そうなんですか」


 現代において、呪いは明確に法で規制されているものだ。呪いをかけた痕跡は、いくら物質的な証拠を消したとしても残るという。その痕跡は特定の器具や魔法、あるいは体質で分かるというが……僕はその道のことは全く分からない。というか専門職に就くわけでなければ、そうした情報は秘匿されているものなのだ。魔力量が下の下の人間に明かされるようなものでは無い。


「呪いをかけるには、はっきりとした条件が必要でね。相手にも自分にもそれを厳しく課すものなのだよ。君の体質がもし呪いだとすれば、『屋外で十分以上活動する』という条件は、もっと厳密に守られなければならない。車に乗っていても、外にいることに違いないのだから発動するべきだし、庭先で段ボールに入った程度で防ぐことはできないだろう。それに、君が小学生のときに降ったという大雨も不思議だ」

「どういうことですか」

「いいかい、呪いは誰かが誰かを恨んだり憎んだりしてかけられるものだ。その内容はほとんどが嫌がらせであったり、強力であれば殺すこともできる。要は呪いを受けた人物に害をなすものである。これを忘れてはいけない。君のその話は、まるで君をいじめた少年たちを排除するように体質が働いているように感じるんだ。それは呪いとしての働きとは少々違っている。とはいえ、君が精神的苦痛を味わったのであれば、ある意味で害をなしていると考えることができるが、呪いとしては迂遠な方法だな」

「じゃあ、この体質は呪いではないと」

「可能性は低いだろうね」


 一体、僕は喜べばいいのか、悲しめばいいのか分からなかった。とりあえず呪いではないと分かったが、ではこの体質は何なのだろうか。何が原因なのだろうか。一つ可能性が排除されたとはいえ、結果として解決法は見当たらない。ますます複雑怪奇な体質であると確認したに過ぎなかった。


「まあ、そこまで落胆しないでくれ。呪いではないなら、他にやりようがあるということだ。私はよかったと思うよ」

「かえって謎が深まったような気がしていますが」

「確かにそうかもしれないな」


 またあっけらかんと言ってくれる。この教授はつかみどころのない人だ。苦し紛れにすっかりぬるくなったコーヒーをすすっていると、「そうだな」と教授が言った。


「君の体質、私に研究させてくれないか」

「はい?」

「大丈夫、検体にするという意味ではない」


 何を言っているんだこの人は? 冗談は名前だけにしておいてほしい。

 やはり魔法学会は変人だらけの魔窟だ。もしかしたら体質にまつわる研究が出来るかもしれないと、文字通り寝る間も惜しみ、勉強の成績だけで魔法学の最高峰までたどり着いたが、その考えは間違っていたのかもしれない。たった数分で僕の気持ちは乱高下していた。困惑する僕を無視して、教授はなおも続ける。


「君のその〈雨男〉たる体質は、コントロールできれば大きな価値がある。その原因がどこにあるかということを含めて研究することは、私の民俗学的見地を広げることにも繋がると思うんだが、どうだろう」

「どうだろうと言われても……」

「分かった。ならば〈契約〉ということにしよう」


 何だかますます雲行きが怪しい。というかこれ、外堀を埋められているんじゃないのか。


「私は君の体質の改善を約束しよう。そのために私のこれまでの知識や経験を惜しみなく使う。その代わりに、君には私の助手として働いてほしい」

「助手……」

「心配しなくてもいい。来る時間は君の都合で構わない。外でやるようなことはさせないし、給与も多少は出す」

「それじゃ〈契約〉にならないのでは」

「何にでも抜け道はあるのだよ」


 にやりと笑う教授の顔は、先ほどの笑顔とはまた違って、すっかり悪い人のように見えた。


「ところで自己紹介を忘れていたね。私は貘白楽バク ハクラク。呼ぶときは貘先生とか、教授とか、白楽さんと呼んでも構わない」

「……霞ヶ浦智樹カスミガウラ トモキです。好きに呼んでもらって構いません」


 全く思いもよらなかった形に話が進んでしまった。だがこの人の魔法の力は本物だと理解できた。僕や周りの人にはどうにも出来なかったことが、この人になら出来るかもしれない。今は少しでも前向きにとらえていくべきなのだ。断るはずだったアルバイト募集にまんまとひっかかってしまった、こんな詐欺みたいな手法でも、先はある……はずだ。


「では智樹くん、来週の水曜日、午後は手が空いているかい」

「水曜日ですか。……多分大丈夫です」

「ありがたい」


 窓からは明るい春の日差しがさしこんでいた。

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