第3話
明らかに怪しいとは思っている。
黒いマント、最低限の情報しか載っていない手書のビラ。(達筆ではあった)
僕の目的は、どちらかと言えば、民俗学の専門家がいるという点だ。雨男を都市伝説としてとらえれば、民間伝承を扱う民俗学は近しい学問であると言える。アルバイトの話を振られたら、断れば良い。そう考える脳裏にこの前の光景が浮かんで動けない。もうドアも目の前、やっとの思いで構内最果ての地・三号棟、その半地下まで来たと言うのに、僕はいつまでも逡巡していた。
「君、何か用かね」
背後に黒マントがいた。
なんの気配もしなかった…!あと思ったより低い声だ!
驚きのあまりあさっての方向に考えが飛んでいる。何回も深呼吸を行い、荒い息のままでなんとか声を出した。
「あの、貘、先生……いえ、教授にお聞きしたいことがありまして、その」
「そうか。まあ、入りなさい」
さも当然のように黒マントはドアをあけ、薄暗い部屋へ僕を招き入れた。入らないわけにはいかない。そっと足を踏み入れる。
部屋は見た目よりずっと大きかった。何か魔法をかけているに違いない。空間を広げたり繋げたりする魔法は、かけるのにも維持するのにも力が必要だと聞く。もし自分でかけているのなら、相当の力の持ち主だ。黒マントはその布の隙間から手を出し、フワフワと振っている。オーケストラの指揮者に奏者が合わせるように、照明が点き、窓のカーテンが開いていく。スイッチがあるわけでも、増幅器をつけている訳でもない。本当に自分の魔力と空間の魔力を上手く使っているんだ。道具に頼らない魔法は初めて見た。
そして黒マントは、ばさりと思い切りよくマントを脱いだ。何の躊躇もなく、ただコートを脱ぐようにあっさりと。
年齢不詳な身長は、成人として当たり前の大きさに。ずっと見えなかった顔はあらわになって、面長で精悍な顔つきの男性が現れた。年の頃は五十歳になるぐらいだろうか。襟の詰まった長袖シャツと黒いスラックスを着ている。
「どうも紫外線に弱くてね。こうしたものを着ていないと、この部屋から出られないんだ」
僕の視線が気になったのか、持っていたマントについて話してくれた。いや、初対面の教授に気を遣わせるな、僕。しっかりするんだ。
「すみません、あまり身近に、たくさん魔法を使う人がいなかったもので」
「そうなのかい?」
「家系的に、あまり魔力が多くないんです」
「ああ、そういうことか」
紫外線に弱いという割には、窓から光が射しているように思うのだが、気のせいだろうか。
というかここは半地下なのでは。こんなに日光が入ることがあるだろうか。これも魔法なのだろうか。こんなに絵に描いたような魔法使いには出会ったことがないので、何もかもが物珍しい。失礼かと思って、どうにかその態度を隠したいのだが、教授はとても親切な人のようだ。丁寧に話してくれる。
「窓も外の風景が写るように加工してある。もちろん紫外線は百パーセントカットでね。ちなみに自宅の窓からみた風景だが、見てみるかね」
「本当ですか? ……あ、いや、すみません、あの、ほんと」
「好奇心が旺盛なのは何よりだ。これからの学びの糧になるだろうし、年頃らしくて良いじゃないか。隠すことはない」
教授が口の端を少しだけ上げて微笑むと、予想外に柔らかい表情になった。うっかりそれにも驚いてしまう。部屋に入っただけで色んなことが起きすぎて、本来の目的を忘れそうになってしまう。
「あの、教授、お忙しいところだとは思いますが、どうしても伺ってみたいことがありまして、少しで良いのでお時間いただけませんか」
「無論、そのつもりだよ。今日はもう講義はないから、お茶でも飲みながらゆっくり話そうじゃないか」
そう言って手を振ると、奥の部屋から暖かいコーヒーがカップに入ったまま飛んできた。
「砂糖は要るかね? それからミルクも」
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