綺麗になったアヒルの子

あさぎ

みにくいアヒルの子

『みにくいアヒルの子』という童話がある。

 みにくい、は漢字に直すと「醜い」。つまり見た目が悪いということだ。

 ざっと要約すると、とあるアヒルの子は醜く、周りから邪険にされていた。親にも見放され、もう死にたいと思って水面を見ると、なんとアヒルの子は美しい白鳥になっていた。もともと白鳥の幼鳥だったのだがアヒルの群れにまぎれてしまっていたのだ。素敵な見た目を手に入れたアヒルの子は、みんなの憧れとなり幸せに暮しましたとさ。

 私はこの話を読んだとき、涙が溢れてしょうがなかった。同時に、お腹のあたりに、からまった毛玉みたいなものを感じた。

 めでたしめでたし。

 ——そんなわけがあるか、と。



「今月号も買っちゃったぁ」

 ファッション誌の話題で盛り上がる女子高生三人が目の前を歩く。部活帰りだろうか。夜の都心を青春の背景にしてしまえる輝きに、同じ年頃のはずなのに眩しくて目を細める。

「相変わらずかわいすぎだよ葵ちゃん」

 まったくなんの皮肉だろう。私が表紙を飾っているその雑誌は、つい先日発売されたものた。マックシェイク片手に、器用にページをめくって私の容姿を褒めちぎる三人は、まさかその葵が背後にいるとは思っていない。

「こんなふうに綺麗だったらなー」

 パァーッとクラクションを鳴らして車が過ぎ去っていく。

 思わずうつむいた。何百回と言われてきた褒め言葉。毎度このセリフを投げられるたび、古い記憶が蘇ってくる。


 小学生のとき、いじめられている女の子がいた。子供は残酷だ。見た目を理由に、簡単にいじめの標的にする。たしかに美人ではなかった。彼らには醜く映ったかもしれない。でも、花を踏まないようによけて歩く、心の優しい子だった。

「あなたみたいに美人だったら良かったのに」

 そう言われるまでは。

 その言葉は毒矢のように私の心臓に突き刺さり、体中にじわじわと巡っていった。

 その頃、同じく見た目を理由に一線を引かれ、顔を武器にうまく立ち回るしたたかさを持ち合わせていなかった私は、密かにその子にシンパシーを感じていた。なのに、私はこの子とも仲良くなれないのか、と絶望したものだ。

 その後、人に決められた運命のように芸能界へと足を踏み入れた。芸能界には、さすがかわいい子がたくさんいて、自分も溶け込めている。友達がいなかったあの日々と比べれば、なんてことはない。楽になった。

 だけど『楽しい』ではない。たぶん私の望みは一生叶わない。あのとき芸能界へと逃げてしまったから。


 交差点を彼女たちは曲がる。その背中を私は見送るだけだ。

 あの子はどうしているだろう。まだいじめられているのだろうか。

 信号を渡る。酔っ払ったOLが同僚に肩を貸してもらって「かちょーがさぁ」なんて愚痴りながら私とすれ違う。

 ねぇ、私たちは救われるかな。白鳥になんかなっても、あの過去が清算されるわけじゃないんだよ。

 ねぇ、元アヒルさん。あなたをいじめてきたアヒルと、もしあの時仲良くやれていたら、って考えない? 白鳥になって、その後で好かれて、それで満足なの?

 どれだけ綺麗だと言われても、そんなものに興味はない。マックシェイク片手に、ファッション誌の話をして、都心の道を帰っていく。醜い子も綺麗な子も敵にしてしまえるアヒルの集団に、私たちがのみこまれる日は一生こない。



 私の溜め息が、行き場もなく夜空に揺蕩う。

「……やめよう」

 こんなことを考えて、いったい何になる。タイムマシンなんて無いのだから、過去をどうこう言っても……。


「あのっ!」


 背中に投げかけられた声に、足を止める。

 痺れたように動けなかった。なぜならその声が、つい先ほど聞いたものだったから。

 そんなはずがない。だけど、おそるおそる振り返る。


 さっきの女子高生三人が、肩で息をして、私を見ていた。

「あ、葵さん、ですよね⁉︎」


 どうして、と思わずこぼす。気づかれていなかったはずだ。

「たまたまっ、ほんとに偶然、振り返ったら、見たことある後ろ姿があって」

 息も切れ切れだ。ファッションビルの照明で頬が紅潮しているのがわかった。私なんかよりよほど動揺が激しそうだ。それもそうか、と逆に私は冷静になる。

「私たち葵さんが大好きで、仲良くなったきっかけも、あなたなんですっ」

 こういう言葉は、ファンレターなどでさすがに慣れている。もちろん感謝の言葉は忘れない。

「毎月雑誌も見てて、えっと……三分、いや一分だけでもおしゃべりできませんか」

 ここは適当にあしらうのが普通なのだろうか。でも大事にするべき私のファンだ。それに、少し気分が落ち込んでいたからか、この子たちが私に何かをくれるだろうかという期待と好奇心が、身体の中に疼いていた。

「……君たちは部活帰り?」

 いいよ、と言うかわりにそう尋ねた。パッと顔を輝かせ、女子高生たちは頷く。「明日大会で、それで引退するんです」

 青春だね、と努めて明るい表情をつくる。

「はい、葵さんのおかげでがんばれます!」

「私の? どうして?」

「う、嬉しいから!」

「前日に奇跡が起きて、明日頑張らないわけにはいきません!」

「元気もらえました!」

 どうやら本気で言っているらしい。彼女たちの目がそれを物語っていた。ほんとうに眩しい。

 頑張ってね、と切り上げようとした時、真ん中に立っていた子がカバンを漁りはじめた。

「あの、こ、これ。私たち、おそろいで作ったんです。へたっぴですけど、迷惑じゃなかったら葵さんも、もらってください」

 まるで好きな子にバレンタインのチョコを渡すみたいだ。しかし、差し出されたそれを見て、思わず息を呑んだ。

 言葉が勝手にこぼれ落ちる。

「ありがとう。応援してるね」

 受け取って、両手で包み込んだ。


 

 ねぇ、私たちは現状にまったく満足してないけど、嫉妬も悔しさもこれからずっと引きずっていかなければいけないかな。

 そんなのもう、飽きちゃった。

「ふふ」

 アヒルも白鳥も、羽は白く。

 翼を広げるように、うんと伸びをして、私は夜を歩いていった。

 手首で踊るミサンガは、不恰好で青い。

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