唐沢卓郎(6)

 会議から二週間経ち、あの日発表された提案は可能な物からどんどん採用されていった。パチンコ店の二十四時間営業も許可され、一週間後には架空の退所権利を景品として、キャンペーンが実施される。


「『退所権利なんてありえない』と言う噂を回して参加者を減らすようにしよう」


 卓郎と美紀は相談して対策を考えた。


 さっそく卓郎はログインして和人のいる店に行き、キャンペーンを否定する事にした。


 店に入るといつものように和人が打っていて、最近知り合った玲奈と言う女性を紹介された。玲奈はキャバ嬢みたいな外見で場違いな感じだったが、明るい性格のようで話をすると好感が持てる人物だった。


『キャンペーンで退所権利を貰えるって話をどう思う?』


 和人の方から卓郎にキャンペーンの話題を振ってきた。しかも退所権利に疑問を感じているらしい。好都合だと卓郎は思った。


『あれは俺も有り得ないと思うよ。退所なんて今までに前例が無い事なのに、パチンコの景品なんて絶対何か裏がある』と台詞を書いて打ち込んだ。だが、『あれは俺も……』と一言だけしか音声が出てこなかった。


 もう一度同じ台詞を書いて打ち込もうとすると「無駄ですよ」と部屋の入り口の方から声がした。


 声の主は大木だった。


「あなた達が邪魔する事は分かっていたよ。だから、禁止ワードで会話がフリーズするように設定していたんです」

「なにっ?!」

「解除するんで、ちょっと代わって下さい」


 大木は卓郎を立たせ、パソコンの前に座る。


 カタカタと解除の為にキーボードを叩いたかと思うと、そのまま勝手に和人との会話の続きまで入力してしまった。


『悪い、トイレ行ってた。お腹ピーピーなんだよ』

『ほらあ、やっぱり当った!』

『当たるとか当たらんとかの問題違うっちゅうの』


 大木が入力していると気付くはずもなく、会話が再開される。


「お、おい! もう、解除出来ただろ。俺の会話まで……」


『で、退所権利はどう思う?』

『信じられない話だが運営の公式発表だからな。信じるしかないんじゃないか』


 卓郎が止める間もなく、大木にキャンペーンを肯定されてしまった。


「これで良し。またキャンペーンを否定するとフリーズするのでやめてください。僕も忙しいんで」

「何の権利があって俺達の仕事を邪魔するんだ。「真実の世界」内での行動は所長だって保障していたのに」

「所長が何と言ったか知りませんが、僕も自分の企画を守る権利があります。残念でしょうが諦めてください」


 卓郎が怒るのを気にも留めずに、椅子から立ち上がると、大木はにっこりと微笑んだ。卓郎を挑発するかのような笑顔だった。


「あ、藤本さんも同じだから気を付けて下さいね」


 大木は美紀にも注意し、部屋から出て行った。


「ちっ、余計な事をしやがって」


 卓郎は和人との会話途中だったので、また席に着いた。


『挑戦するのは良いけど、無理はするなよ。実際ネットゲームに集中しすぎて死んだ人間もいるんだからな』


 卓郎は言葉を選び、この程度のアドバイスをするのがやっとだった。



 いよいよパチンコキャンペーンが開始された。


 卓郎と美紀は実態調査の為、パチンコ店を回った。開始直後から座る席がないほど満員だった。


「皆退所権利に釣られているんですかね?」

「だろうな。普段の混み具合と全然違うからな」


 二人は結構な人数が退所権利を信じている事に驚いた。


 二日目、三日目と巡回調査すると、打ち続けている人が多い事が分かった。体力的に限界だろうにやめられずに打ち続けている。


 何人かの友達に止めるようにアドバイスしたが、口々に「あともう少しでトップになれるから」と聞き入れる人はいない。詳しい事情を聞くと、皆の出玉はほぼ横並びで、発表されているトップの出玉はその数に合わせるようにわずかだけ上だった。


 その事実に気が付いた卓郎は、急に席から立ち上がった。


「どうしたんですか?」


 驚く美紀を無視して、卓郎は部屋を飛び出した。


 卓郎は部屋を出て同じフロアにあるシステム課のスペースに入り込むと、席に座っている大木に掴み掛る。


「お前パチンコの出玉を操作しているだろう!」

「何の事ですか?」

「とぼけるな! あんな不自然な数字になる訳がないだろ。どこまで入所者を馬鹿にすれば気が済むんだ!」

「ちょっ、やめてください」


 卓郎のあまりの剣幕に大木の顔は青ざめていた。


「手を放しなさいよ、唐沢君」

「唐沢さん、落ち着いて」


 騒ぎを見た林課長や美紀などの課員が、慌てて卓郎を大木から引き離す。


「どうなんだ? やってるんだろ」

「操作しているとしたら、どうなんですか?」


 卓郎から距離を取り、安全を確保した大木が余裕を取り戻してそう言った。


「すぐに止めろ! インチキに釣られて命を落とす人が出たらどうするんだ」

「命を落とす? それも良いじゃないですか。あんな所で絶望のまま長生きするより、希望を追い駆けて死ねる方が幸せですよ」


 大木は挑発するように、誇らしげに胸を張り薄ら笑いを浮かべる。


「そう、俺は彼らに希望を与えてあげているんですよ。感謝して欲しいくらいです」

「お前は神にでもなったつもりか!」

「もう、止めて唐沢さん!」


 もう一度大木に飛び掛かろうとした卓郎は、美紀達に止められる。騒ぎを大きくしたくない林課長の裁定で、卓郎はキャンペーン期間中のパソコン禁止、手書きで始末書を書かされる事となった。



 結局卓郎は何も出来ないままでキャンペーンは終了した。


 心配していた通り、期間中にキャンペーン参加が原因と思われる死亡者が、老人を中心に十八名出てしまった。全参加者から見れば直接的な犠牲者は少なかったが、予想外だったのは、キャンペーン終了後に自殺の死亡者数が増え始めた事だ。退所権利を夢見た人間が、手に入れられなかった絶望で自殺したのではないかと所内では噂されている。


 噂を広めている本人だろう林課長が嬉しそうに報告に来たのを、卓郎は無言でにらんで追い出した。


「どうして皆こんな酷い案を実行出来るんだろう……。入所者は人じゃないって言うの?」


 美紀がパソコンを見ながら小さな声で呟いた。


 架空世界とは言え実際に入所者と接している卓郎達とは違い、他の所員達は自分と同じ人間だと言う実感に乏しく罪悪感が無いのだ。


 世間の風潮も同じで、親は子に、あんな所に入るような人になってはいけないと教え、子供もあそこは人間失格者が入る場所だと思う。入所者は自分と同じ人間だと言う事も忘れ、ただ差別の対象としてのみ存在するのだ。


 卓郎と美紀は今までにない無力感を感じていた。

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