唐沢卓郎(5)
岸部所長が着任して初めての定例報告会が開かれた。
今回、リサーチ班は「真実の世界」内での活動は報告せず、おざなりの活動報告を発表する事にしていた。岸部は「真実の世界」の範囲であれば容認すると言っていたが、出来るだけ手の内は隠しておきたかったからだ。
各課の発表を聞いていると、卓郎は違和感を覚えた。それぞれ入所者の為と建前上の理由は付けているが、健康上は好ましくない事だらけだったのだ。
予想していた料理の味付けはもちろん、空調や薬の配布制限の緩和などだ。
「薬の制限を緩和すると、飲みすぎによる健康状態の悪化が考えられます」
卓郎は抗議したが、入所者の自主的な病状改善の為と相手にされなかった。
一番酷かったのは生活レベルの向上として文房具の配布案だった。それ自体は問題なさそうだが、配布物の中にはさみが入っているのだ。
「刃物の常設は、突発的な自傷行為防止の観点から認められません」
との卓郎の抗議も空しかった。
「自傷行為する人間は刃物がなくてもするし、実際今でも自殺は後を絶たない。むしろ生活レベルの向上が自傷行為の防止に繋がる」と反論されてしまった。目の前に刃物があるのと無いのとでは、発作的な自傷行為の発生確率が違ってくるのは皆分かっているのだ。だが、もっともらしい反論があると、皆そちらに同調してしまう。
ここまでくると卓郎も岸部所長の言葉を思い出さずにいられなかった。皆所長の意図を理解していて、だからこその今回の改善案なのだ。
入所者とコミュニケーションを取らない多くの所員は世間の意識と同じで、入所者を自分と同じレベルの人間と感じる意識が低い。彼らにとって入所者は違う世界のキャラクターのようなものなのだ。それが為に、みごと所長に意識をコントロールされてしまう。
最後に大木の発表になった。
「システム課が管理する『真実の世界』内の施設を順次二十四時間利用可能に変更し、利用者の利便性を向上させます。手始めにパチンコ店を増設した上で二十四時間営業を開始し、同時に一週間のキャンペーンを開催します。キャンペーンで出玉競争を行い、優勝者への景品は施設の退所権利とします」
「ちょ、ちょっと待って下さい! いろいろ言いたい事があるが、退所権利ってどう言う言ですか? そんな事出来る訳無いでしょう」
卓郎は思わず立ち上がって大木の発表を遮った。
「唐沢君、何だね君は! 先程から何度も発表を邪魔ばかりして。今は発表であって議論をしているのでは無いんですよ」
林課長がイラついたように卓郎に注意した。自分の部下が一々所長の方針に楯突くような発言を続けるのに、我慢の限界になったのだ。
「まあ、良いじゃないか林君。それに私からも聞きたいな。どうやって退所権利を景品にするつもりなのかい、大木君」
あくまで中立を装いやがって、と卓郎は所長の態度に心の中で毒づいた。
「もちろん本当に退所権利を与える訳ではありません。これはあくまで演出の一部です」
「それじゃあ詐欺じゃないか」
唐沢は我慢しきれず、声を上げた。
「唐沢さん失礼だな。『真実の世界』の景品と言うのはね、全て架空の物なんですよ。それをいかに価値の有る物かのように演出して見せているのです。架空の退所権利も同じです。入所者にとっていかにも価値がある物のように感じさせて、ゲームへの興味を掻き立たせるのです」
「それは詭弁だ! 入所者を騙しているのには変わりがないじゃないか」
段々二人の言い争いは熱を帯びてきて、他の者が立ち入れなくなってくる。その様子を岸部は止めようともせず、楽しそうに笑顔を浮かべながら眺めていた。
「じゃあ聞きますが、詐欺と言うなら被害は何なのですか? 私は一銭もお金を取ってはいませんし、損害を与えた訳でもありません。私はただ不便な生活を強いられている入所者の気を、少しでも紛らわせてあげたいと思っているだけなんです」
心にも無い綺麗事を言いやがって。
卓郎は大木が入所者の事など少しも考えていないのを知っていた。だからこそこんな時に入所者をだしに使う大木に腹が立った。
「もうその辺で良いでしょう。後は役員会議で採用かどうか判断しますから」
大木の言い分が有利な時点で所長が止めに入った。トップが敵なのに加え、周りの大多数も敵なので、端から卓郎にとって不利な戦いだ。やはり「真実の世界」の中で活動するしかないと、卓郎は思い知らされた。
「やるじゃないか大木君!」
システム課に帰ると嬉しそうに林課長が大木に言った。
「任せてくださいよ。唐沢なんて敵じゃないですから」
大木も卓郎を言い負かして上機嫌だった。
「しかし退所権利だけで体に負担が掛かる程パチンコに没頭するのか?」
「それも考えています。全参加者の出玉をこちらで調整して、皆殆ど差が無い状態にするのです。その状態ですぐにでも届きそうな架空のトップの出玉を発表するんです。もう少しで自分がトップに立てると思えば止める訳にはいかないでしょう。寝る間も惜しんで打ち続けますよ、人間は希望を持てれば付いてきますから。おまけに台自体にも変更を加え、より体に負担が大きくなるようにします。老人にはきついと思いますよ」
「成程冴えてるね、君!」
二人は顔を見合わせて満足そうに笑った。
「悔しいですよ、唐沢さん。何とかなんないんですか?」
パソコン部屋に戻るなり美紀が泣きそうな声で唐沢に愚痴った。
「本当に採用されるとなったら、『真実の世界』内で注意して行くしか無いな」
「それしか無いのかな……あの大木を何とか黙らせたいのに」
卓郎はこれから困難な戦いになる事を覚悟した。
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