唐沢卓郎(4)
システム課の打ち合わせデスクで二人の男が相談していた。課長の林と部下の大木だった。
「大木君、良い案出してくれよ」
「でも本当に所長の考えが「退所率を上げる」で良いんですか?」
「それしかないだろ。あの就任挨拶の後、良識派の水木課長が干されたんだよ」
林は焦っていた。何か行動に移さねば、自分も窓際に追いやられるとの危機感を感じていたのだ。
「リサーチ班の改善策はどうします? あれは基本的に退所率を下げる為の策ですよ」
「あんな物、予算が無いとか言って却下するよ。だから余った予算を使ってもいいからさ……」
大木は心の中でほくそ笑んだ。あの偽善者ぶった唐沢の鼻をあかしてやれると思うと俄然やる気になってくる。
「分かりました。任せてください。退所率が上がるようにしてみせますから」
「あ、それから、唐沢君から入所者の会話ログの閲覧依頼が来ているんだが、どう思う?」
林は大木に要望書を手渡した。
リサーチ班は、入所者の情報閲覧に制限を掛けられている。直接入所者と接する班員達が、必要以上の情報を得て悪用するのを防ぐ為だ。逆に他のシステム課の人間は情報を得る事が出来るが、「真実の世界」に入る事は禁じられている。
「却下で良いでしょ。どうせろくな目的じゃないでしょうし」
大木は受け取った要望書に書かれている入所者の名前を暗記した。
対象入所者は梶田敦也。なぜ、この男を唐沢が気に掛けるのか、大木は興味を持った。
所長室に乗り込んで行った後、卓郎は「真実の世界」の中で入所者の生活改善の為の活動に専念していた。
卓郎から、今後は現実的な改善策に対しての予算は通らなくなる可能性がある、と聞かされた美紀も、「真実の世界」内の人脈を動員して卓郎に協力していた。
二人はまず入所者の健康管理面の改善を狙い、サイト情報などを友達登録者から口コミで広がるように活動した。併せて新規の友達の獲得の為の活動も盛んに行い、情報の拡散に勤めていた。
『最近食事の味付けが濃くなった気がするんやけど、どう思う?』
卓郎は健康管理の啓蒙活動の為、和人に会いにパチンコ店に来ていた。
『そうだよな。あんなもんばかり食べていたら健康に悪くて早死にするぜ』
さっそく水木課長が外された影響で、入所者の食事は健康面に考慮するどころか悪影響を与えるように改悪されていた。卓郎は他の入所者からもよくこの事を聞かされていたが、それを利用して健康管理の重要性を話すようにしている。
『だからちゃんと運動しないと高血圧で生活習慣病になるからな。良いサイトがあるから和人も見てみろよ』
『生活習慣病ね……。興味ないな、早死にするんやったらそれでもええよ』
和人のような考え方をする入所者は多い。多くの入所者は、施設に入る時点で人生を捨てていて、積極的に生きる気持ちを無くしているのだ。
『そう言うなよ。きっとこの施設でも長生きしたいって思える日も来るから。その時になって病気していたら後悔するぞ』
卓郎は未来を考えられない入所者達を見ると、心の傷が疼いて辛かった。
和人は卓郎の言葉に返事をせず、『そういえば』と話題を変えてしまった。辛い過去を持つ人間からすれば未来を考える事すら嫌な事なのだ。
『敦ちゃん最近全然姿見いひんな』
『ああ、もう二週間くらいになるか……』
和人に言われるまでもなく卓郎も気になっていた。あれほど何かある度に卓郎の元に報告に来ていた敦也がログインすらしていない。
メールを送っても返信は無いし、何があったのかを知りたくて、会話ログ閲覧の申請をしたが却下されてしまった。
『彼女の事で何かあったんちゃうか? 仮想世界はなりすましとか何でもありやからな。だから騙されんように注意しとけば良かったんや』
卓郎は、相手の里香は女性だし安心出来ると思い油断していた。正直、新所長の件で手一杯だったのだ。敦也自身が「真実の世界」に戻ってこない限り、卓郎に出来る事は無い。
無事でいてくれ……。
卓郎は祈るような気持ちで敦也の身を案じた。ここの入所者は自殺率が高い。入所者はこの「養鶏場」が最期の逃げ場である事を自覚している。ここでの躓きは究極の逃げである死に繋がるのだ。
『こんにちは! 出ていますか?』
考え事をしていた卓郎の隣に見た事のない男が座って話し掛けてきた。
『敦ちゃんか? どうしたんや? 別人やん』
和人の言葉に卓郎も男の名前を確認した。
確かに敦也だった。
敦也と確認して、卓郎は思い出す。この姿はデーターベースにあった本当の敦也の自身だった。
『敦也か? どうしたんだ?』
『イメチェンですよ、イメチェン』
敦也は明るい声で答えた。
『そうか……』
自分本来の姿に変更したのはどう言う事なのか? 何か余程の事があったのだろうが、今の姿や様子を見ると敦也なりに乗り越えたのだろう。
卓郎は敦也の変化で、最悪の事態は回避出来たと安堵した。
『その方が敦ちゃんらしくてええと思うよ』
和人も敦也の姿に何かを感じたようだが、二人ともあえて何も聞かなかった。
パチンコ屋を出て卓郎は入所者のデーターベースを開いた。
敦也は立ち直っていると思ってはいたが、何があったのかは気に掛かった。敦也の友達登録の中に里香の名前が無い。次に中島千尋のデーターを開いてみる。すでに生田里香はアカウントを消されていて、代わりに大田優の名前でキャラを作っていた。
「男を換える度に名前を変えているのか……」
千尋のプロフィールを見たところで敦也との間に何が有ったかまでは分からない。だが、里香のアカウントが消去されている事から二人が破局を迎えた事は間違いないだろう。
「今日の様子では立ち直っているとは思うが……」
卓郎はとりあえず敦也から直接聞くまでは様子を見る事にした。必要があれば千尋と直接コンタクトを取ればいいと。
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