唐沢卓郎(3)

「所長の最後の言葉、どう言う意味だったんですかね?」


 二人になるのを待ち構えていたように、パソコン部屋に入るなり、美紀が卓郎に訊ねた。


「うーん」


 結局岸部は「何考えてるんだ、お前ら」と言った後「以上」と一言告げて挨拶を終えてしまった。


「どっちとも取れるよな……」

「そうですよね。入所者の為を思っての行動を非難しているとも取れるし、逆にその行動が足りないと言っているとも取れるし……」


 卓郎も美紀と同じように、どちらとも取れる言い方だと考えていた。


「どっちでしょうか?」

「……」


 卓郎はすぐに返事が出来ずに考え込んだ。


「私は入所者の為にしている行動が足りないと言っていると思うんです。だって水木課長が話をしている時とか笑顔で聞いていましたよね? きっとその後の林課長とかがいい加減な事言っていたから、怒っちゃったんですよ」


 きっと藤本はそう信じたいのだろうな。


 卓郎は美紀の気持ちを思った。二人にとっては、入所者の為を思ってくれる所長の方が、都合が良いからだ。


「そうだと良いな……」


 だが、卓郎は逆だと思っていた。岸部の表情に言い知れぬ不安を感じていたのだ。



 数日後、卓郎の不安が現実になる。


「水木課長がメニュー作成など食事作成の仕事から外されたみたいですね」

「何っ?!」


 パソコン部屋で仕事をしている卓郎に、入って来た美紀が小声で耳打ちした。


「食品課の美代ちゃんに聞いたんですよ。どうやら所長の一存で決まったらしいです」

「所長が?」

「そうなんですよ。衛生管理の強化の為にと配置換えして、食事関係は古沢課長代理を任命したみたいです」


 古沢は自分の意見が無く、上の言いなりになるタイプだ。岸部の目的は、入所者の事を考えて行動する水木課長の排除と考えられる。


「ちょっと行ってくる」


 卓郎は部屋を飛び出して所長室に向った。



「失礼します! リサーチ班の唐沢です」


 卓郎はノックもせずに、乱暴にドアを開け所長室に入って行った。


「何だね君は?」


 岸部は大きめのデスクに座り、入り口の卓郎を見上げて言った。その顔は就任挨拶の時と変わらず無表情で、いきなり入って来た卓郎にも驚いた様子は無かった。


「どうして水木課長を食事関連から外したんですか? あんなに入所者の事を考えていた人は他にいないのに」


 卓郎はデスクに座る岸部に食って掛かった。


「君は誰だって?」

「リサーチ班の唐沢です」

「そのリサーチ班の人間がなぜ食品課の課長の事で私の所に来るんだ?」

「直接関係はありませんが、入所者の事を思えば見逃せません」

「入所者の事ねえ……」


 岸部は椅子から立ち上がり窓の方に向き背伸びをした。


「どうでもいいんじゃね? そんなの」

「なっ!」


 伸びが終わった岸部はデスクの煙草を手に取ると応接用のソファに座った。


「まあ、座りなさいよ」


 岸部に促され、卓郎も憮然とした表情で腰を下ろした。


「どうでも良いとはどう言う事なんですか?」


 岸部は卓郎の質問を無視するように、煙草に火を点けようとした。


「建物内は禁煙ですよ」


 唐沢は遠慮や恐れもなく指摘する。


「そうだったな。こりゃあ失礼」


 岸部は煙草を箱に仕舞い、ソファの背もたれに体を倒した。その顔は今までに無く、楽しくて堪らないと言うような笑顔を浮かべている。


「ここにいるクズ共はね、卵の産めない鶏と同じなんですよ。そんな役立たずなのに生かされているのはなぜだと思いますか?」

「そ、そんなクズ共って……」

「唯一彼らが生かされている意味はね、差別を受ける対象となる為なのです。現実社会の底辺の人間がここのクズ共を見て、自分はあれよりましって思えるように存在しているんですよ。だがもうこれ以上の数はいらない。新たに湧いてくる分は間引いていかないとね」

「ここにいる人達はクズ共じゃない! 皆少しの躓きで人生が狂ってしまった、不運なだけの人達なんだ!」


 卓郎は立ち上がり怒りを露わに叫んだ。


「面白いねえ……。だがいい気になるなよ。お前を潰すぐらいは簡単なんだ」


 岸部は笑いをかみ殺しながら言った。


「狂ってやがる! この発言を世間に暴露してやる」

「どうやって? こんな密室の会話をどうやって告発する気なんだ?」

「くっ……」

「就任式の最後の発言と水木課長を外した事で、私がもう細かい事を言わずとも皆が動いてくれるだろう。もう君が揚げ足を取る機会も無いんだよ」

「どう言う意味だ?」

「すぐに分かる」


 岸部の自信を持った物の言い方に卓郎は苛立ちを覚えた。


「それにね、もし私の発言が世に出たとしても、非難する声と賛同する声……どちらが多いと思う?」


 そう岸部に聞かれて、卓郎は答えられなかった。


 世間の目は入所者達に厳しい。岸部の言葉が極論とは言えないのだ。


「だが君は自由にしてやろう。仮想世界の範囲でやるなら何でもしたまえ。がんばってクズ共の救世主にでもなるがいい」

「あんたに言われなくても、俺は自分の役目を全うするさ!」


 卓郎は立ち上がり、岸部にそう宣言すると、足早にドアに向かった。


「面白いねえ……。これぐらいの事がないと退屈しのぎにもならないからな」


 岸部は卓郎の出て行ったドアを楽しそうな表情で眺めていた。



「ひゃ!」


 ドアを開けると美紀が驚いたように飛び退いた。


「なんだ、立ち聞きしてたのか?」

「だって唐沢さんが飛び出して行くから心配で……」


 心配そうな顔をしている美紀を促して、卓郎はパソコン部屋へと歩き出した。


「で、どうでした?」

「後で話す」


 それだけ言うと、卓郎は険しい表情で歩き続けた。卓郎の頭には岸部の自信有りげに言った「細かい事を言わずとも皆が動いてくれる」と言う言葉が張り付いて離れなかった。

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