内田善吉(2)

 約束の時間になり、善吉は飲み屋街に繰り出した。飲み屋街は数十軒のバーやスナックが店を並べる夜の街だ。飲み屋と言っても当然実際にアルコールを飲むわけではない。雰囲気を楽しむ社交場の意味合いが強い。出会いが目的の人が多いので、ナンパするにはハードルが低い場所と言える。


 入り口に立っているとすぐに繁が現れ、リアルモードに切り替わる。


『おお……ジジイが無理しやがって……』

『驚いたか。これで邪魔だとは言わせねえぜ』


 自分でやれと言い出したくせに、イケメンになった善吉を見て繁は悔しそうだった。


 繁の反応で気を良くした善吉。早く店に行きたかったが、肝心の繁が動こうとしない。


『どうした? 早く馴染みの店に案内してくれよ』


 善吉がそう促しても、繁は突っ立ったまま動かない。


『おいおい、ナンパぐらい朝飯前なんだろ? 早く見せてくれよ』

『急かすなよ! うるせえな!』


 繁は逆ギレして、ようやくマップモードに戻り歩き出した。だが、その足取りはあっちフラフラこっちフラフラと定まらず、飲んでも無いのによっぱらいのようだった。


 やはりな……。


 善吉は予想した通りだと思った。繁はナンパなどしたことがないのだ。いや、ナンパと言うより、この飲み屋街にも来た事がないのではと思った。


 善吉が付いてきたのは繁にとって、誤算だった。釣りばかりしている地味な老人が、キャラを変更してまで、自分とナンパしに来るとは考えていなかったのだ。だが、善吉の若返ったキャラを見て、繁は引くに引けなくなってしまった。


 頼りない繁を見て、善吉もナンパを煽った事を今更ながら後悔してきた。善吉自身もナンパなどした事がないからだ。だが自分からやめようとは言い出せない状況だ。言えば繁は喜んで、善吉が臆病だからやめてやったと今後しつこく言い続けるだろう。


 二人はとんだチキンレースに嵌ってしまった。


 

 しばらくうろついた後、繁は一軒のスナックの前で立ち止まった。ようやく決心が付いたらしい。


『行くぞ……』

『お、おう……』


 二人共緊張の為か言葉少なだった。


 カランコロンと音が鳴り店内に入った。


 四人掛けのボックスが二セット、カウンター席が十人分の小さな店だった。客はボックス一セットに四人、カウンター席の手前にカップルが一組、都合が良いのか悪いのか奥の方に女性が二人座って居た。


 二人はしばらく入り口に立ち止まっていた。


『おい、行かねえのか』


 善吉が催促する。


『分かってるよ』


 仕方なく繁が奥に進んだ。


 カウンターの女性客二人に近づくと画面がリアルモードに変化した。二人はきつい化粧をしたキャバクラ嬢のような姿をしている。一人は白いドレスを着た、金髪ロングの女性。もう一人は赤いドレスを着た、黒髪ロングの女性だった。


『お嬢さん方ちょっとよろしいですか?』


 繁が恐る恐る声を掛けた。


『お嬢さん方? マジ?』

『なになに? アンケートか何か?』


 繁の声の掛け方が変に感じたのか、二人は警戒しているようだった。


『いやいや、お嬢さん達とお話がしたいだけなんだが、よろしいかな?』


 繁ががんばって食い下がっている。善吉もここで何か言わねば後で何を言われるか分からんと思い加勢した。


『そうなんだ、可愛い娘さんと楽しくお話でもしたいと思って声を掛けたんだが』

『お嬢さんに娘さんねえ……』


 白いドレスの女が含みのある言い方をする。


 何か言い方が古臭いのだろうか? かと言って今更若い人の使う言葉など分からない。そもそも孫世代と思われる女を相手にする事自体が無謀なんだろう。

善吉は焦り始めた。


『まあいいじゃん。どうせあたしらもナンパされるのが目的なんだし』


 もう一人の赤いドレスの女が白いドレスの女をなだめるように言った。


『そうね。こういうのも面白いかもね』


 善吉達は許可を得て二人を挟むように左右に分かれて席に着いた。


『あたしはミオ』

『ユウナでーす』


 赤い方がミオ、白い方がユウナと慣れた感じで名乗った。


『俺は繁』

『俺は……』


 流れで名乗ろうとした善吉の声が止まる。


『俺は?』


 ユウナが意地悪く、善吉に続きを促す。


『俺は善吉だ』

『善吉キター!!』


 二人揃ってからかうように笑い声を上げる。


『そもそも御二人は何歳なんですか?』


 ミオが好奇心たっぷりに聞く。答える前から何を期待しているか丸分かりだ。


『俺は四十三だ』と繁。

『俺は四十五だ』と善吉。

『ハイ! ダウトー!』と嬉しそうな声を上げるユウナ。

『どうしてそんなバレバレの嘘吐くかな』


 ミオが呆れたように言う。


 初めから嘘だと決め付けた失礼な反応だが、本当に嘘なので、善吉は何も言い返せなかった。


『お前らこそ若い格好してるが、歳は幾つなんだ? 本当は五十過ぎのババアじゃねえのか?』


 年齢を疑われて気を悪くしたのか、繁が喧嘩腰で二人に突っ掛かる。


『あたしらは外からずっと友達同士で二十一だよ』

『おじいちゃん達みたいに嘘は吐かないからね』


 女達は善吉達二人をおじいちゃんと呼び、老人と決め付けている。女の勘は鋭いとしか言いようがないな、と善吉は思った。


『二十一? 本当だとしてもそんな若さでここに居るなんて最低な奴らだな』


 繁は完全に頭にきているようで、尚も二人を罵る。


『あたしらはホストに騙されて自己破産に追い込まれた被害者なんだよ! それより家族に捨てられたおじいちゃん達かわいそうだね。慰めてあげようか?』

『捨てられただと……』


 繁の声が怒りに震えている。


 年齢の事といい、捨てられた事といい、触れられたくない心の傷なのか、繁は完全に理性を失ってしまっていた。


『もう良いじゃねえか。帰ろう』


 善吉はこれ以上不愉快な思いをしたくないので、席を立ち、繁を促した。


『お嬢さん達、歳を嘘吐いたのは悪かったよ。爺さんじゃ相手にしてもらえないと思ってな』


 繁が怒っている分冷静になれた善吉は、その場を収めようと二人に謝った。


『こんなクソガキに謝るんじゃねえよ!』

『これ以上いても喧嘩になるだけだろ。帰るぞ』


 善吉はまだ言い足りなさそうな繁をなだめて帰ろうとした。


『ちょっと待ってよ』


 ミオが出て行こうとする二人を引き止めた。


『名前をからかったのは悪かった。ただ最初からお爺さんの姿だったら違ってたよ』


 この娘達も根っからの悪人ではなさそうだ。社会のちょっとした落とし穴に嵌ってこんな所まで落ちてしまったのだろう。被害者と言うのも本人からすれば素直な気持ちかもしれない。


 善吉は二人に対しての怒りが消えていた。


『ありがとう。覚えておくよ』


 善吉達は店を出た。


『ちくしょう! 腹の虫が治まらねえぜ』

『なんか疲れたな……今日は引き上げて寝るよ』


 善吉は繁と別れログアウトした。


 パソコンの電源を落としヘッドギアを外すと善吉は酷い疲れを感じた。疑似世界での活動は、年老いた体には負担が大きいのだ。


 善吉は何もする気が起こらず、そのまま寝てしまった。

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