13話 【呼び出し手】と混浴温泉

 マグを山奥へ追放してしばらく。

 辺境の街周辺ではある変化が起こっていた。

 それは魔物の姿がほとんど見られなくなったということである。


 街の長をはじめとしたマグを追い出した者たちは、山奥にいるマグの方へ魔物が引き寄せられた結果だろうと考えていた。

 また、魔物を引き寄せる「災いの元」となるマグが万が一にも街に助けを求めて戻ってくるようなことがあれば、一大事となる。


 そこで街の長はマグを追い出した者の中から【遠見】スキル持ちの一人を密偵として送り出し、山奥の狩り小屋近辺の様子やマグが「無事食われたか」を確かめてくるようにと言い含めた。

 密偵は【デコイ】スキルを授かったマグはもう魔物の腹の中に収まっているだろう、様子など確かめてくる必要などないと考えていたが、山奥に足を踏み入れた途端ことの異質さを理解した。


「山奥にすら魔物がいない? コボルトの姿まで見えないとは……」


 密偵は【遠見】スキルを使っており、対象が望遠鏡でやっと見える距離にいても目視で捉えることができる。

 だからこそ……山奥に入った途端に分かったのだ。

 あまりに静かすぎる上、木々についた爪痕のような魔物の痕跡すらこの近辺では古くなりつつあるものばかりだと。

 密偵は急いで狩り小屋の方へ向かい、ある程度近づいたところで【遠見】スキルを使った。

 ……そして密偵は狩り小屋の周囲の様子を確認して、あまりの変わりように瞠目していた。


「これは農園、か……? こんな短期間に一体どうやって!?」


 狩り小屋の前には広々とした畑が広がり、みずみずしい実が立派にみのっていた。

 それに狩り小屋の裏側の方を覗くと、何やら木の塀が出来ているのが見えた。

 密偵は近くにある高い木に登り、木の塀の中を覗き込み……二度驚嘆の声を漏らした。


「まさかあれは風呂なのか!? まるで貴族の浸かる湯船ではないか!」


 湯は多くの水を運ぶ労力が必要な上、薪などの貴重な燃料も多く消費する贅沢品だ。

 水浴び暮らしの辺境の人間なら誰もが大きな湯船に浸かる夢を見るが、狩り小屋の裏にある石造りの湯船は夢がそのまま現実に出てきたような光景だった。


 そして当のマグは、昼間から温泉に浸かっていた。

 それも……見目麗しい女性を二人も侍らせて。

 この距離だとマグが何を話しているのかは分からない上、どうもマグは二人を見て焦っているようではあるが。

 今密偵の中に渦巻いているのは、マグに対しての羨望だった


「……許せん。今この時も街の仲間たちは額に汗して働いているというのに、こいつは遊んで暮らしていたのか……!」


 自分が仲間と共にマグをあっさり切り捨て追い出したことを棚に上げ、密偵は一人憤っていた。

 確かに裕福とはいえない辺境の街や村暮らしに比べれば、今のマグの生活環境の方がよほど自由で満ち足りているだろう。

 また、突然自身を覆った巨大な影に、密偵は思わず上を向いた。


「これは……っ!?」


 一瞬で過ぎ去った巨大な影は、空を飛んでいた。

 四肢と強靭な翼を持った天空の王者……ドラゴンの雄々しき姿に密偵は言葉を失った。

 そしてドラゴンは獲物と思われる獣を前足に抱えており、あろうことかマグの暮らす狩り小屋の方へ降りていった。


「そういう、ことだったのか……!」


 密偵は「全てを理解したぞ」と思った。

 マグが【デコイ】であのドラゴンを呼び寄せたから、街どころかこの山全体から魔物たちは恐れをなして逃げたのだと。

 さらにマグはその恐ろしさが分かっておらず、狩り小屋のすぐ近くをねぐらにしたドラゴンのおかげで偶然命を繋いでいるのだと。


「……あんな危険な魔物が街に降りてきたら、どんな被害が出ることか……!」


 ドラゴンは神獣として語り継がれている存在だが、同時に途方もない力を秘めているとされている。

 マグが間抜けにもドラゴンに手を出し、怒らせた上に街へ逃げ帰って来ると思うと……密偵は寒気がした。


「やはり街から追い出さず、あの場で殺しておくべきだったのだ」


 密偵は忌々しげに呟いた直後、先ほどのドラゴンが自分の方を向いていることに気が付いた。


「まさか、見つかったのか!? ……いや、そんな筈はない。木々や葉の影に隠れている俺が見つかる訳が……!」


 しかしドラゴンは視線を逸らさない。

 それどころか、自分のことをじっと見つめているような気すらした。


「……っ!?」


 呼吸が荒くなる、背筋が凍りつく。

 ドラゴンから敵意らしいものは感じられないが、それでも見つめられているというだけで押しつぶされそうなほどの圧力に密偵は襲われていた。


「く、くそ……!」


 密偵は冷や汗を流し息を切らせながら、全速力でその場から逃げ出した。

 これ以上はいけない、自分の本能が大音量で警鐘を鳴らしているのを感じながら、密偵は山を下って行った。


 ***


 マイラが温泉を作ってからしばらく。

 調整を続けていたマイラがようやく「入っても大丈夫よ」と言ってくれたので、俺は昼間から温泉に浸かっていた。


「せっかく温泉に入れるようになった訳だし、今日くらいはのんびりしてもいいよな。最近畑を耕す他にも、狩りに出かけたりしていたし」


 ダークコボルトに折られた弓をどうにか修理した俺は、ここ最近畑作以外にも獣を捕らえに山の中を動き回っていた。

 魔物と呼ばれる怪物以外の獣、たとえば野うさぎや鹿などはローアの縄張り主張にも逃げ出さずに山に住み続けていたのだ。

 ローア曰く「あれは魔物を追い払っていただけだからね」とのことだった。

 お陰で我が家の食卓には最近、よく肉料理が出てくるようになっている。


「ともかく今日はゆっくりするぞー、そして明日から頑張るんだ……」


 暖かい温泉に使っていると、体中の疲れが抜けていく気分だ。

 それにこんなにも広い湯船に浸かるのは初めての経験で、それだけでも十分気分がいい。

 だんだんと気持ちよくなってきて、このまま寝そうだ……と、その時。


「ご主人さまー、アタシたちも入るよー!」


「わたしもせっかく作った温泉には入ってみたいから、失礼するわね?」


 突然聞き慣れた声がして、俺は反射的に真後ろに向いた。

 ついでに、何故か正座になってしまった。


「……ご主人さま、どうしたのさ?」


「いやいや、どうしたもこうしたも……!」


 直接見なくても、フィアナが今首を傾げているのがなんとなく分かった。

 俺はフィアナとマイラの方を見ないようにしながら言った。


「水浴びもそうだけど、男の人と女の人って基本的に一緒に入らないんだよ。たとえば時間帯をずらすとか……って、先に言っておくべきだったか……」


 これはあくまで人間の常識だから、フィアナたちが知らなくても仕方ない。

 それに二人は気にしないかもしれないけど、二人ともスタイルもいいし美人なので俺がドギマギしてしまう。

 マズいどうしようかと思った矢先、マイラが言った。


「それって、わたしたちがタオルを巻いていてもいけないかしら?」


「へっ……?」


 ちらっと振り向けば、フィアナもマイラも体に長めのタオルを巻いていた。

 それからフィアナが豊かな胸を張りながら言った。


「へへーん、アタシもこの前の泉の時に学んだよ。だから裸とか透ける服で一緒に入ったりはしないから、ご主人さまも安心して」


「ああ、そういうことなら……」


 俺は二人の方を向いて、ほっとしながら足を崩した。

 それからフィアナとマイラは湯船にちゃぽんと浸かった。

 ついでにタオルを巻いて湯船に入るな、なんて野暮な物言いは流石になしである。

 ……タオルを巻いていても、二人とも結構破壊力は抜群なんだから。

 これで裸だったらどうなっていたことか。


「いやー、ぽかぽかしていいねこれ。もっと釜茹でみたいなのを想像してたんだけど、これくらいならアタシも好きかなーって」


「釜茹でみたいにしたら【呼び出し手】さんが入れないでしょう? 温度の調節もばっちりだから安心してちょうだい」


 フィアナとマイラは揃って「ふうぅ……」と気持ち良さそうな声を出した。

 やっぱり神獣でも温泉に浸かると幸せになるんだなぁ……ん?


「お兄ちゃーん、今日はわたしが獲物を持ってきたよー!」


 空からスッと降りてきたのは、誰あろうドラゴンの姿のローアだった。

 朝方「縄張りのパトロールに行ってくるねー!」と飛んで行ったローアだったが、前足に立派な鹿を抱えて戻って来てくれた。


「ローア、ありがとな。本当に助かる」


「ううん。お兄ちゃん最近頑張ってたから、わたしも力になりたいなー……うん?」


 ローアは少しの間、山の中程の方をじーっと見てからすぐに俺の方へと視線を移した。


「……何か用でもあったのかな?」


 首をかしげるローアに「どうかしたのか?」と聞こうとしたが、それよりもローアが動く方が数瞬早かった。


「お兄ちゃん、わたしも入りたーい!」


 ローアは鹿を小屋の前に置いてから飛び上がり、空中で人間の姿になった。


「うわ、危ないぞ!?」


 俺は温泉の中へ降って来るローアをどうにか抱きかかえてやると、嬉しそうに俺の胸にすり寄って来た。


「全く、次からは普通に入ってきてくれよ。……それと」


「お兄ちゃん、どうしてあっちを向いているの?」


 俺は極力ローアの姿を直接見ないようにしながら言った。


「俺がいるときは、二人みたいにちゃんとタオル巻いてな」


 温泉に飛び込んできたローアは当然ながら、生まれたままの姿だった。

 ローアは「わたしは気にしないよ?」と言いながら顔を赤らめた。

 ……何というか、一挙一動が逐一可愛らしいのがローアだなと思ってしまった。

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