婚約者を酒瓶でぶん殴った酒乱令嬢、今日もお忍びで酒場に行く

亜逸

婚約者を酒瓶でぶん殴った酒乱令嬢、今日もお忍びで酒場に行く

「やっちまいましたわ――――――――――っ!!」


 エルレアン子爵家の令嬢――リリアは、煌びやかな金色の髪を掻き毟らんばかりに頭を抱え、碧い双眸にちょっとだけ涙を湛えながら絶叫する。


 自室前の廊下はおろか、館中に響き渡っていること請け合いな大音声だったが、ほんの数時間前に、婚約者の股間をワイン瓶で強打フルスイングしたリリアにそんなことを気にする余裕はなかった。


「いくらヤリ○ンクソ野郎な婚約者だったとはいえ、いくらなんでもアレはないですわね……」


 子爵令嬢にあるまじき悪態をつきながらも、ベッドに倒れ込む。


 う。

 リリアの婚約者はヤリ○ンクソ野郎で有名な、侯爵家の次男坊だった。

 気に入った他家の令嬢と婚約してはヤるだけヤって婚約を破棄する、絵に描いたのようなクズだった。


 実際今日も、ヤリ○ンクソ野郎はリリアに強引に酒を飲ませ、酔いつぶした上で事に及ぼうとした。

 その魂胆がわかっていたという理由もあるが、酒乱であることを自覚していたリリアは酔いつぶされないよう、それはもう全力で抵抗した。


 しかし、無類の酒好きだったリリアはヤリ○ンクソ野郎が持って来た七〇年もののワインの魅力に負――ゲフンゲフン、ヤリ○ンクソ野郎のあまりの強引さに負けてしまい、飲み過ぎてしまった結果、股間を強打フルスイングしてしまった。


 こうなってしまった以上はもう、次会った時に侯爵家次男坊が侯爵家令嬢になっていないことを祈るばかりだった。


「……いいえ。わたくしは悪くない。全ては、ヤリ○ンクソ野郎とわかった上で勝手に婚約した、お父様が悪いのですわ」


 子爵家当主である父に責任転嫁しながらも、枕に突っ伏する。


 父が、リリアとヤリ○ンクソ野郎との婚約を勝手に決めたのは、自分よりも上の爵位との繋がりが欲しいという、当主とは至極真っ当で、娘の父親としては至極最低な理由によるものだった。


 とはいえ、事件後に、ヤるだけヤられて子供ができてしまえばコッチのものだったのにとか、本当に最低なことをほざいてきたことは到底許容できなかったので、つい父の股間めがけて酒瓶を強打フルスイングしてしまった。


 酒が抜けている分、ヤリ○ンクソ野郎の時よりは手加減できていたと思うので、お父様がお母様になるという事態は避けることができた……と思う。


「そもそも、わたくしには他に好きな方が……」


 ついそんな言葉を口に出してしまったせいか、いまだ抜けきっていない酔いとは別種の赤が頬に差し込む。


「……こうなったら、飲み直しますわよ」


 いまだ死が定かではない父が聞いたら卒倒するようなことを口走ったリリアは、ワードローブに隠していた庶民服カートルに着替えると、窓から垂らしたロープを伝ってそろそろと館を抜け出した。



 ◇ ◇ ◇



 飲み直すという言葉どおり、館を抜け出したリリアが向かった先は、町中にある庶民向けの酒場だった。


 わざわざ町娘に扮してまで酒場に赴いた理由は、二つ。

 一つは、子爵令嬢という身では嗜むことすら許されない、エールや蜂蜜酒などといった庶民向けの酒を楽しむため。


 そしてもう一つは――


「ぷは――――――っ」


 エールを飲み干したリリアは、子爵令嬢にあるまじき吐息は吐きながらも、空になった木杯コップでテーブルを叩く。


「相変わらず、惚れ惚れするくらいにいい呑みっぷりだねぇ」


 その対面に座る黒髪の男――ライドは、楽しげな笑みを浮かべながらも、水の入った木杯をリリアに渡した。


「だがな……お前さん、ここに来る前も大概に呑んでたろ? これ以上呑み過ぎると最悪死人が出るから、そろそろペース落とそうや」

「い、いくらわたしが酒乱でも、酔った勢いで人を殺したりなんかしないわよっ」


 お忍びゆえに、名前も口調も変えていたリリアは、むくれながらも水の入った木杯を素直に受け取った。


「で、何があったんだ?」


 ライドはエールを一口あおってから、唐突にそんなことを訊ねてくる。


「な、何があったって……べ、別に何もないわよ」

「もう一度言うが、お前さん、ここに来る前も大概に呑んでたろ? その時点で何もないって言い張るのは、相当苦しいと思うぞ?」


 全くもってその通りなので、リリアは数瞬口ごもってしまう。


「……ただの愚痴にしかならないから、聞いてもお酒がまずくなるだけよ」

「おいおい、哀しいこと言うなよ。呑み仲間の愚痴くらいで酒がまずくなるほど、俺の舌はお安くないぜ」


 その言葉にキュンときたリリアは、口に運ぼうとしていた水入りの木杯を持つ手をピタリと止める。

 今、水で酒を薄めてしまったら、酔いとは別の熱で頬が熱くなっていることをライドに気づかれてしまう――そんな気がしたから。


 先の言葉のどこにキュンとくる要素があるのか、余人には到底理解できないことはさておき。

 このライドこそが、リリアが館を抜け出してまで酒場にやってきた、二つ目の理由だった。


 ライドと出会ったのは、初めて館を抜け出し、初めてこの酒場を訪れた時。

 当時まだ酒乱であることを自覚していなかったリリアは、初めてのエールや蜂蜜酒を前についつい呑み過ぎてしまった。


 ベロンベロンに酔ってしまったリリアを見て、侯爵家次男坊と同種の野郎どもが近づいてきたところを……酒乱を発揮したリリアが野郎どもの股間を酒瓶で強打フルスイングし、返り討ちにしてしまった。


 あまりにもやべー強打フルスイングっぷりに恐怖した酒場の店主に出禁をくらいかけたところを助けてくれたのが、後から酒場にやってきたライドだった。


 その時以来、リリアとライドは呑み仲間になった。

 酒の趣味が合っていたことや、その辺の貴族の坊ちゃんよりもはるかに細やかな気配りができる彼に、次第に惹かれていった。


 ライドが婚約者になってくれたら――そんなことを夢想したのは一度や二度ではない。

 だが、子爵系当主である父――股間が無事ならば――が、どこの馬の骨とも知れぬ男との婚約を許すわけがない。


(ライドが実は、わたくしと同じようにお忍びで酒場に来ている貴族だったなら……なんて都合の良いことは、さすがにありえませんわね)


 心の中で嘆息とすると、ライドの厚意に甘えて、身バレを避けるために一部内容を脚色しながらも、侯爵家次男坊あらためヤリ○ンクソ野郎との間にあったことを彼に愚痴った。



 ◆ ◆ ◆



 の愚痴を聞き終えたは、内心で安堵の吐息をついた。


(どうやら、ヤリ○ンクソ野郎で有名な侯爵家次男坊とは何もなかったみたいだな)


 侯爵家次男坊が侯爵家令嬢になるかもしれないというのに、何もなかったで済ませるのは正直どうかという思うことはさておき。


 実はロイドも、リリアのエルレアン家と同じ爵位である、ガストール子爵家の跡取り息子――つまりは貴族だった。


 当然ライドという名前は偽名。

 向こうとは違い、ロイドは、リリィが子爵家令嬢のリリアであることを知っていた。


 リリアのことを知ったのは社交界の場。

 その際は言葉一つ交わしていないため、彼女の方はこちらのことを記憶にも留めていないだろう。


 だが、ロイドは違った。

 ロイドはリリアの顔を、名前を、生涯忘れまいと心に刻みつけていた。


 なぜなら一目惚れしてしまったから。

 リリア・エルレアンに一目惚れしてしまったから、ロイドはたった一度見ただけの彼女のことを憶えていた。


 その後、リリアの父であるエルレアン子爵に、幾度となく彼女との婚約を申し込むも、エルレアン子爵が上の爵位との繋がりを持つことに囚われているせいで、その全てを突っぱねられてしまった。


 そんなこんなで意気消沈したロイドはヤケ酒に走ろうと、以前から度々館を抜け出してはお忍びで呑みに行っていた酒場へ向かい……リリアがいたことに仰天した。

 酒に酔ったリリアをお持ち帰りしようとした野郎どもの股間を酒瓶で強打フルスイングし、返り討ちにしたという話を聞いて、さらに仰天した。


 そのせいで酒場を出禁にされるのはあまりにも忍びなかったので、ロイドは仲裁に入り……期せずして、彼女と呑み仲間になれた。

 彼女はリリィと名乗って身分を隠していたので、こちらも合わせてライドという偽名を名乗り、身分を隠した。


 それから幾度となく逢瀬二人呑みを重ねていくうちに、酒の趣味が合っていたこともあってか、ますます彼女に惚れた。

 子爵家令嬢らしからぬ、豪快な呑みっぷりと酔いっぷりにも惚れた。


 もうこうなったら何が何でも彼女と結婚したいと思ったロイドは、どうにかして爵位を上げることを決意する。が、リリアと、ヤリ○ンクソ野郎で知られる某侯爵家次男坊と婚約したことを知ったのは、その矢先だった。


 絶望のあまり、またしても酒場でヤケ酒に走ってしまったが、その時は他ならぬリリアに慰めてもらえた上に、彼女自身の口から婚約についての愚痴――当然、その話をした際は身分を隠すための脚色が多分に入り混じっていた――を聞いていたため、どうにか立ち直ることができた。


 そして今、侯爵家次男坊が侯爵家令嬢になるかもしれないという話を聞けて、ロイドは心の底から安堵した。


(まあ、まだ爵位を上げれてないから、安堵するのは早いけど……)


 そんな野暮な話を、これ以上酒の席に持ち込むのはそれこそ野暮なので。

 さっさと頭を切り替えたロイドは、リリアとの二人呑みという至福の時間を心ゆくまで楽しむことにした。


「あ、マスター。エール二つ追加で」

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