せかいじゅさんとあまあまが苦手な女子高生

ホサカアユム

第1話 プロローグ

 白く、古く、世界の片隅の島国を見定め支え続けてきたその組織は、今やあり得るべき姿を見失い、瓦解寸前であった。


「枝<チャート>が無い今、正確な観測など出来るものか!」


 甲高く耳障りな声で叫ぶ白衣の男は、この組織の男性研究員である。


「落ち着け。確かに状況は最悪だが、喚いてどうなるものでもない」


 重圧を孕んだ低い声が男に返る。


 男はバツが悪そうに俯くが、頷きはしない。他の研究員達も不満そうな目をこちらに向けている。


 彼ら彼女らの胸には、一様に特徴的なシンボルマークが縫いつけられている。


 金剛界曼荼羅。諸仏を描いた九つのブロックが整然と並ぶ様は、数学のフラクタル模様にも似ている。全体と部分の自己相似。全にして一なる宇宙の真理。一般的な科学研究機関には似つかわぬシンボルマークだが、このシンボルを組織は古来から使い続けている。


「私達に手段が残されているのでしょうか。あの少女をもう一度捕獲することが出来るのなら、可能性もありますが――今のままでは動くこともままなりません」


 また別の研究員が、眉根を寄せる。


「そうだな。あの者が自分の足からここに戻ってくるようなことがあれば、あるいは……」


 だが、この場にいる者は皆分かっている。


 如何なる運に頼ろうとも、少女がこの施設に戻ってくることはあるまい。


「もしも枝か、彼女を悪用されるようなことになれば――私が責任を取ろう。私が得てしまった『リンク・アクター』の記憶や情報にはそれだけの力があるようだからな」


「責任とは、どのような形で……?」


 傍らにいた、女性研究員が訝しそうに聞いてきた。


「私がリンクする炎の国の長は、浄化の炎を世界に撒き散らす。その炎は彼女にも届こう。組織としては不本意だが、研究を悪用されるぐらいならその方が懸命であろうな」


「そんな……」


「そのようなことのために、我々はこの研究を続けたわけでは……」


 口々に研究員達が不満を垂れ、悔恨に満ちた忸怩たる表情でこちらを見ていた。


 私もずっと、視界の中で彼らを見ていた。


 その間私は、誰とも、一度も目が合わなかった。



◇  ◇  ◇



「こんなに甘くて優しいケーキを、よくもそんな不機嫌に食べられるよねリョーコは」


 由里ゆりが呆れながら、私の顔を見つめてくる。


「あまあまは苦手なんだもん、映画でも漫画でも食べ物でも」


 人間関係でも。


 最後の余計な一言は胸に仕舞って、私はペパーミントティーを一匙ティースプーンで掬う。たるかった口の中を、すっきりとした香りがリフレッシュしてくれた。


「まあリョーコがケーキぐらいで機嫌よくなったら、逆に気持ち悪いけど」


 余計な一言をあっさり言う由里だけど、授業を終えて帰ろうとしていた私をこの店に誘ったのは他ならぬ由里だ。


 通学路の途中にあるこの店を、由里はずっと狙っていたらしい。リーフパイを発明したとかで、知る人ぞ知る店なのだそうだ。店内のポップにもデカデカとそう書いてある。


 けれど私が小さめのフォークで口に運んでいるのは、皮の渋味をわずかに残したモンブラン。潔いほどにコクのある栗の香りが鼻腔に広がって、むせかえりそうになる。


 由里は紅玉をたっぷり使ったアップルパイの欠片を、人間の魂をエネルギー源にしている怪物みたいに豪快に口に放り込む。頬まで紅に染めた幸福そうな笑みで、キスぐらいなら頼めばしてくれる勢い。してくれなくていいけど。


「あ~、それでまた隣のクラスの笹川がさ~」


 下品な口調で、由里が再び語り出した。


「ああ、笹川くんね」


 私は冷たく思われない程度の声量で、相づちを打つ。


 校則ぎりぎりの臨界運転で染められて、緩いパーマがあてられた由里の茶髪はクラスでも男子の気を惹く。ルックスもそこらの会いに行けるアイドルぐらいには整っているし、バストだって高校生離れしている。この通りさっぱりとした性格なので嫌われにくい。


 同じクラスになって以来、由里の恋愛相談一つや二つでは効かなかった。その度に私はこうして付き合わされて、名前しか知らない男子の悪癖や性癖を暴露される。おかげでろくに交流も無いのに、私は由里と男子達のファーストキスの場所まで把握している。四組の新井くんとの、『忍び込んだホームレスのテントで』はなかなかにマニアックだと思う。


 一方で私はセックスアピールなんてさらさらする気のないセミロングの黒髪で、髪質には自信があるけれど特に目立たない。メイクだって得意じゃないから結果的にナチュラルメイクにしかならない。カラス除けみたいなキラキラを纏うのはどうも苦手だ。


 由里曰く私のルックスやスタイルはボーイッシュでカワイイ系らしいのだけれど、つまりは発育不良であんまり大人っぽくないってことだ。そこそこ身なりには気をつけているからクラスの下位カーストには配されないまでも、男子からはそんなに寄ってこない。


 私はニュートラル・ニュートラル属性を自覚している。


「リョーコがその気になって自分の魅力を利用すれば、神様だって落とせるのにねえ」


 大袈裟に私を誉め称える由里は、私といると自分が引き立つことを計算している。


 私も別に、そのぐらいなら利用されて構わない。誰にも利用されないレベルの女の子は、社会から孤立しすぎてしまう。


 そんなわけで、私は由里の愚痴を聞いているふりをしながら、こっそり口笛を吹く。


 メロディだけは覚えているけれど曲名は思い出せない、思い入れだけはあるけれど調べるつもりは無い――その程度の、それぐらいしか縁のない、そんな曲。一心不乱に吹いてみたところで、独白に夢中な由里は気づきっこない。


 口笛が大好きな私は、実は口笛を吹くことが大の苦手で、どんなに頑張ってもオカメインコのいびきほどの音も出せない。せいぜい呼吸が荒くなっているように見えるぐらいなので、口元をさりげなく隠せば絶対にばれない。


 無音でストレス解消をしながら、私は由里が飽きるのを待った。決して強くは遮らないし、かといって聞き入らない。この距離感が私には心地よい世間であり、ビジネスライクな社会基準。


 働くって多分こういうことだろう、と私は思う。

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