第2話

「……うっ、ここは?」

「あら、目が覚めたかしら」

 傍から聞きなじみのない女性の声が聞こえる。段々と意識が覚醒していくにつれて、ここが自分が泊まっている部屋だと気づいていく。

 

「あの……あなたは」

「私? まあ警察に関係する者、かな」

 どうやら彼女の名前は睡蓮すいれんと言うらしい。現場で倒れていた私を、この部屋に連れてきたのも彼女らしい。

 

「そうか、私はあの時、っ!」

 あの部屋の事を思い出そうとするが、途端に頭痛が襲いかかる。

「ああっ、無理しては駄目よ!」

 事実、意識を失いあの時の事をを思い出せないのも、私の気を保つための防衛反応と言えるだろう。そんな私を気にかけてか、刑事さんがペットボトルを差し出した。

 

「はいこれ水よ。飲めば落ち着くわ」

「ありがとうございます」

 私は少し水を仰いだ。ひんやりとした液体が喉を駆け抜けていく感覚が伝わってくる。


 症状は落ち着き、頭もある程度働くようになった。正直、このまま思い出さずにいたい自分がいる。しかし、真実を知るために私は一つ決断をした。

「睡蓮さん、何があったか教えて下さい。あの人とは昨日仲良くなったんです。彼女のためにも、私は向き合います」

 

 しばらく静寂が辺りを包み、やがて彼女が口を開けた。

「……分かったわ。確かにあなたから何か事件について分かるかもしれないわ」

「でも無茶しないでね。話の途中で異常が現れたら、すぐに言って頂戴」

「はい。分かりました」

 ベットの上で、一つ二つと深呼吸をする。段々と体から無駄な力が抜けていき、思考がクリアになっていく。その間睡蓮さんは資料をまとめていた。

「すうっ……はぁ……。では、お願いします」

 

「被害者の名前は山笠やまがさ友理奈ゆりな、年齢は16歳、静岡県に住んでいたわ。死因は、近くに注射器が落ちていたわ。その他に頭部に打撲痕があったわ」


「……っ!」

 それを聞いて、半ば強制的にあの時を思い出す。暗く明かりが灯る部屋に広がる鮮血痕と鉄の匂い。段々と呼吸が荒くなり、指先が震えてくる。

「はあっ、はあっ……っ!」

 視界がチカチカとしていく中、僅かに私の手を握る彼女の姿が見えた。

「大丈夫。私がいるわ」

 掌から伝わってくる暖かい感触。その上から何度も何度も手をさすられ、何とか落ち着きを取り戻す。

 

「はぁ、はぁ……ありがとうございます。もう大丈夫です」

「大丈夫? なら続けるわよ。現場からは犯行に使われたとされる注射器が見つかっているけど、鈍器が見つかってない。殴打痕からそれなりの大きさのものなのは分かるのだけど、部屋に合うものは無かった。とりあえず、今あなたに伝えられるのは以上だわ」

 

『山笠友理奈』


 それが彼女の名前。

 浴場で話した時の笑顔が鮮明に浮かぶ。今日初めて合ったが、まるで古くからの友だちのような明るさが彼女にはあった。そんな彼女がなぜ事件に巻き込まれなければならないのか。


「分かり、ました。私が思い出せる限りの事と大体同じです」

「そう、次は山笠さんについて何か知っているかしら」

「いえ、先程言ったとおり昨日初めて会った人です。強いて言えば、私にはストーカーの相談をしてもらったくらいしか話してないのであまり……」

 私の知る事はおおよそ警察が捜査で分かったことであった。あまり役に立ててないのではないかという不安が頭によぎる。


「分かったわ。ストーカーの話も気になるけど、ひとまず置いとくわ。あとは、この宿について何か知っていることはあるかしら」

「うーん……」

 私は必死に記憶を辿った。ホテルの値段やHPに怪しい所は無かった。チェックイン後もおかしな動きをする人は居なかったし、何よりあまり人と会わなかった。

 しばらく頭を捻らせていると、ふとある記事を思い出した。

「関係あるかは分かりませんが、確か前にネットで部屋の花がどうとかの記事を見た覚えが。内容までは分かりませんが、ホテルの評価に関することだったと思います」


 彼女はしばらく検索を繰り返すと、いくつかのサイトをこちらに提示してきた。

「……それはこれらのサイトにあるかしら」

「あっ、それです」

 以前見た評価サイトを見つけ、彼女からタブレットを受け取った。

 

「えっと、これだ。確かここかな……」

ホテルの評価をいくつか見ていくと、少し引っかかる事があった。

「『いつも部屋の花が変わって良かったです』

『毎度同じ花が飾られていて少し季節感がなかった』

 これかな……ん? 刑事さん、ここ評価がバラバラですね。何だかおかしくありませんか?」

「あら? そうみたいね。事件に関係するか分からないけど参考にしてみるわ」

「はい」

 いくつかサイトにブックマークを付けて、彼女にタブレットを返した。


「さて、最後に生河宮さんに一つ伝えなければならないことがあります。この事は生河宮さんにとって少し辛いことかもしれません。聞くも聞かないも生河宮さんの自由ですが、どうしますか?」


 迷うことは無かった。真実を知るためにどんな事も受け止めると決意したから。

「私は構いません。そのお話、聞かせて下さい」


「……分かったわ。ならこちらのサイトを見てくれるかしら」

 タブレットに表示されていたのは、おどろおどろしい雰囲気を持つとあるサイトの画像だった。黒の背景にいくつかのタブがあり、赤文字で物騒な言葉が綴られていた。

「すみません、こちらは……」

「これはいわゆる闇サイトと言われるものよ。このサイトではいわゆる自殺の幇助を行うもの。彼女の検索履歴の一つにあったの」

「それってつまり……」

「そう。彼女は自殺願望を持っていたの。だから今回の事も、自殺ではないかという話もある。それに、彼女の携帯から遺書も……」

 しばらく言葉が出なかった。あの笑顔の裏では、そんな事を考えていたなんて。


「……嘘だ」

彼女の笑顔は嘘偽りのないものだった。自死を決めた人のものとは思えない、心からの笑顔だった。


「刑事さん、彼女の死因は自殺なんかではありません! 何かきっと裏があるはずです。たった数時間の付き合いでも、これだけは確信できます」

 私は睡蓮さんの目をまっすぐ見つめた。刑事さんは何も言わず、ただこちらを見つめ返していた。


「……そうね。今回の事件の中で、あなたが一番深く関わっているものね。こちらとしても、改めてとして考えてみるわ」


「っ! お願いします」

 私は彼女に深く頭を下げた。今はただ、


「あなたの心意気、しっかり受け取ったわ

貴重な情報ありがとう。さて、体調はどうかしら?」


「だいぶ楽になりました」

「そう? もう動けそうなら、貴重品を持ってピロティに行ってくれるかしら? 本当は私がついていくべきだけど、まだやらなければならない事があるからエレベーターまで」

彼女は袋から私の財布や携帯を取り出した。

「分かりました」


彼女から机の上の財布と携帯を受け取り、エレベーターへと向かう。既にこの階にエレベーターは止まっていたため、すぐに扉が開いた。

「では私はここで失礼するわ」

「睡蓮さん。介抱から何まで、色々とありがとうございました」

「うん、気を付けてね」

 閉じゆく扉の前で、私は改めて礼をした。



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