第11話
着替えるのも億劫になった麻紀は、脱いだ服を洗濯機に投げ込んで浴室の扉を開ける。
蛇口をひねって浴槽に湯を溜めながら、今日の出来事や、それに紐づいて思い出される過去のことについて、ぐるぐると考えてながら湯が溜まるのを待つ。
ある程度溜まったところでシャワーに切り替え、髪や身体を洗い終えると湯船に潜った。
自分の鼓動しか聞こえない暗い世界で、麻紀は少しずつ苦しくなるのも構わずに潜り続けた。
社長夫人を始め、会社に勤めている人間全員に悪態をついたところで、もうどうにも苦しくなって潜るのを止めた。
そのまましばらく何も考えないで湯につかっていた麻紀は、空腹で胃が痛くなったのに気づいて浴室を出た。
濡れた長い髪を適当に丸めてタオルを巻くと、簡単な部屋着を纏ってかばんを拾い上げ、自室にそれを投げて台所へ向かう。
冷蔵庫の中を確認しにいった麻紀は、帰り道に頭の中で見たもの以外、思いの外いろいろと入っていったことに驚いた。
中には納豆と麦茶と調味料だけではなく、野菜室にはレタス、冷凍室には豚バラ肉があった。
麻紀はそれらを取り出すと簡単な料理を作り、夕食を済ませた。
一応季節が季節なので、洗い物をして再び浴室へ行く。
寝ている間に洗濯が終わるようにしてから自室に行くと、そのままベッドに潜って眼を閉じた。
麻紀の両親はもういない。
父、文則は麻紀が中学の卒業間近のときに、肺の病気が悪化して死んだ。
病院で妻と娘に看取られながら、最期は眠るように死んだ。
肺の病気でありながら苦しまずに死んだのは、麻紀が側に居たからだろうと医者に言われた。
家から遠い所に入院していたこともあって、滅多に見舞いに行けなかった麻紀がその場に居たことで、見栄を張ったのかもしれない、と言われた。
母、琴乃は麻紀が就職してしばらくして、持病の喘息をこじらせて死んだ。
兄弟もおらず親戚も遠縁なので、麻紀はいよいよ独りになった。
幸い家は祖父が建てたものであり、ローンも終わっているようなので、住むところには困らなかった。
しかし大した貯金がある訳でもないので、働かなくてはならない。
このままではすぐに生活に困ることになるだろうと思い至った麻紀は、当時パートとして働いていた県庁を辞め、正社員として働くことにした。
就職に有利だと聞いた簿記やパソコン技術の資格を取得し、現在の会社に入社したのだが、それが間違いだった。
通勤にお金を掛けたくない麻紀は、自宅から近い会社を探した。
個人経営の辛気臭い事業であったことから、苦手な接客であっても少しの我慢でいいだろうと入社したのだが、ふたを開けてみれば、創業当時からいる定年が近いお局様、その夫、同じく創業当時からいるボールのような体格の体臭がきつい店長、自身の弟にいつ取って代わられるか気が気ではない二代目社長、白い樽のような騒音社長夫人、仏壇屋の営業がそれでいいのかと思うほど軟派な営業担当、お局様の腰巾着。とんでもない所だった。
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