第139話 核

 しおれた触手はビクンビクンと痙攣している。

 こちらに攻撃を仕掛けようとしているようだが、うまく動かないようだ。


 よくよく見ると、斬り傷に黒いもやのようなものが纏わり付いている。


「これは……毒? いや、瘴気か」


「そうだ。極限まで濃縮した瘴気を太刀に纏わせ、叩きつけた」


 コウガイが首肯する。


 ――ブチッ、ブチッ……


 痙攣した触手から嫌な音が聞こえ、触手がぐったりと動かなくなった。

 見れば、本体から根元から切断されている。


 肉塊に瘴気が到達するのを防ぐために、トカゲの尾のように自切したようだ。

 すでにナンタイの意識は残っていなさそうだが、生存本能がなせるわざだろうか。


 切り離された触手は、魔力供給が途絶えたせいか、強力な瘴気の浸食に耐えきれず、あっという間に溶解してしまった。


「ぬうぅ……触手ごとナンタイを屠るつもりだったのだが……彼奴あやつもよほど死にたくないと見える……がふっ」


 小太刀を鞘に納めたところで、コウガイが血を吐いた。

 ガクン、と膝を折る。


『アナタ……!』


 しゅるん、と『ねね』さんが小太刀から出てきてコウガイを支えた。


「お、おい大丈夫か?」


「す、すまぬライノ殿……さきほどの《穢》は生命を蝕む瘴気を纏い、敵を斬る奥義なのだ。すなわち……余波が、吾輩にも及んでしまい……ガハッ」


 『ねね』さんの膝枕の上で、再びコウガイが吐血する。


「もう喋らなくていいぞ……」


 お前はお前で死にたがりかよ……

 まあ、初めて対峙したときから知ってたけどな。

 いきなり自分の腹に小太刀を突き立てて魔物化するような捨て身の剣術(?)だし。


 しかし、瘴気で肉がドロドロに溶けるとか、恐ろしい技だな……

 絶対に喰らいたくない。


「コウガイ、『ねね』さん、二人ともしばらくそこで休んでいてくれ。肉塊は俺たちでなんとかする」


「か、かたじけない」


 ひとまずコウガイは『ねね』さんに任せておけば大丈夫だろう。

 というか、今の『ねね』さん自体が瘴気そのもののような気がするが、あれは大丈夫なのだろうか。


 ……まあ、コウガイの安らかな顔を見るに、アレはきっと別モノなのだろう。

 俺には違いが全くわからないが。


「ね、ねえ! ちょっとにいさま! 肉塊、気のせいかさっきよりずいぶん大きくなってないかしら?」


 少しなごんでいた俺に、アイラの緊迫した声が飛んできた。


「……なんだと?」


 肉塊を見る。

 再び触手が生えてくる様子はない。

 だが――


「……………な、なあイリナ。俺たち、こんな肉塊の間近で戦っていたか?」


「……………いや、そんなはずは…………これは、まさか……」


 すでに肉塊は、霊廟の半分ほどを埋め尽くしており、なおさらに増殖中だった。


 さきほどまでも、確かにジリジリとこちらに迫ってきていたのは知っている。

 だが、今は目に見えて体積が増加している。

 というか、肉塊の腹に、触手の溶けた跡がどんどんと呑み込まれている。


「クッ……まさか、触手に供給してた分の魔力が、増殖に全部回ったからだというのか!?」


「分からん! だが、このままだとマズいぞ」


「ああ、今は、まず出来ることを試すべきだろう! ライノ殿、下がっていてくれ――《轟火焔》ッ!」


 俺が後退するのと同時に、イリナが剣に纏わせた灼熱の炎を肉塊に叩きこむ。


 ボゴッッ――


 肉の爆ぜる嫌な音とともに強烈な熱風が吹き付けてきた。

 強力な火焔魔術を乗せた、至近距離からの攻撃だ。

 肉塊には相当なダメージを負わせたはずだが……


「ハア、ハア……やった、か……?」


 ほとんど全力で魔力を込めたのだろう、イリナが肩で息をしている。

 懐から魔力回復剤の小瓶を取り出すと、蓋を口で噛みちぎり、一気に中身を呷った。


 熱と煙が晴れると、肉塊の表面がごっそりと焼失しているのが見えた。

 イリナの前には、ぽっかりと大きな空洞が形成されている。

 効果は絶大だ。


 だが……


「クッ……再生スピードが速いっ!」


 みちみち、めきめきと生々しい音とともに、空洞の壁面から新たな肉が盛り上がり、あっという間に空洞が消滅してしまう。


 さらには、再生された体表に、なにやら筒のような突起がいくつも体表に並んでいるのが見える。

 さきほどまでは、あんな器官はなかったはずだ。


 ――ビュッ! ビュッ! ビュッ!


 突起すぼまると同時に、勢いよく液体が射出された。


「うわっ! なんだっ!?」


 イリナは間一髪のところで躱すことに成功するが、液体が付着した床部分がジュウゥ……と嫌な音を立てて崩れてゆく。


「おいイリナ、それはおそらく消化液だ! 触れるとマズい!」


「見れば分かる! くっ、このっ……これでは迂闊に近寄れんっ!」


 コウガイの剣技の意趣返しということだろうか?

 射出された消化液の飛距離はそれほどではないが、石床すら腐食させる強力な溶解液だ。


 足にでも飛沫がかかれば、一瞬で肉をグズグズにされ行動不能に陥ってしまうのは容易に想像できる。そうなれば……

 増殖スピードの上がった肉塊に取り込まれ、あっという間に消化されてしまうだろう。


 消化され、骨すらなくなってしまえば、さすがのアイラでも治癒不可能だ。

 もちろん蘇生なんてできるわけがない。


「クソ、厄介だな」


 これで近接攻撃が難しくなった。

 イリナの魔法剣は、基本的に剣で斬りつけ、魔術を傷口より体内に直接叩き込んでこそ真価を発揮する。


 もちろん前の部屋や触手に使ったように広範囲に攻撃できる技がないわけではないが、今の肉塊の増殖スピードを殺しきれるとはとても思えない。


 となれば……こちらも切り札を温存している余裕はない。


「パレルモ、ビトラ、出番だ! 俺とイリナが射線上から退いたら、一気に攻撃を叩き込んでくれ! ……霊廟は破壊しないようにな」


「りょーかいだよーっ!」


「む。やっと私たちの出番」


 万が一に備え後衛組として控えさせていたパレルモとビトラが元気よく応え、前に進み出た。


「いっくよー! うややややややややややあっ!!」


「む……こちらも負けてはいられない。出でよ、ごれむん十五号――《砲腕の型》」


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ――


 霊廟内が轟音で揺さぶられ、爆風が吹き荒れた。


 パレルモの両手から繰り出される不可視の刃が肉塊をバラバラに斬り刻み、ビトラの生み出した植物ゴーレムの筒状の腕から射出された魔力弾が、肉塊に次々と大穴をあけてゆく。


 だが肉塊もさるもの、負けじと猛スピードで肉を再生させてゆくが……二人の嵐のような攻撃の前に、徐々にではあるがその体積を減少させている。


「なっ……なんだこの力は……!?」


「えっ!? 二人ともこんな強かったの……!?」


 イリナとアイラが目を剥いている。

 そういえば直接二人の本気の攻撃力を目の当たりにしたのは初めてだったか?


 特にパレルモは本気の本気で魔術をぶっ放したらこんな小さなダンジョン一つくらい、簡単に消し飛ばしかねない威力を秘めているからな。


「うやややややややややややっ、やややややややややあっ!」


「むむむむむむむむむむ、むむむむむむむむむ――」


 おお、いいぞ!


 すでに表面の突起は二人の猛攻により消失し、えぐれた中身が露出している。

 肉塊の体積は、この部屋に踏み入れたときの半分にまで減少している。


「ぬう……ただの女子とは思っておらなんだが……やはりライノ殿の側におるだけあるな……」


『オソロシイ子タチデス……』


 コウガイと『ねね』さんがちょっと引き気味でその様子を見ている。

 その顔には、「もう、この二人だけでいいのではないだろうか?」と書いているが、まったくもって俺も同感である。


 まあ、難点があるといえば……


「うやややややややっ……もぐっ……ややっ……はむっ……やややあっ……うう~、お腹空いたよぉ……」


「む……空腹……パレルモ、ずるい……というか、私も魔力が尽きてきた……」


 強力な魔術ゆえ、割とすぐ魔力が尽きてしまうことだな。

 当然魔力が枯渇すれば、お腹が空いてしまう。

 お腹が空けば、気合いは当然ゼロになる。


「お、おいライノ殿! 二人が凄いのはよく分かった! だが、また肉塊が増殖し始めているぞ! 二人が最後の希望なんだ、なんとかならないのかっ!?」


「そ、そう言われてもだな……」


 イリナが必死な顔で俺の肩を揺さぶってくる。

 すでにパレルモは魔術連打の合間を縫って、こっそり《ひきだし》からおやつを取り出しては食べている。

 だが、それでも魔力の補充が間に合っていない。

 ビトラはそういう意味ではズルなしでよく頑張ってはいるが、限界が近い。


「クソ、どうすれば……このままではヘズヴィンの街が肉塊で埋め尽くされてしまうぞ……」


 イリナが頭を抱える。


 と、そのとき。


 ――ガキン! ガインッ!


 肉塊の奥から硬い音が響いた。


「うややややっ、んんっ!? なんか変な音がきこえたっ!?」


「む……破壊不能の物体を発見」


「おいライノ、アレは一体何だ……あんなモノ、見たことがないぞ」


 イリナがそれを睨み付けながら、低く唸る。


 それは、心臓だった。


 パレルモとビトラの猛攻で抉り取られた肉塊の中から、それは半分ほど露出していた。


 大きさは、酒場の大樽ほどだろか。

 人間が身体を丸めれば、すっぽりと入ってしまうほど大きい。


 そんな巨大な心臓が、ドクンドクンと力強く脈打っているのが見える。


 もしかしなくても、アレは……


「パレルモ、ビトラ! 間違いない、アレは肉塊の『核』だ! アレを破壊すれば、肉塊を滅ぼすことができる可能性が高い!」


「で、でもっ、わたしの術を弾いちゃうよっ。ほらっ」


 ――ギィン!


「む。私の攻撃でも破壊は難しい」


 確かに肉塊の心臓は、二人の攻撃を受けても傷一つ付いていない。

 試しに撃ったパレルモの術が、心臓に到達する直前に弾け飛んでしまっている。


 魔術が到達したとき、一瞬ではあるが魔法陣が出現しているところを見るに、どうやら心臓周辺には強固な魔術結界が施されているらしい。


 パレルモの空間断裂魔術は、空間そのものを切り裂く術式だが、それを可能にするのは魔術であり、力の源泉は魔力にほかならない。

 もちろんビトラの魔力弾も同じだ。


 ならば、魔王の力を持つナンタイから生じた肉塊に、同じく魔王の巫女の繰り出す魔術をすらはじき返す魔術結界が施されているとしても何ら不思議はない。


「ライノ殿、アレはおそらく私の魔法剣も弾き返してしまうだろう。正直、手の施しようがない」


 イリナが悔しそうに言葉を絞り出す。

 確かに、魔法を纏わせた剣程度では攻撃が弾かれるのは間違いなかった。


 だが、こうして手をこまねいている間にも肉塊は再生を始めている。

 さすがに損傷が酷いせいか、再生速度は先ほどのように劇的ではない。

 今がチャンスなのだ。


「落ち着け。何か手があるはずだ」


 絶対に倒せないと感じる敵でも、何かしら弱点など糸口はあるはずだ。

 考えろ、考えろ、考えろ――


 うねうねと蠢き心臓を覆い隠そうとしている肉塊を注意深く観察する。


 ……ん?


 俺はあることに気付いた。

 肉塊が、心臓を覆い隠そうと蠢いている。

 そのことに、強い違和感を覚える。


 どこか、おかしい。


 その理由を懸命に探る。


 そういえば、肉塊はそもそもどうやって魔力を全身に供給している?

 当然、心臓と肉塊は血管などで接続されていなければならないはずだ。


 血液や体液に魔力が溶け込み、それが全身に行き渡ってゆくのだから、当然の話だ。


 だが……魔術結界はその少しだけ外側・・・・・・に展開されている。

 しかし、心臓は、外界から完全に隔離されているようには見えない。

 というか、太い血管や神経らしき器官が、心臓から肉塊へと伸びている。


 それが意味するところは、つまり……


 俺は一つの仮説に基づき、行動を開始する。


「ライノ殿? そんな小さな刃物で何をする気だ?」


 イリナがこちらを見て眉をひそめるが、気にしている暇はない。

 取り出したのは、探索のさいにいつも持ってきている投げナイフだ。


 もちろん手の平にすっぽり収まるほどの刃渡りしかないナイフなど、目の前の肉塊には痛痒すら感じさせることはできないだろう。


 だが……


「――《投擲》」


 ――ドシュッ!


 俺が放った投げナイフは、魔術結界を透過して心臓に突き刺さった。


「なっ……!? あんな小さなナイフが結界を打ち破った、だと……?」


 もちろん、かなり身体強化したうえで、スキルの力を借りて放っている。

 だが、そんな程度では肉塊の巨体を支える心臓はビクともしない……だろう。


 もちろん予想通り、ナイフの刃がごく浅く心臓に突き刺さった程度だ。


 だが……傷の程度は問題ではない。


 一番肝心なのは、心臓に傷が付き、そしてそれが周囲の肉塊と同じように再生されていない、という事実だった。


 確かにあの結界は、魔術に対しては無敵に近い防御力を誇る。

 だが、直接攻撃には耐性がほとんどない。


 それを確信したのは、心臓に血管や体組織が接合していなければ、魔力を肉体に供給できない――という、当たり前の事実に気付いたからだ。


 そして、それだけ強固な魔術で心臓を保護しなければならない理由は……他の体組織と違って、再生が難しいからだろう。


「まさか……そんなこんな抜け道があるとは」


「あれだけの魔術で保護しているんだ。当然想定すべき仮説だ。もう事実だがな」


 まあ、無理もない。

 普通の前衛職ならば、あれだけ強大な敵を前に、あえて弱い手段を使ってみようとは夢にも思わないだろう。


 いずれにせよ……ここまで来れば、あとは簡単なお仕事だ。


「パレルモ、ビトラ、あとで美味いものをたらふく食べさせてやる! だから、あとちょっとだ! あの心臓の周囲の肉塊を根こそぎ吹き飛ばしてくれ! 俺があとはなんとかする!」


「う、うん! お腹は空いたけど……わかった!」


「む。了解した。あとで動けなくなるまで食べる」


 目先の食べ物につられたのか、二人の目つきが変わった。

 二人の小さな体から、とてつもない魔力が立ち上る。

 空腹とか言っているものの、まだまだ余力を残していたらしい。


「いっくよー! うー……たあぁー!」


「む……ここで全力を出しきる」


 ゴッ――


 まだ見ぬごちそうに目がくらんだ二人から、すさまじい力が放たれる。

 それだけで、十分だった。

 見れば、肉塊の心臓付近の体組織がごっそりと消失している。


 ……道は開けたようだ。


「も、もーだめー……」


「む……もう無理」


 くたり、と二人が崩れ落ちた。

 さすがに魔力を消費しすぎたらしい。


「二人とも、よくやった! ――《時間展延》」


 スキルを発動。


 数千倍まで引き延ばされた時間の中、俺は散乱した体組織を飛び越え、文字通り一瞬で肉塊の心臓に肉薄する。


 ……思った通りだ。

 こちらが触れそうなほど接近しているのに、結界は発動していない。


 ならば、やることは一つだけだ。


「――《解体》」


 振り下ろした短剣が、心臓に到達する。

 スルリ、と刃が肉に滑り込んだ。

 意外なほど、抵抗は感じられない。

 あるのは、ただ肉を斬るわずかな感触だけだった。


 スキルを解除。


 ――ゴバッ――


 斬りつけた場所から大量の体液が噴き出した。


 もっとも短刀の刃渡りでは、さすがに心臓を両断することはできない。

 だが……ほとんど再生しない心臓に対して致命的なダメージを与えるには、十分だった。


 少しの間をおいて、心臓の動きが停止した。


「お、おお……! あれほどしつこく増殖していた肉塊が、しおれていくぞ!」


「す、すごいわ……」


 肉塊は供給されていた魔力が途切れた途端、どんどんと萎びてゆき――


 あとには、黒く干からびた心臓の残骸と、床に横たわったナンタイの上半身だけが残されていた。

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