第138話 成り損ない

 地下礼拝堂を過ぎ、暗く細長い通路を抜け、霊廟に足を踏み入れる。


 内部には、異様な光景が広がっていた。


「これはまた……ずいぶんと酷い有様だな」


 イリナが顔をしかめて、そう呟いた。

 彼女の言う通りだった。


 霊廟の奥側が、大量の肉塊に埋め尽くされていたのだ。

 最奥部に鎮座していた石棺はすでに影も形もない。


 赤黒く脈動するスライム状の肉が天井や石床にもへばりついており、部屋の奥側三分の一ほどが完全に埋めつくされている状態だった。


「ねえ、にいさま。あの人は助けるの? もう手遅れだと思うけれども……」


 アイラが指さした方向……肉塊の中央部分に、胸のあたりまで埋まった男の姿が見えた。


 それは、ナンタイの成れの果てだった。


 首をうなだれており、表情は分からない。

 血色からしてまだ息はあるように見えるが、ピクリとも動かない。


「ナンタイ……同情はせぬぞ」


 重々しげに口を開くコウガイ。

 苦虫を噛み潰したような表情をしている。

 まあ、気持ちは分からないでもない。


 こんな終わり方ではなく、きっと自分の手で決着を付けたかったはずだ。


「どのみち、ヤツを討伐することには変わらん。……イリナ、アイラ、あそこを見てくれ」


 俺は肉塊が取り付いている石壁を指さした。

 ドクン、ドクンと脈動する肉塊の端から根っこのような細い触手が生まれ出ては、壁のひび割れや穴を探り当て、内部に入り込んでいる。


「あれは……このダンジョンの魔力を吸収している?」


「おそらくそうだろうな」


 俺は頷き、さらに地面を指し示して続ける。


「だが、ここだけじゃない。この下には、『嫉妬の遺跡』がある。そっちから直接魔力を吸い取る術式は破壊したが、このままあの肉の根が地下深くに向かえば遺跡に到達する。そうなったら、どうなるか分からん。その前に、終わらせる。イリナ、準備はいいか?」


「当然だ。まあ……魔力が保つか心配になる大きさだが、なんとかやってみよう」


「魔力回復剤はたくさん持ってきているわ!」


「さすが我が妹だ。それならば安心して全力が出せるな……!」


 イリナが大きく頷き、細剣を抜き放つ。

 シャリン、と小気味良い音が霊廟に響き渡った。


 と、そのとき。


 ――ドクン


 ひときわ大きな脈動と同時に、肉塊全体がぶるり、と身を震わせた。


「むぅっ、何事だ」


 コウガイが小太刀の柄に手を掛けつつ、うなり声を上げる。


 次の瞬間。


 ――ボコ、ボコボコ、ボコボコボコボコココココココ――


 肉塊のあちこちが隆起し、幾十もの触手が姿を現した。

 その先端には、いずれも魔剣が握られている。


 どうやら肉塊は、イリナの殺気に反応して応戦するつもりのようだ。


「クソ、どいつも魔剣持ちか。それにこの数は……マズいな」


 さきほどの礼拝堂の数ほどではないが、それでも俺たちの数よりもずっと多い。

 一気に襲いかかられたら、最低でも一人あたり五、六本を相手にする計算になる。


 まあ、バカ正直に剣を交えるつもりはないが。


「……イリナ、大丈夫か?」


「やってみるしかないだろう! 焼き尽くせ――《轟火焔》ッ!」


 上位火焔魔術を纏わせた剣を、横薙ぎに払う。


 ゴウ、と空気が震え、業火が霊廟全体を埋め尽くした。


『『『――――ッ!?』』』


 肉がむきだしの触手たちには、耐えがたい攻撃だったようだ。

 苦しそうに悶えながら消し炭へと姿を変えてゆくが――


「チッ。あまり手応えがないな」

 

 イリナが舌打ちする。


 いったんは力を失い床に落ちた触手だったが、すぐに炭化した部分が剥がれ落ち、下から新しい表面が現れたのだ。


 触手は何事もなかったかのように取り落とした魔剣を拾い上げると、こちらを威嚇するようにその切っ先を向けてきた。


「クッ、もう一度……うわっ!?」


 イリナが剣を構え直した途端、ビュンと風切り音が聞こえた。

 魔剣を持った触手が数本、彼女目がけて襲いかかってきたのだ。


「舐めるなッ! この程度の反撃など――《轟雷刃》ッ!」


 電撃が瞬時にイリナの剣に纏わり付き、魔剣と切り結ぶ。


 次の瞬間、バン! と破裂音が響き、魔剣を持った触手が爆散した。

 魔剣を伝わって触手部分に流れ込んだ電撃による負荷が、肉を爆ぜさせたのだ。


 だが……


 今度は爆散した根元の部分から新しい肉が盛り上がり、元通りになってしまった。


「これでもだめか……!」


 イリナが悔しそうに呟く。


 攻撃が効いていないわけではない。

 触手の再生能力が高すぎるのだ。


 おそらくパレルモやビトラの攻撃でもイリナと同様の結果になるだろう。


 ならば……クソ、どうすればいい?


「ライノ殿、すまぬがここは我ら・・に任せてもらえぬか」


 俺が考えていると、コウガイが声をかけてきた。


 その隣には、『ねね』さんが静かに佇んでいた。

 二人の姿には、有無を言わせぬ決意が見て取れた。


「……できるのか? 生半可な攻撃は通用しないぞ」


「吾輩に考えがある」


「……分かった。無理はするなよ」


「心遣い、痛み入る」


 コウガイは軽く頭を下げると、すらりと小太刀を抜き放った。


「……さあ、『ねね』や。我らの力、ナンタイに存分に見せつけてくれようぞ」


『…………ハイ、アナタ』


 『ねね』さんの姿がぎゅるん、と歪むと、コウガイの持つ小太刀へと吸い込まれてゆく。


 いや、逆だ。


 あれは『ねね』さんが小太刀に取り憑いたのだ。

 『ねね』さんが完全に小太刀に入り込むと、その漆黒の刀身から瘴気が立ち昇り始める。


「…………なんという、美しい魔剣だ」


 その様子に、イリナが心を奪われたように呟く。


 コウガイは無言のまま、触手たちのまっただ中へ歩み出る。


 積極的にはこちらを攻撃する素振りを見せなかった触手たちだったが、さすがにそのまっただ中に入り込んだ異物コウガイを見過ごすはずもない。


 ――ギュルルルルルルルルル――


 無数の触手が激昂したように身を震わせ、複雑にうねりながらコウガイを取り囲む。その様子は、まるで肉の檻のようだ。


「ふむ。この程度、ものの数ではない」


 コウガイの後ろ姿には、いささかの焦りも感じられない。

 ただ、瘴気を纏った小太刀――妖刀『ねね』を静かに構え、腰を落とす。


 それから、コウガイはただ一言、


「――《穢》」


 とだけ、呟いた。


 直後にキン、と金属音が一回。


 それは、コウガイが小太刀を鞘に納めた音・・・・・・だった。

 あまりの速さに、剣閃は見えなかった。


 一拍の間を置いて。


 ――ズズン。


 一本の触手が力を失い、崩れ落ちた。


 ――ズン、ズズン、ズズズズズズズ……


 それに続くようにして、二本、三本と触手がまるで斬り倒された木々のように床に崩れ落ちてゆく。


 コウガイを取り囲む全ての触手が地に伏せるまで、さして時間はかからなかった。

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