第137話 繭

 早朝。


 俺たちは教会の前で装備の最終点検を行っていた。


 空はまだ白み始めた頃だ。

 まだ路地は薄闇に覆われており、大扉の奥は漆黒の闇に閉ざされている。


 だが、路上に散らばったままの魔剣の残骸と、扉の奥から漂ってくる魔素のもやが、この教会がただの建物ではないことを示していた。


「ライノ殿、本当にこの中に『ねね』の身体があるのか?」


 パレルモの《ひきだし》にある食料の備蓄量を確認していると、魔素灯を掲げたコウガイが近づいてきた。


「ああ。ヴィルヘルミーナの魂はナンタイが吸い取ったあと、身体はそのまま残っていたのは確かだ。今、どういう状態なのかは分からないが」


「うむ。それが分かっているだけでも、吾輩も『ねね』も十分だ。せめて身体だけでも彼奴あやつから取り戻したい」


『…………』


 コウガイが深く頷く。

 『ねね』さんはコウガイの隣で静かに佇んでいる。

 何も言葉を発しないものの、強い決意のようなものを感じる。


「『ねね』さんの身体を見つけたら、最優先で救出するつもりだ」


「……かたじけない」


 話を聞いてしまった以上、さすがに放っておいて大元であるナンタイの討伐を優先するわけにもいかない。できるだけ協力するつもりだ。


「にいさま! そっちは準備終わったかしら? こっちは準備万端よ」


「ライノ殿、そろそろ行こう」


 今回教会内部に突入するのは、俺やパレルモ、ビトラだけでなく、イリナとアイラ、それにコウガイと『ねね』さんの総勢七名だ。


 ギルドの依頼の延長線上でダンジョンに挑む俺たちやイリナたちと違って、ナンタイと『ねね』さんはコウガイにとっては、ナンタイらは因縁の相手だ。

 二人が探索に加わるのは当然の流れだった。


「ああ、行こうか」


 俺たちは開け放たれたままの大扉から、教会内部に足を踏み入れた。


「……存外に静かだな。足を踏み入れた途端、襲われるかと思ってたが」


 イリナは細剣を構えたまま、意外そうに呟く。


 大扉の奥――礼拝堂内部は、夜の闇だけで満たされていた。

 まるで俺たちを取り巻く空間に真綿でも詰め込んだのかと思えるほど、静かである。魔物の気配はまったくない。


 昨日の騒ぎがまるでウソのようだった。


「油断はするなよ。気配を殺す魔術やスキルなんて、いくらでもある」


「わ、分かっているとも。少し意外だっただけだ」


「ライノ殿、ここが地下へと続く道か? ただならぬ気配を感じるな」


 コウガイは一足先に階段のところへ進んでいたようだ。


「コウガイ、先に行くとマズい。俺たちも一緒に降るからそこで待っていてくれ」


「なぜだ? 吾輩が先に出て様子を確認していけば、お主らは安全に進むことができるだろう」


 その役目はそもそも俺のものなんだが……


 まあ、コウガイは冒険者ではないからな。

 ダンジョン攻略の経験値はゼロに等しいはずだ。

 罠の危険性を過小評価していても仕方ないと言える。


 抗議しても仕方がないので、礼拝堂から続く階段の罠を再度説明する。


「ぬう。話は分かった。……確かにそう言われれば、対処法を知らぬ吾輩では逆に皆を危険に晒してしまう。……すまぬが先導を頼む」


「気にするな。適材適所だ。いずれ活躍してもらう時がくる」


「ああ、そのときは、必ず」


『カナラズ』


「じゃあ、俺が先行する」


 階段の罠は、ネタが分かっていればどうということもない。

 さしたる問題なく俺たちは無限階段を抜け、階下の地下室へと到着する。


「くさいー……これ、何のにおい?」


「む……イヤな臭い」


 地下倉庫に足を踏み入れるなり、パレルモとビトラが顔をしかめ鼻をつまんだ。

 確かに倉庫全体に生臭い。


 彼女らが嫌がるほど酷いとは思わないが、嗅いだことのない臭いではある。

 以前にはなかった現象だ。


「これは……腐敗臭、ではないわね。血の臭いに近い気がするけど……違うわ。毒ではなさそうだけれども」


 アイラが前に進み出て、ひくひくと鼻を動かす。


 飛竜ワイバーン特有の羽翼や尻尾は見当たらないものの、よく見ると、掲げた魔素灯に照らされて、頬や首筋にウロコが浮き出ているのが確認できた。

 どうやらすでに半魔化していたらしい。


 半魔化の度合いは、調節できるようだ。

 アイラは治癒術師ヒーラーだけあって、魔力の操作に長けているからな。

 そういうことも可能なのだろう。


 もちろん不測の事態を想定するならば、純粋に身体能力が強化される彼女の半魔化は正しい選択だ。


「気を付けろ。ここからは何が起るか分からないぞ」


 俺も、手に持った短剣を握り直す。

 他の面々も、緊張した面持ちになっている。


 周囲を警戒しつつ、奥の通路へと進む。

 臭気は、どんどんと強くなっていく。

 それと同時に、どすん、どすん、と何かを叩くような音が聞こえてくるようになった。


「ねえ、にいさま。これは何の音かしら?」


「何か柔らかいモノを槌で叩いているような……魔物だろうか」


 アイラとイリナが先頭を進む俺たちに追いついてきて、横に並ぶ。


「分からん。通路の奥は地下礼拝堂だったのは、昨日説明したとおりだ。ガーゴイルがいたが、侵入者がくるまでは動かなかったからな」


 だから、本来ならば音などするはずがないのだが……地下礼拝堂が見えるところまでくると、音の正体が判明した。


「……なんだ、これは」


 どすん、どすんと重たい音が、断続的に地下礼拝堂内に響いている。


 それは、魔剣が産まれ落ちる音だった。


 天井からは無数の繭のような肉塊がぶら下がっており、それらが割れる度に魔剣が落下し地面に突き刺さっているのだ。


 その石床すら穿うがつ切れ味は、さすが魔剣といったところだろうか。


 すでに床に刺さる魔剣は、ざっと数えただけでも数百本は下らない。

 あれが全て『影』になって地上に溢れたら、街にどれだけ被害が出るのか……想像するまでもない。


「う……」


 イリナが口を押さえる。

 こんな気色の悪い魔剣は彼女も欲しくはないだろう。


「酷いわね、これは。鼻が曲がりそうだわ!」


 おそらくこの強い臭気は、その繭から発せられたものだろう。


「あれ、お肉っぽいけど……おいしくなさそう」


「む。私にはにおいが無理」


 間違ってもあの肉繭を収穫なんてしないでほしい。


「……どうするの? にいさま」


「そうだな……」


 今のところ、『影』と化して襲ってくる気配はない。

 だが、それも時間の問題だろう。


 昨日のこともあるし、まさか、ただこの場所で魔剣が産まれては地面に突き刺さり続けているだけのわけがない。


「イリナ、あの肉繭を焼き払えるか?」


「無論だ。もったいない……なんて決して思っていないぞ。決して、だ」


「ねえさま……バレバレだわ」


 まあ、ここはスルーしよう。

 俺は空気が読める男だからな。


 それに俺だって、いい食材や調理器具を前にして平静でいられるかと言われれば、絶対大丈夫だとは言い切れないからな。

 彼女の気持ちは分からないでもない。


「……ともかく。肉繭を焼き払ったら、燃え残りの魔剣をたたき折る。パレルモ、頼むぞ」


「はーい!」


 こっちは邪気のない元気な返事が返ってきた。


 まあ、魔物肉を食べ慣れている俺たちでも、あの肉繭は美味そうに見えないからな。それに、今はそれどころではない。


「それでは、いくぞ。――《轟火焔》」


 蒼白い炎がイリナの剣を包み込む。


「ほう。なかなか面白い剣だな」


 コウガイがイリナの魔法剣を見て、感心したように声を漏らす。


「魔剣たちよ……貴様らに恨みはないが……安らかに眠るがいい――はあぁっ!」


 イリナが一瞬名残惜しそうに顔を歪め、剣を横薙ぎに振るう。

 ごう、と地下礼拝堂が震え、真っ白な熱が空間を満たした。


 ――オオオオオオオオォォォォ――


 一瞬、断末魔とも風音ともつかぬ音が業火の中に聞こえた気がした。


 ――カン、カラン――


 乾いた音が、いまだ残り火が燻る礼拝堂内に響き渡る。

 魔剣のなりそこないたちが地面に降り注ぐ音だった。


「うう、うう……魔剣、一本くらい欲しかった……」


 宝の山・・・を自分で手に掛けたせいか、がっくりと肩を落とすイリナ。

 こちらを見る恨みがましい視線が痛い。

 まあ、仕方ないだろ……


「ときに、コウガイ殿」


 ぐるん、とイリナの顔がコウガイに向いた。

 あ、目がヤバい。

 これは……魔剣ロスですね。多分。


「な、なんだイリナ殿」


「貴殿の持つ小太刀、魔剣の類いだったな。……一瞬だ。ほんの一瞬だけで構わない。ぜひとも、触らせてもらえないだろうか?」


『ヒッ!?』


「むうっ、ならぬっ! お主に『ねね』はやらん!」


 コウガイが即座に拒否するのと、『ねね』さんが怯えたように小太刀の中にスッと消えたのはほぼ同時だった。


「い、いや、誤解しないでほしい。ほんの一瞬でいいのだ。すぐ返す。少しばかり、感触を確かめたいだけなのだ。頬ずりしたり、味見してみたりはしない! いや、きっと、多分……」


「お主の目つき、全く信用できぬわ! そもそも、いかに女性にょしょうといえど、吾輩の『ねね』を誰かの好きにさせるわけがなかろう!」


「……先を急ごう」


「……そうね」


 アイラは達観したように俺に頷いてくれた。


 さらに奥、霊廟に続く通路からは、強烈な魔力を感じる。

 あそこに、いまだナンタイがいるのは間違いなかった。

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