第140話 干からびた心臓
霊廟に、静けさが戻った。
「……やったのか? 今度こそ?」
「ああ、おそらくな」
イリナはまだ緊張を解いておらず、真剣な面持ちでナンタイに剣を向けている。
だが、肉塊の核たる心臓が停止した以上、魔力をダンジョンから吸い上げる力は残っていないだろう。
上半身のみで横たわるナンタイはピクリとも動かず、魔力は感じられない。
仮にまだ生きていたとしても、保って数分の命といったところだろう。
「お、終わった……」
ようやく実感できたのか、イリナがガクリと膝をついた。
安堵で力が抜けたらしい。
「ねえさま!」
アイラが駆け寄り、イリナの身体を抱く。
「すまないアイラ、怪我はない。少々……疲れただけだ」
「ええ、ねえさまはよく戦ったわ。体力回復用にポーションは準備しているけれど、飲むかしら?」
「ああ、すまない」
アイラが取り出した小瓶の封を切り、イリナは中身を一気に飲み干した。
「だが、腹が減ったな。ライノ殿、私にも何か食べさせてもらえると嬉しいのだが」
戦闘中にパレルモとビトラに約束したあれか。
「別に構わんが……ここでか?」
ちなみにパレルモとビトラは魔力切れのせいか完全にダウンしている。
しばらくすれば動けるようになるだろうから、料理を作って待っていても別にいいのだが……
「いや、もちろん地上に出てからの話だ。ダンジョン内での食事も悪くないが、できれば今は外の空気が吸いたい。……もう戦闘がなければの話だが、な」
イリナが肩をすくめ、苦笑する。
「もちろん私も一緒で構わないわよね?」
「もちろんだ」
というか、アイラは言わなくても付いてくるだろうに……
それはさておき。
「ライノ殿? その残骸をずっと見ているが、どうしたのだ?」
「いや……少し気になることがあってな」
俺のすぐ側には、干からびた巨大な心臓が転がっている。
他の体組織とは違い、これだけはなぜか未だ残ったままなのだ。
それに、干からびてはいるものの、この心臓からはまだ微弱な魔力を感じる。
それが意味するところは……
そういえば、『ねね』さんの身体は、ヴィルヘルミーナの魂が抜き取られたあと、どうなったのだろうか?
状況からして、ナンタイの増殖した肉塊に呑み込まれてしまったのは間違いない。だが、そのあとは?
跡形なく吸収されてしまった?
肉塊に押しやられて、部屋の隅の隠れた場所に?
それとも……
「…………アイラ、ちょっといいか?」
「なにかしら?」
手招きすると、休んでいるイリナを残してアイラがやってきた。
「この心臓に、治癒魔術をかけてみてくれないか? できれば、欠損部位まで完全に治癒できる、一番強力なやつを、だ」
「……はあ? ひょっとしてにいさまも、ポーションが必要なのかしら? それとも、治癒魔術? もちろん頭の、だわ」
アイラがまるで狂人を見るような目つきになった。
つーか頭に効くポーションとか魔術って何だよおっかねえ……
まあ、彼女の言動も分からなくはない。
何も知らないアイラからしてみれば、俺があの肉塊を蘇らせようとしているとしか思えないだろう。頭がおかしくなったと思われるのは当然だ。
だがもちろん、俺は正気だ。
「少し説明不足だったな。この心臓は、もしかしたら人間の身体で出来ているかもしれない、ってことだ」
「……よぉーくわかったわ、にいさま。すぐ済むからじっとしていてね」
「待て待て待て待て! 今説明をするから、その禍々しい術式とどす黒い小瓶をしまえ!」
目の据わったアイラをなんとかなだめると、俺はコウガイと『ねね』さん、そしてナンタイとヴィルヘルミーナの経緯を詳しく説明した。
「……まさか、そんなことがあったなんて……」
俺が話し終えると、アイラが愕然とした表情で呟いた。
「だから、この場には存在すべき『ねね』さんの身体が足りない。この心臓がそうならば、数が合う」
「でも、そんなことって」
「ありえないとも言い切れん。ナンタイは人間を魔物化する魔剣を造り出したり、魔剣そのものが魔物化するような能力を持っていたんだからな。人間を自分の身体の一部分に作り替えてしまうことだって、可能かも知れない」
「理屈の上では、そうかもしれないけど……でもまあ、にいさまのお願いだもの。ダメもとでやってみるわ。それでいいかしら?」
「ああ、頼む」
アイラは少しだけ困惑していたが、魔術を掛けることに賛同してくれた。
干からびた心臓の横にしゃがみ込み、手を当てる。
「じゃあ、いくわね――《
アイラの手から光が溢れ出した。
たちまち干からびた心臓が複雑な紋様を描く魔法陣に覆われてゆく。
「おお、いつ見てもすごいな……」
俺の独り言に、アイラはチラリとこちらを見やったが、すぐに心臓に向き直った。さすがに会話をする余裕はないらしい。
魔法陣が、心臓全体を覆った。
するとジュワアァァ……と何かが焼けるような音とともに、たちまち黒く干からびた心臓に潤いと血色が戻る。
今にも鼓動を再開しそうだ。
「まだまだ……!」
さらにアイラが魔力を込めると、心臓を覆った魔法陣はさらに密度を増してゆく。それと同時に、変化が起こった。
心臓全体が、強い光に覆われると同時に、ぐにゃりと変形を始めたのだ。
まるでスライムのように、球形だった心臓が細長く伸びてゆく。
そして――
「はあ、はあ…………正直半信半疑だったけれど、本当に人だったのね」
アイラが荒い息を吐きつつ、ぺたん、とその場に座り込む。
彼女の側には、女性が横たわっていた。
黒く長い髪をした、美しい女性だ。
……だが。
「この人、息していないわ。鼓動も聞こえない。人の姿に戻すことはできたみたいだけど……魂が抜けてしまっていては、私でもどうしようもないわね」
アイラが残念そうにため息をついた。
まあ、それはそうだろう。
身体に宿っていたヴィルヘルミーナの魂はすでにナンタイに喰われてしまった。
ここに横たわるのは、抜け殻に過ぎない。
だがそれでも、意味がないわけではない。
「その
背後から声がして、振り向く。
いつのまにか、コウガイと『ねね』さんが立っていた。
横たわる『ねね』さんの身体を、静かに見つめている。
「ああ、見ての通りだ。……もう体調は戻ったのか?」
「うむ。さきほどそこのアイラ殿に治癒してもらった。アイラ殿、世話になった。改めて礼を言う」
コウガイがアイラに深く頭を下げた。
俺たちがナンタイと最後の戦いを仕掛けていたその背後では、アイラがしっかりと仕事をしていたようだ。
「そんな気にしなくていいのよ。私は私の仕事をしたまでだから」
そんなことを言いつつ、プイッと目をそらすアイラ。
クールぶってはいるが、ふわふわの金髪からのぞく耳は赤かった。
「それで……なのだが」
コウガイが『ねね』さんの身体の側にあぐらをかいた。
影の方の『ねね』さんも、その横にゆっくりと腰を下ろす。
コウガイは静かな口調で続けた。
「ライノ殿。……すまぬが、我々だけにしてはもらえぬだろうか」
そういえば、ナンタイはコウガイの獲物だったな。
目の前に横たわる『ねね』さんにも、思うところがあるのだろう。
どのみち、このまま放っておけば、ナンタイはいずれダンジョンに吸収され消滅する。俺としては、その申し出に異論はない。
「分かった。用事が済んだら、ダンジョンから出てきてくれ」
「……かたじけない」
『オ気遣イ、痛ミ入リマス』
コウガイと『ねね』さんが深く頭を上げた。
「ちょっとにいさま? まだ、討伐対象の死亡確認は取ってないわよ?」
パレルモとビトラを回収しようと歩き出した俺に、アイラが追いかけてきて慌てたように言う。
「ナンタイのことなら、大丈夫だ。討伐は終了した、ギルドにはそう報告しておく」
「にいさまがそう言うならば、構わないけれど」
アイラはそう言うと、イリナのところへ向かって行った。
さて、俺もパレルモとビトラを起こしたら、さっさと撤収するか。
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