第41話 事故物件
「あの、ライノさん。本当にこの物件でよろしいんですか?」
おずおずと、不動産屋が俺に尋ねてくる。
「ん? 注文通りだろ。バッチリだぞ、不動産屋」
「いや、そうは言いましてもですね……どうしてもというのでご案内させて頂きましたが、ライノさんともあろうお方がこのような物件に住まわれるのは、ちょっと……」
「金ならあるぞ」
「いえ、そういうことではなくてですね」
俺たちが今いるのは街の中心部から少し歩いたところにある、裕福層の集まる居住区の一角だ。
目の前には、周囲の建物よりひときわ大きな館がそびえ立っている。
ここは、俺の出した条件を全て満たす物件なのだが……不動産屋的には不満があるらしい。
「そりゃあ、ハーバートさんのお知り合いの方ですからね。ヘタな物件を紹介なんてできません。だいたいあの証文は、商人なら誰しもが喉から手が出るほど欲しいものなんですよ?」
そうなのか。
旦那スゲーな!
「ですから、私だって心配のひとつもしようというものですよ。それに、そこにいらっしゃる美しいお連れ様方にも、この住環境はよろしくないのでは、と」
不動産屋は、さきほどとは別人かと思えるほどへりくだった態度だ。
店からここに来るまでに不動産屋に聞いた話だと、香辛料屋の旦那はヘズヴィンの界隈では結構な人物だったらしい。
不動産屋によると、旦那の店の香辛料は、旦那の目利きで世界中から仕入れてきた選りすぐりの食材だったらしい。
そしてその香辛料の品質は、ヘズヴィンにある一流の料理店から屋台まで、味にこだわりがある料理人たちから絶大な支持を集めているうえ、王都の有力な貴族や王族の料理人からも一目置かれているそうだ。
そんなわけで、香辛料屋は王都のお偉い連中ともコネクションがあるらしく、不動産屋もその辺の筋から何度も仕事を紹介して貰ったりと世話になったらしい。
で、そんな世話になった旦那の取引先の商人に、ヘタな物件を紹介するのはちょっと……ということのようだ。
まあ、確かにこの館の有様は不動産屋を不安にさせるには十分すぎるのは間違いないか。
なんせ、俺たちの前にそびえ立つ館の惨状たるや、目を覆いたくなるレベルだからな。
館の外壁は所々剥がれているし、庭の草は伸び放題だ。
窓は侵入者防止用に板が打ち付けられているから中の様子は分からないが……
有り体に言って、廃墟だ。
だが、外観なんぞ修繕すればいいし、庭の草は刈ればいい。
俺も、そんなことは重要視していない。
そもそも使用目的が転移魔法陣設置用の隠れ家だからな。
この館には、もっと深刻な瑕疵が存在するのだ。
この館には魔物が棲んでいる。
今でこそ荒れ放題のこの館だが、不動産屋いわく、数年前までは裕福な商人一家が使用人付きで住んでいたらしい。
だがある日突然、館の中でどこからともなく魔物が現れ、家の者たちに次々と襲いかかる事件が起きた。
幸い使用人が数人怪我をしただけで済んだようだが、恐怖の一夜を過ごした商人一家は、この館をすぐに売り払ってしまったそうだ。
しかし、しばらくして次の者が館に住み始めると、やはりどこからともなく魔物が現れ、家主を襲った。
恐れをなした次の買主も、すぐにこの館を売り払った。
そんなことが二度三度と続き、ついにこの館に住もうという者もいなくなった。
もちろん、家主が逃げ出すたびに、そのすぐあとに街の衛兵や冒険者たちが館中を捜索したそうだが、いくら探しても魔物の影すら発見することはできなかったらしい。
魔物に襲われた家主や使用人たちから聞いたところ、それは人の影のような魔物で、執拗に家主を狙う習性を持っていたらしいのだが……
結局魔物の正体は、いまだ分からずじまいだという。
で、現在は回り回って、そこでイカツい顔を青ざめさせている不動産屋がこの館の持ち主として管理をしている。
もっとも魔物の出現を恐れた大工たちが仕事を引き受けてくれないせいで、ただ名義上所有しているだけ、らしいが。
だから、そんな曰く付きの館を条件が合致するからと言って強引に案内させようとする俺に対して、不動産屋が心配するのはよく分かる。
だがまあ、正体不明とはいえ『魔物が出る』程度じゃ俺にとって障害にすらなるわけがない。
俺は心配そうな顔の不動産屋に向かって言う。
「安心しろ、不動産屋」
「オズワルドです」
「いいか、不動産屋。仮にまだ魔物が棲みついていたとしても、退治すれば済むことだ。俺たちは冒険者で、たいていの魔物を退治する力がある。たとえばそこで串焼きをがっついてるパレルモは単独でワイバーンの群れを瞬殺できる戦闘力を……」
ちょっと待て。
「おいパレルモ。なんでお前今串食ってんだ。このあと夕飯食いに行くって言っただろ! 一体いつからそんなモノを……いや待て待て待て待て! 食いかけをそのまま《ひきだし》に戻すな! バッチいだろ!」
「む。パレルモはさっきからずっとライノの目を盗んでは亜空間から食べ物を取り出し食べている」
「あっビトラ! ダメだよ言っちゃー! だ、大丈夫ダヨー? 串焼きはべつばらダヨー? だから夕飯も食べるもん!」
別腹ってなんだよ。
胃袋も亜空間なのか? コイツは。
つーか《ひきだし》にメシを隠してるならさっき携帯食料やる必要なかったじゃねーか!
「は、ははは……私は商人ですからそれほど魔術に詳しくありませんが、それでもあの魔術がとんでもないモノだということくらいは分かりますよ……」
亜空間魔術をアホなことに使うパレルモを見て、不動産屋が引き笑いしてるな。
はあ……
もうパレルモは放っておこう。
このあと、夕飯入らなくても知らん。
つーか話が進まん。
「ゴ、ゴホン。それで、不動産屋。中を案内してもらえるか?」
「……本当によろしいのですね?」
「問題ないと言ったろ。もし魔物が出てきても返り討ちにするから安心しろ」
「わ、わかりました。気が進みませんが、仕方ありません」
俺たちは荒れ放題の庭を抜け、館の中に入った。
◇
ギイィ……バタン
完全に玄関の扉が閉まると、外の喧噪がウソのように消え去った。
まるで外界から隔絶されたような静寂が、館を支配している。
「街のど真ん中だというのに、静かなもんだな」
「そうですね。ここはかなりしっかりした造りですから」
「ライノー、ここダンジョンみたいな臭いがするねー」
パレルモが鼻をひくひくさせながら、辺りを見回す。
魔物の出現を恐れ、ろくに換気もされていないのだろう。
カビと埃の臭いが鼻につく。
「む。私の遺跡はもっといい匂いがする」
ビトラは何を対抗しているのか分からんが、彼女のいた遺跡はもっといい匂いらしい。
どうでもいいな。
「魔物が出るかどうかはともかく、確かに不気味な雰囲気ではあるな」
俺たちのいる玄関ホールは吹き抜けで、正面には二階へと至る大きな階段がある。
本来なら、開放感溢れる造りだ。
だが、ホールの窓という窓には侵入者防止のための板が打ち付けられており、外からの光がいっさい入ってこない。
そのせいか、館の中はじっとりとした重苦しい雰囲気で満たされていた。
「……それではライノさん、まずは一階をご案内しましょうか。ご希望通り、広めのキッチンとダイニングがございますよ」
館に入ったあたりから、さらに顔が青く見える不動産屋ことオズワルドが、そう切り出してきた。
「すまんが、それはあとでいい」
広いキッチンとダイニングも条件の一つだが、それは別にあとで見て回ればいい。
それよりもまず、絶対に外せない条件があるのだ。
「そ、そうですか。では、どこからご案内しましょう?」
「地下だ。そこを見ておかなければ、キッチンもダイニングがいくら立派でも意味がないからな」
「地下ですか……かしこまりました」
不動産屋の顔色がさらに悪くなった気がしたが、館の薄暗さのせいだろう。
◇
「ここです。いかがですか、ライノさん。……正直、私としてはあまりここに居たくはないのですが」
不動産屋が大きな図体を縮めながら言った。
もう、ビビっているのを隠そうともしない。
案内された地下室は、一階部分にもまして重たい空気で満ちていた。
だがその受ける印象に比べ、地下室自体はそれほど狭くはない。
というか、
「結構広いんだな」
「ええ。ここはこの館が建つ前からあったそうですよ。前の家主は貯蔵庫として使っていたようですね」
なるほど。
たしかに地下室としてはそこそこの広さがあるし、アーチ状の天井はそれなりに高い。
貯蔵庫にはぴったりだ。
館を立てる前からあったということだし、もしかしたら、元々は地下礼拝堂か何かだったんじゃなかろうか。
立ったままなら、四、五十人はなんとか詰め込めそうなくらいの広さはある。
とにかく、転移魔法陣を敷設するのに、十分すぎる広さだ。
それに、この身体にまとわりつくような濃密な空気。
これは、魔素だ。
部屋のどこから滲み出ているのだろうか?
床? 壁?
往々にして地下室というのは地中から魔素が湧き出ているものだが、これは最高の条件に近い。
濃い魔素が滞留する閉鎖空間というのが、転移魔法陣を敷設・維持するための必須条件だからな。
しかし、これだけ濃い魔素が滞留しているならば、もしかしたらこの部屋の下に未発見のダンジョンが眠っているのかも知れないな。
ヘズヴィン周辺には手つかずのダンジョンがまだまだ眠っていると言われているし、街の地下にダンジョンが存在したとしても、おかしくはない。
うん。
魔物のことはさておいて、この物件は完璧に近い。
「ライノー。このお部屋、すっごく落ち着くねー。なんかわたしの部屋みたいだよー」
「む。ここはとても居心地が良い」
パレルモが部屋の空気を吸い込み、へにゃっとした顔をしている。
見れば、ビトラも和んだ表情になっている。こころなしか蔦髪も穏やかな感じだ。
まあ魔王の巫女たちにとっては、地上よりも魔素の濃いこの空間の方が心地良いだろうな。
「お、お連れ様方もお気に入りのようですね」
「ああ、ここはダンジョン内部の環境によく似ているからな。こいつらにとっては、こういう空気が落ち着くんだよ。なにしろ俺たち冒険者はダンジョンに潜るのが仕事だからな」
「な、なるほど」
不動産屋が納得したような、引き笑いのような顔になったが、まあいいだろ。
その後、俺たちは館に戻り、キッチンやダイニング、それに寝室などをみせてもらい……この館に住むことに決めた。
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