第42話 地下室
「さて。これでよし、っと」
俺は完成した転移魔法陣を前に額の汗をぬぐう。
この魔法陣は、館の掃除の間をぬって仕上げた力作だ。
ここから遺跡まではそれなりに距離があるからな。
長距離を転移する場合の空間の歪みや転移時間の誤差調整、その他もろもろ数百にも及ぶ計算を経て座標を特定・固定する必要があった。
そのせいで、かなり複雑な術式になってしまったが、致し方ない。
館住まい自体はそれなりに快適だ。
キッチン用品やソファなどの家具類などを運び込むのはまだこれからだが、なんといっても、ちゃんと自分の部屋で寝られるのがいい。
遺跡のダイニングだと、たまに食事の残りを漁りに起き出してきたパレルモに踏まれることがあったからな。
もう、ずっとこっちで暮らしてもいいくらいだ。
ちなみに、館に移り住んでから数日経つが、今のところ魔物の出現はない。
「む。魔法陣を遺跡の外に敷設した例は初めて見る」
ビトラが興味深そうに魔法陣を見ている。
「魔導書には、魔法陣稼働の条件に『遺跡内部に限る』という文言はなかったからな。つまり、キチンと座標を設定してやり、もろもろの起動条件を満たせば可能なはずだ」
「む。そもそもそのような運用は想定外なのでは」
「さあな。とにかくやってみないことには分からん」
転移魔法陣を稼働させるための条件は、
一、濃密な魔素が、常に存在すること。
一、日の当たらない、湿度と温度がある程度一定の場所であること。
一、地下空間、できればダンジョン。ある程度の閉鎖空間であること。
一、魔法陣を敷くだけの広さと高さがあること。
の四つだ。
他にも不動産屋が紹介してくれた物件はあったが、なかなか全部の条件を満たしているものはなかった。
その点、この地下室はその条件の全てを満たしている。
「これがあれば、遺跡から屋台に行きたいほーだいだね! 楽しみ-」
パレルモはすでに成功した気でいるな。
この楽天的な性格が彼女の良いところだが、これは俺も失敗は許されないな。
目的の座標の設定はすでに記述済みだ。
いきなり祭壇の広間と繋げるのはいろいろと不安だから、第一階層を転移先にしてある。
この前敷設した転移魔法陣の隣あたりだな。
よーし。
俺は念のため魔法陣の状態をチェックしてから、息を整える。
少し緊張してきた。
とはいえ、まだ起動試験だからな。
気負わずいこう。
「じゃあ、とりあえず魔法陣を起動させるぞ。二人とも下がっていてくれ」
「はーい」
「む。了解」
二人が後ろに下がった。
よし。
俺はしゃがみ込み、魔法陣の端に触れた。
体内の魔素を魔力に変換し、魔法陣へと流し込んでいく。
魔法陣が淡く輝き始める。
よし。
初期起動は完了だ。
あとは魔法陣が自動的に周囲の魔素を取り込み、現在の待機状態を維持し続ける。
ここは絶えず魔素が滞留しているし、このままでも大丈夫だろう。
と、思ったのだが。
――バツン!
突然魔法陣から軽い破裂音が聞こえ、光が消えた。
「ぴゃっ!?」
パレルモがビクッ! として小さな悲鳴を上げる。
な、なんだ!?
「む。ライノ。魔法陣が効力を失った」
「分かってる! だが、なぜだ? キチンと手順を踏んだはずだが。……ん?」
よく見ると、魔法陣の外周の一部が、かすれている。
まるで足で踏んだか、手で擦ったような跡だ。
このせいで、うまく魔法陣に魔力が循環しなかったらしい。
もしかしてパレルモかビトラが下がるときに誤って踏んでしまった?
いや、それはおかしいな。
二人とも、先ほどまで俺の両脇に立っていたのだが、魔法陣の消えている部分はその反対側だ。
つまり、地下室の奥側の壁に近い方だ。
二人が魔法陣を汚してしまったとは、考えにくい。
「もしかして……魔物?」
だが、そんなものもここにはいなかったはずだ。
いれば、俺か二人がとっくに気づいている。
「あっ! ライノー、今何か向こうで動いたよ!」
突然パレルモが大声で叫び、地下室の奥の暗がりに向かって指を差す。
「なんだ?」
「む。あれはなに」
パレルモの指差す方向に目をこらすと、チラリ、と黒い影が見えた。
小さな影だ。
たくさんの足があるように見える。
形からすると、クモだろうか?
だがそれは一瞬のことだ。
黒い影はあっという間に暗がりに溶け、消えてしまった。
かなり素早い動きだ。
もしかして、アレがこの館に出没する黒い影の魔物?
それにしてはずいぶん小さいぞ。
確か、前の住人を襲ったのは人型だったらしいし。
俺は気配探知スキルを起動する。
「…………」
周囲に感なし。
本当に魔物だったのだろうか。
ただのクモじゃなかろうな?
ともあれ、キチンと確かめる必要がある。
「二人はそこで待ってろ」
「う、うん」
「む。了解」
俺は壁に掲げていた松明を取ると、魔法陣の向こう側の壁に注意深く近づいた。
そっと松明を掲げる。
部屋の隅の暗がりが明るく照らし出された。
何もない。
小さな綿埃が、壁際に転がっているだけだ。
だが。
「……ん? これは」
と、そこで俺はこの地下室の違和感に気づいた。
部屋の正面の壁が側面にくらべ、わずかに明るい色をしている。
この正面の壁は、側面よりも新しいのか?
俺にはそう見える。
「…………」
もしかして。
「パレルモ、ちょっといいか」
「なにー?」
手招きをして、パレルモを近くに呼んだ。
「む。私を一人にしないでほしい」
パレルモと一緒にビトラが付いてきた。
「いやすぐ近くだろ。危ないから下がってろ」
「む。ライノとパレルモがくっついている方が危険」
何がだよ……
まあいい。
今はこの壁だ。
「パレルモ。この壁を《ばーん! てなるやつ》で切れ目を入れて欲しいだが、できるか?」
「いいよー。でも、崩れちゃったりしないー?」
「威力は最小でいいぞ。そうだな、このぐらいの範囲で、奥行きはこれくらいだ」
「わかった! やってみるねー」
俺は手振りでパレルモにどのくらいの穴を開けるかを指示する。
パレルモは頷き、壁に向かって手を突き出した。
「はいやっ!」
バスッ! バスッ! バスッ! バスッ!
鈍い音がして、正面の壁に小さな四角形の切れ込みが入る。
ちょうど、人の頭ほどのサイズだな。
「これでいーい?」
「ああ、上出来だ。……よっ」
俺はその切れ込みを入れた壁の中央部を、強く押し込んでいく。
人の力では少しキツいから、魔王の力を少しだけ身体に巡らせる。
「んぬっ……!」
切れ込みを入れた部分が壁の奥に徐々に沈み込んでゆき……
ズズ……ゴトン
ぽっかりと黒い穴が開いた。
どうやらこの地下室、壁の向こう側にも空間があるようだ。
俺の推測どおりのようだな。
「おおー。すごーい! ライノ! 向こう側があるよ!」
「む。ライノ、どうしてこの壁の向こう側があると分かったの」
「勘、というか経験だな」
パレルモとビトラが驚いたような顔になるが、この手の隠し部屋はダンジョンではわりとよくあるタイプだからな。
盗賊職ならば気づいて当たり前の仕掛けだ。
以前捜索に入った連中は、街の衛兵はともかくとしても、冒険者連中は気づかなかったのだろうか?
……と思ったが、気づかないだろうな、と思い直した。
そもそもこの館を捜索した連中は、魔物退治が目的だ。
戦士系職や魔術師が呼ばれたとしても、盗賊職なんかの微妙な支援系の職業は呼ばれなかったことは容易に想像できる。
ヤツらは戦闘に関するプロであって、ダンジョン探索のプロではないからな。
ともあれ、だ。
「向こうがどうなっているか調べる必要があるな。パレルモ、今度は人が入れるような穴を開けてくれ」
「がってんだ!」
テンションマックスな美少女顔で、山賊その一みたいな返事をするパレルモ。
……俺はもう諦めたからいいが、ビトラがすごい冷めた目で見てるぞ。
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