第13話 広間の掃除、そして水場

「……う」


 気が付くと、ダイニングのテーブルに突っ伏していた。

 どうやら食事のあと、寝入ってしまっていたらしい。


 気分は大分すっきりしている。

 なんだか、ものすごく久しぶりにちゃんとした食事をとった気がするな。


 とはいえ、ここに来てからそれほど時間が経っている気はしないが。

 日の差さないダンジョンの奥深くなので昼夜の感覚が薄いが、ここに落ちてきた直後のことや魔王の力を得たときにぶっ倒れたことを考慮に入れても、おそらく二、三日と言ったところだろう。


 結局あのあとパレルモは、俺が皿から料理を取り分けてやってもそれを食べようとせず、俺が一口囓ったものばかりを欲しがった。


 うれしそうに食事をするので欲しがるままに与えたが、俺の肉ばかり奪うのは勘弁して欲しい。そのあたり、見た目よりも言動が幼い気がする。

 妹というより、これじゃ娘だ。


 だが部屋の書物といい掃除の徹底具合といい、おつむ・・・の方まで幼いわけではなさそうだが……どうしたものか。


 テーブルの上もパレルモがしたのだろう、きれいに片付けられているし。


 まあ、肉自体は大量にあるから悪くなる前に全部食べきらないといけないからな。一緒に食べてくれるなら問題ない。


 それにパレルモと一緒に食事をしたおかげで分かったこともある。


 この《貪食》とやらの数字は、彼女が肉を食べても、それに応じて減少したのだ。

 どういう仕組みなのかは分からないが、おそらく彼女が魔王の巫女というポジションであることが関係しているのだろう。


 どのみち俺だけで消費するのはキツいと思っていたから、これはありがたい。


「パレルモ?」


 そういえば、彼女の姿が見えない。

 俺はダイニングを出て、彼女の部屋に入った。


「……ここにもいないな」


 ベッドはきれいに整えられている。

 祭壇の広間もそうだったが、部屋の棚や小物などもホコリ一つ付いていない。

 几帳面な性格なのだろう。感心なことだ。


 そういえば、パレルモの仕事というか日課は祭壇の間の掃除だったな。


 部屋と広間を繋ぐ隠し扉は開いたままだ。

 掃除に出ているということか。


「おーい」


 広間に出るが、ここにも居ない。

 どこにいったんだ?


 というか、前方に大蛇ニーズヘッグの攻撃のせいで半分ガレキと化した祭壇があり、それが視界を邪魔しているし、広間には支柱がたくさんあるせいで意外と先が見通せない。


 松明があるにせよ、広間は常に薄暗いしな。

 まるで巨木の森を歩いているようだ。


 お、祭壇の細かい破片はすでに片付けたあとのようだ。

 近くの柱に、掃除道具が立てかけてある。

 大きいものや大蛇の残りは……あとで手伝ってやるか。


「おーい、パレルモ?」


 祭壇の裏から回り込む。

 柱の奥、水場の暗がりに、松明の弱々しい明かりに照らされた白い人影が浮かび上がっている。


 おっ、あそこか。

 水でも汲んでいるのか?

 それとも、洗濯か?

 柱と柱の間に結びつけたローブに、洗いたての服が干してあるしな。


「おはよう。わりーな、食器下げて……もらって……」


 パレルモは水場の中にいた。

 透き通った水に半身を浸けて、こちらに背中を向けている。

 気持ちよさそうに、鼻歌交じりで髪を洗っている。


 全裸で。


 ……あっ。


 と思った時にはもう遅かった。

 パレルモが俺の声に気づいて振り返る。


 目が合った。

 凍り付くパレルモ。


 ヤバい。

 目を背けようと思ったが、目が離せなくなった。


「パレルモお前、その身体……」


 白磁のような美しい肌だ。

 女性らしい曲線も、美しいと思う。思わず見とれてしまうほどだ。


 だが、それは床に落として割れたあと、欠片を拾い集めて継ぎ合わせたような、ヒビだらけの白磁だった。


 背中を斜めに走る大きな裂傷。刀剣の斬撃によるものだ。

 腰辺りに見える円形の刺傷。おそらく、槍の刺突によるものだろう。

 肩口から腰にかけては、火焔魔術を浴びたのだろうか、大きな火傷跡がある。


 そのいずれもが完全に治癒しており、傷自体もよく見なければ分からないほどではある。だが、その大小様々な傷は、とても数えきれそうにない。


 なんだそれ。

 とはさすがに口に出して言えなかった。


 ――『挑戦者』と、挑戦者に力を授ける武器を護る『魔王の巫女』。


 その単語が、すぐに頭の中に浮かび上がる。


 挑戦者とかいう連中がどんなヤツらだったのか、俺は知らない。

 ただ、彼女の傷がどういう理由で付いた、いや付けられたものかを推し量るには十分だった。


 どうせこの無邪気なパレルモは、あっけらかんと魔王の巫女を自称したのだろう。

 欲望と悪意を腹一杯に詰め込んだ、挑戦者とかいう連中に。


 思えば肉を食べたがったときも、俺が囓ったものを、俺が囓ったその場所から食べ始めていた。

 あまり想像したくないが、彼女は毒を盛られ苦しんだ経験があったのかも知れない。


 不死のくせに、いっちょまえに食欲だけはあるんだよな、パレルモは。

 どうも我慢はしてたみたいだが……


 畜生が。

 胸くそ悪いったらありゃしねえ。

 



 ぴちょん。




 長く透き通る銀髪から落ちた滴が白磁の曲線を伝い、やけに大きな音を立てて水面に落ちた。


「……! …………ッ!」


 それを合図に、まるで時が動き出したかのようにパレルモは口をパクパクとさせつつ、顔面が透き通った白からピンクへ、そして真っ赤へと変化する。


 あっこれヤバイ。


「ち、ちがうんだ、これはアレだ、アレで、アレなんだ」


 何が違うのか自分でもよく分からないが、とにかく何かを否定しなくてはいけない気がするぞ!

 例の光る文字は出ていないが、俺の中の『貪食』の力がそう告げている。多分。


 ええと、何でもいい。

 頭をフル回転させるが、残念ながら『アレ』以外の単語が出てこない。

 さっきまで全然別のことを考えていたせいで、イマイチ考えがまとまらない。

 何でもいい、何かをひねり出さなくては!


 そうこうしているうちに、パレルモが胸元を押さえつつヌルヌルとした動きで俺に近寄ってきた。

 あっというまに肉薄するパレルモ。


 俯いたままなので、長い銀髪に隠れた表情は見ることができない。


 つーか、水の中とは思えない高速移動だ。

 そう、まるであの大蛇ニーズヘッグが乗り移ったかのような……


「ラーイノ♪」


 俺の目の前、それも息のかかるような至近距離までやってきたパレルモは顔を上げ、歌うように言った。ニコッとした表情で。


 うん。

 とても可愛らしい、いい笑顔だ。目に光がないことを除けば。


「お、おう」


 俺も、引きつる頬をなんとか動かしニコッとする。

 そうしなければいけない気がした。


 これぞまさに魔王の巫女。

 謎の威圧感がヤバい。


「お、俺は魔王だよな? そんでもって、お前は魔王の巫女だ」


 大丈夫。

 俺は魔王だ。

 彼女は巫女。

 何が大丈夫か分からないが、大丈夫ったら大丈夫だ。


「うん! ライノは、挑戦者じゃないよー。だから、大丈夫っ」


「そ、そうか。それはよかった」


 さらにニコーッとするパレルモ。


「だから今日のお掃除、ライノもいっぱい手伝ってね?」


 やっぱり目だけが笑っていない。

 直後、空が見えないはずの祭壇の広間に、星が散って消えた。




 ◇




《肉体損傷率:0.1%  ……現在修復中》


「ふう、これでだいたい全部か」


 破壊された祭壇のガレキを全部壁際にどけ、大蛇の残りも脇にどけ、俺は額の汗をぬぐう。

 心なしかほっぺたがヒリヒリするが、多分気のせいだ。


「ライノ、ありがとー」


 柱の向こう側でパレルモが笑顔で手を振っている。


「おつかれさん」


 俺も手を振り返す。

 とりあえず、さきほどの一件は気にしてないようだ。

 よかった。

 さすがに年頃(?)の女の子の水浴び姿を覗いてしまったのは、不可抗力とはいえマズかったな。

 ビンタ一発で済んだだけでも僥倖といえよう。


 というかパレルモ、あんな強力な攻撃を繰り出せたっけ?

 もしかして、俺と一緒に大蛇を食べたせいでパワーアップしてないか?

 いや、熱を確かめたときとか、そもそも力だけは強かった気がしないでもない。


 これは、あとで確かめる必要があるな。


「さて、と」


 俺は脇にどけた大蛇の残りを眺める。

 それと、視界に浮かんだ光の文字を。


《ステータス:貪食  魔物の力を取り込み中……残り38.5%》


 パレルモの協力(?)もあって、それなりに大蛇肉は消費できた。

 このままのペースでいけば、あと数日で食べきれるだろう。


 だが、それにはひとつ問題がある。


「調味料も香辛料が、底を尽きそうだ」


 一回分の食事で、ほとんどを消費してしまった。

 俺も大量に食べたし、パレルモも、あの細い身体のどこに入っていくのやら、やたら食べていたからな。


 ともかく、焼いただけの味付けなしでアレを喰らうのは無理だ。

 いや、多分前みたいな飢餓状態になればお構いなしなんだろうが、あの感覚を味わうのは二度とゴメンだ。


 そうなると。


「大量に買い付けに行く必要があるんだよなあ」


 独りごちながら、広間の天井のとある一角を見据える。

 そこには、ぽっかりと開いた穴がある。

 絶え間なく地下水が流れ落ちており、小さな滝ができている。

 俺が落下してきた場所だ。


 それなりの水量があるが、俺の現在の身体能力をもってすれば、ここから這い上がることは自体は何ら問題ない。

 しかし、しかしだ。


 仮にここから出られたとしても、戻るときはどうなる?

 そのときは、大量の調味料や香辛料、それにここにない食材を背負ってくる必要がある。

 かさばる大きな袋を穴につかえさせずに通せるか不安だし、なによりも調味料も食材も水気が大敵だ。

 ここに運び込んだところで、使い物にならなければ努力が水の泡だからな。


 となると……


「やっぱり、こっちだよなあ」


 水が引いてこれまたぽっかりと露出したダンジョンへの通路を見て、さらに呟いてみる。

 今のところ、俺の体調は安定している。

 多分だが、数日は持つだろう。


 あの飢餓感に襲われる前に、このダンジョンを攻略……いや、逆攻略していく必要がある。それにもしかしたら、他の食べられる魔物が生息しているかもしれないし、ハーブの類いも見つかるかも知れない。

 それならば、少しずつダンジョンの攻略範囲を拡大していくことも可能だ。


「そうと決まれば、さっそく行動だ」


 それに、パレルモに食わせたい料理も思いついたしな。


「よーし。やるか」


 俺は大きく伸びをしたあと、パレルモを呼びに向かった。

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