第7話 ちらつく光

「えーと、挑戦者ライノ。とりあえず……おめでとう、でいいの?」


「いや、お前が一番知ってるだろ。さっきのアレが何なのかを」


 おい。

 せめて俺の目を見て言え。

 というか、なんでそんなおそるおそる『おめでとう』を言うんだよ。

 パレルモはここを管理する巫女じゃないのか?


「……知らない」


 知らないってどういうことだよ。


「じゃあ、なんだってんだよ。俺、炎に巻かれて死んだと思ったんだぞ。アレで俺に魔王の力が宿ったっていうことか? 以前と何も全然変わらんぞ。ツノとか生えてないし」


「だーかーらー、知らないってば! 今までこの包丁を試したヒトは、みーんなこれはニセモノだー! って怒って帰っちゃったんだから! だいたい私はこの包丁が魔王の力を授けるらしいってことと、この祭壇の間をキレイにお掃除しておくことしか知らないの! 選ばれたヒトのその後なんて知ってるわけないの!」


 パレルモはそう一気にまくし立てると、頬をプクッと膨らませた。

 そんな涙目で睨まれても、こっちも困るんだが。

 つーか、『授けるらしい』ってなんだよ。伝聞かよ……


 ともあれ……パレルモの態度を見るに、本当に予想外のことが起こったのは確からしい。


 じゃあ、俺が『魔王の力』とかいうのを得たのか? といえば、正直疑問だ。

 包丁から出てきた炎に巻かれて倒れたというのは、俺の服や護符が焼けていることや、彼女の態度から、事実なのは間違いないが。


 とくに身体に変化が起こったようには見えない。

 たとえばツノとか尻尾とかそういったわかりやすい特徴が発現した様子もない。


 若干肌の血色が悪い気がするが、別段火傷が酷いわけじゃないしな。

 体調も悪くない。

 むしろ、あれだけのことがあったにも関わらず、不気味なほど体が軽い。

 まるで今までの出来事がウソだったみたいだ。


 強いて言えば、視界の端に薄ぼんやりとした光がチラつくのが……気になるといえば、気になる。

 まあ、この祭壇の間に滑落するときにも頭を打っていたようだし、さっきも倒れる前に意識がなくなったから、頭を地面に打ったのかもしれない。


 さて、そうなると、二つの可能性が浮かび上がってくる。


「まさか……失敗した、とか?」


 あるいは、ただの罠だったとか。


 後者は口に出さなかった。

 彼女はずっとこの包丁を、魔王の力を授ける神器(?)だと信じて、ずっと護ってきたんだからな。

 ただの罠でした、ではあまりにも報われない。


 とはいえ。

 どちらかといえば、俺は後者だと思っている。

 特定の条件下で発動する、魔術の類いだ。

 たとえば、この包丁を盗んでいこうとすると発動する、とか。

 俺は、現在の職業が盗賊職シーフだからな。


 盗賊職というのは、今はギルドの指定した、『重戦士』や『治癒術師』とかと同列の、ある一定のスキルを有する者に与えられる、ただの分類状の呼び名にすぎない。

 だが、そのルーツは過去に実在し、悪名を轟かせた山賊や盗賊、それに盗掘者たちだと聞いたことがある。


 パレルモは三千年くらい、ここで挑戦者を待っていたと言っていた。

 まだギルドが存在しない時代……のはずだ。


 おそらく、その罠というのは効力が切れかかっていたのだろう。

 そうでなければ、今ごろ俺は黒焦げの消し炭になっていたはずだからな。


 過去に潜った遺跡型ダンジョンでも、極端に古い罠は単純な機構のものを除き、たいてい効力を失っていたしな。

 時間経過とともに効力が薄れる魔術や呪いは言わずもがな、だ。

 

 ……さて。

 ひとしきり謎が解けたと思ったら、腹が減ってきたな。

 というか、今まで気にならなかったが、実はかなり空腹だ。

 喉もカラカラに渇いている。


 そういえば、ここに落ちてきてからどのくらい経ったんだろうか。

 腹の減り具合からすると、かなりのあいだ気を失っていたようだが。


 行動食は、ザックの中に入れておいたんだが……

 俺は手を腰にやって、そこにザックがないことを思い出した。

 

 そういえば、滑落したときになくしてしまったんだった。

 ……仕方ないな。


「なあパレルモ。ここって、何か食べるものってあるのか?」


 言って、パレルモを見やる。

 ……なんだその顔は。

 さっきから怯えたり怒ったり、忙しいヤツだな。


「ま、ま、ま」


「おい。聞いてんのか? お前を別に取って食おうってわけじゃねーよ。っていうか指さすのをやめろ」


 まだ俺が魔王だって思ってんのか?

 ……というかパレルモ、お前そんなに顔真っ青だったっけ?


 ぽたり。

 頭に、なにか生暖かいものが落ちた。


「なんだこれ……うっ、気色悪りぃな。ヌルヌルするぞ」


 あとなんか生臭い。

 シュルル……変な音とともに生暖かい、腐臭を帯びた風が吹き付けてくる。


 ……まさか。

 俺はようやくそこで、パレルモが指さす先が、俺の身長より高い位置なのに気づいた。


「魔物だあぁーーーーーーー!!」


 パレルモの絶叫と同時に、俺は背後を振り返る。


「……ウソだろ」

 

 巨大な蛇が、俺の真上で大口を開けていた。

 支柱に逆さまになって絡みつきながら、こちらに狙いを定めている。


 爛々とあかく光る縦筋のような瞳に、金色の眼。

 てらてらと濡れたような光沢を放つ鱗は、まるで広間の闇を凝縮して絞り出したような漆黒だ。


 おい待て。

 なんで、ここに魔物がいる。

 頭だけでも、俺の上半身ほどもある。

 一体どこからこんな巨大な魔物が湧き出てきた?


 思考が追いつかない。

 だが、分かることもある。

 今までいろんな遺跡やダンジョンに潜ってきたが、こんなヤツ、見たことがない。

 これは……ヤバい。


 直後、大蛇の頭がぶれ――俺をひと呑みにしようと迫ってくる。


「キャアっ!?」


「危ねっ!?」


 身をよじり、間一髪で大蛇の顎を躱す。


 大蛇は勢い余って祭壇に突っ込み、そのまま石造りの台座を粉砕した。

 盛大な破砕音が祭壇の間を震わせる。

 あっ、包丁が……


 包丁が炎を吹き出して大蛇を焼いてくれればよかったが、広間の奥へ吹き飛んだまま、ウンともスンとも言わない。

 このポンコツが!


 だが、今はそれどころではない。

 パレルモの絶叫のおかげで、一瞬早く気づけた。

 彼女には感謝しないとだな。

 もちろん、コイツから逃げ延びてだがな!


 獲物が口の中にないことに気づいた大蛇が、不機嫌そうに威嚇音を出す。


 パレルモはさっきの攻撃の余波を浴び、吹き飛ばされたようだ。

 頭を打ったのか、祭壇のふもとに倒れたまま動かない。


 そのパレルモの方に、大蛇の頭が向く。

 この大蛇は野生のヘビと違って、動いている獲物以外も狙うようだ。


 あのバカ!

 三千年も生きてるクセに、あの程度で気絶するんじゃねーよ!


 とっさに腰に手をやる。

 ……ダガーはなかったんだったな。

 大蛇に手傷を負わせるにしても、徒手空拳じゃさすがに分が悪すぎる。


 せめて、あの包丁を手にできればいいんだが……

 時間がない。

 その間にパレルモが食われてしまう。


 なにかないか。

 何か、せめてコイツを怯ませることができそうなものは……ある!


 俺はすぐ近くの支柱から、明々と燃える松明を引き抜いた。

 松明は木々を固く束ねたもので、ちょっとやそっとでは消えそうもない。

 ちょうど手の先から肘くらいまでの長さがある。

 手頃だ。


 大蛇がパレルモに気を取られている隙に、俺は急いで大蛇の顔が見える位置に移動する。

 よし。ここなら……


 大蛇が、パレルモを呑み込まんと大口を開けた。


 ……いまだ!


「コイツでも喰らってろ! ――『投擲』っ!!」


 スキルにより威力強化され、さらに軌道が補正された松明は、さながら長弓より放たれた火矢のごとしだ。

 猛烈な速度で、大蛇の眼球に吸い込まれるように進んでゆき――


「――ジャアアアアァァァッ!!??」


 深々と突き刺さった……が、浅い。


 いきなり知覚外から攻撃を受けたせいか、大蛇が怒りの声を上げる。

 大蛇がこちらを向いた。

 かなり怒っているな。


 目を狙ったつもりが、すこしずれてしまったようだ。

 視界のチラつきが、照準をズラしてしまったらしい。

 クソ。まだ落下のダメージが抜けてないのか?


 だが、パレルモから注意を逸らすことに成功をしたようだ。


 俺は支柱の陰に隠れつつ、パレルモから距離を取るように大蛇を誘導する。

 よし、うまくいったな。


 あとは、せめてあの包丁を回収して――


 と、そのとき。


「がっ……!?」


 強烈な衝撃が俺の身体を襲った。

 一瞬で呼吸が詰まり、視界がものすごい勢いで回転する。


 直後、さらに衝撃。


「あ、が……ッ」


 気がつくと、床に倒れていた。

 すぐに身体を起こす。


 状況を把握した。

 側面から強烈な一撃を食らい、その勢いで宙を舞い……壁面に激突したらしい。

 見れば、壁面の高い場所で彫刻が崩れ、大きなへこみを作っている。


 おいおい……こんな攻撃を食らって、なぜ生きている。

 そう思わせるだけの破壊状況だ。


 身体は特に痛くないが……折れている箇所もない。

 どういうことだ?

 さっきから、おかしいことだらけだ。


 それに、こんな状況なのに空腹感が止まらない。

 ほとんど飢餓感と言ってもいいくらいだ。


 なんなんだ、一体。

 とにかく、無性に腹が減ってしょうがない。

 誰か、俺にメシを食わせろ。


 ふいに影が差した。

 何かが、松明の明かりを遮っている。

 顔を上げる。


「……おいおいマジかよ」


 目の前に、大蛇がいた。

 大きく口を広げている。

 長い牙が、松明の逆光に照らされて、てらてらと獰猛な光を放っている。


 それが、二体いた。


 こいつら、夫婦めおとだったのか。

 さっきの衝撃は、待ち伏せていたもう一体の尻尾の一撃だったらしい。

 そういえば、さっきから気配探知スキルが機能していないことに、ようやく気づいた。

 あまりに異常な状況に、完全に失念していたようだ。


 ……ああ、そうだった。

 アレは意識が飛ぶと、効力が切れるんだったな。

 これはマズった。

 でも。


「は、ははは」


 自然と、乾いた笑いが口からでた。


 でも、それは諦念からでも、恐怖からでもなかった。

 食い物が、倍になった。

 それが、素直に嬉しい、と思ったからだ。


 自分でもおかしいとは思う。


 でも今は。


 ――コイツらをどうやって食おうか?


 それだけで頭がいっぱいだった。


 捌いて丸焼きか?

 それとも塩漬けか。

 きっとワタは苦くて美味いだろう。

 皮も火で炙れば、きっと酒の肴にぴったりだ。


 ――それとも、そのままかぶりつくか。


 よく見れば、大蛇の身体がところどころ光っている。

 これは……なんだろうか。

 鎌首をもたげた大蛇の頭部に、腹に。

 まるで線を引いたように光の筋が見える。


 代わりに、さきほどまでうっとおしかった視界のチラつきがウソのように消えていた。


 大蛇二体の首がぶれる。

 迫ってくる。


「なんだ、コレ」


 チラつきが消えた代わりに、視界の端に、大小さまざまな文字が浮かんでいる。

 ほとんどが意味の分らない単語だ。

 だが、分かるものも、あった。



 《自動スキル:時間展延を行使中 残り59秒》


 《スキル:解体を使用しますか? はい/いいえ》



 迫る二体の大蛇の牙が、ひどくゆっくりに感じられた。

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