第6話 挑戦者

 衝撃の事実が判明した。

 この包丁を引っこ抜くと魔王になるらしい。俺が。


 勇者でも料理人でもなく、魔王ときたもんだ。

 意味が分からん。


 魔王って、アレだ。

 俺の知っているのだったら、一度世界を滅ぼしたヤツなんだが。


 いわく、魔王の手の一振りで山を消し飛ばした。

 あとに残った場所は、巨大な峡谷になった。


 いわく、魔王はその巨大な口で城塞都市をまるごと食い尽くした。

 あとに残ったその場所は、まんまるで巨大な湖になった。


 いわく、魔王はその手に持った杖で魔物の大群を無限に生み出した。

 生み出された魔物は、世界を覆い尽くし、滅ぼした。

 あとに残ったのはなにもない。


 ちなみにその伝承では、魔物はすべて魔王もろとも勇者に討伐されたらしい。

 残ったものが何もないのに勇者が出てきたりするのは、まあ昔話のお約束だ。


 そもそも世界が滅びたというのに、なぜ魔王の力がこんなところで眠っている?

 因果が逆だろ。

 この包丁がその力の抜け殻なら分かるが。


 もちろんそんなスゴイ力がこの包丁を引き抜くだけで手に入るなら、これほど素晴らしいことはない。

 きっと世界だって征服できるだろう。やろうとは思わないが。


 ただ、俺がいるこの世界は確かに、魔王出現による世界崩壊のその後にある。

 人間や他の生き物が滅びていないことを除けば、この話自体は間違いない。


 いろいろな遺跡に潜ったし、そういった歴史を研究している学者や魔術師が俺たち冒険者の生活を支えているからな。当然情報だってある程度入ってくる。

 もっとも、このレベルの話は村の子供でも知っている常識だが……


 いや、魔王が世界を滅ぼした事実自体は、正直どうでもいい。

 問題は別にある。

 それはつまり。

 パレルモの言う通りこの包丁が魔王の力を授けるならば。


 その力を手にしたヤツが、何者であれ……一度世界を滅ぼしたってことだ。


「……ライノ、ライノ! ねえってば!」


  たんたんっ! とパレルモが肩を叩いてきた。


「そんな怖い顔して、どうしたの?」


 どうやら、思考が顔に出てたらしい。

 そりゃ、そんな話を聞いたら、誰だって怖い顔の一つくらいするだろ。

 魔王の力を得たら、世界を滅ぼすかもしれないんだからな。


「いやだって、コイツを引き抜いたら魔王になるんだろ? そんな危ないモノを前に、平静でいられる訳がないだろ」


 俺がそう返すと、パレルモがぽかんとした顔をした。

 それからすぐにニヤニヤとした顔になった。


「ライノは勘違いしてるよー。この包丁は選ばれし者じゃないと、力を授けてくれないんだよ? やだなー。ライノったら、気が早いんだからー」


 クスクスと笑いつつ、パレルモが続ける。


「今まで千人くらいの挑戦者がここまで来たけど、何も起こらなかったよ。包丁が、力を授ける人を選ぶんだから。挑戦者ライノには、その資格があるのかなー?」


「……それを早く言え」


 なんだよ。

 やっぱ『選ばれし者』じゃないとダメなんじゃないか。

 千人が挑戦してダメだったんだろ?

 それだけ特別な何かが必要だってことだ。

 俺みたいなただの冒険者が、その『資格』を持つとは思えない。


 ちょっとホッとしたが、正直拍子抜けだな。


「ちなみにこの包丁は台座に収まってるだけで、簡単に抜けるよ! じゃないと、キチンとお掃除できないでしょー?」


 言って、パレルモはぴょいっ、と包丁を台座から引き抜いた。

 それからドヤ顔でしばらく包丁をもてあそんだあと、たんっ! と勢いよく台座に戻した。

 小気味よい残響が祭壇の間にこだまする。


 …………。


 うん。

 さっきまでの、おどろおどろしい空気が完全に台なしだ。

 今や目の前の包丁と祭壇が、ものすごく安っぽく見える。


 多分俺は今、ものすごくなんとも言えない顔をしていると思う。


 もしかしてその魔王の力とやらも、ウソなんじゃないか?

 むしろ、料理人の力を授かると言われた方が信憑性がある。


 はあ。

 

「わかったよ。とりあえず、この包丁を抜けばいいんだな? それでその……資格とやらが分かるんだろ?」


「うん! ライノは三千年ぶりの挑戦者さんだからねー。いいよーいっぱい触っちゃっていいんだよー」


 パレルモがどーぞどーぞと、包丁を抜くよう促してくる。

 てかノリ軽いな!


 さっき聞き捨てならないセリフが聞こえた気がするが、さっきから妙な動きでウェイウェイ言ってる見た目だけ可憐な自称巫女様が、エルフでも魔物でも魔女でも異教の邪神でも、正直もうどうでもいい。


 未発見とはいえ、初心者ダンジョンの下に魔王の力とか、そんな危ない遺物が眠ってるわけがないしな。

 そもそもこの包丁が誰でも引き抜ける時点で、完全に茶番だ。


 まあ、こいつを引っこ抜いてやれば、パレルモも満足するだろう。

 帰り道くらい教えてくれるはずだ。


 仕方がない。

 

「……じゃあ、引き抜くぞ」


「いいよー」


 まるでテーブル上の料理を一口あげる、くらいのノリでパレルモが許可を出す。

 というか、さっきから「魔王♪ 魔っ王♪ まおまお魔ー王♪」とか手拍子と変な振り付けで歌いながら見守るのはやめろ。

 久しぶりでウキウキしてるのか知らんが、力が抜ける。


 ……はあ。

 じゃあ、気を取り直して……


 俺は包丁を握ると、一気に台座から引き抜いた。


 もちろん、何も起こらない。

 静かなものだ。

 ま、当然だ。


 でもな、パレルモ。

 その「ほらね?」みたいな顔はやめてくれ。


 ともあれ、これで義務は果たしたな。 


「よし。じゃあパレルモ、これで満足したろ? なら、帰り道を教えて……」


 俺はパレルモに祭壇から引っこ抜いた包丁を返そうとして、


 







 キイイィィィィィイイイィィィ――








「…………は?」


 突然包丁が甲高い音を発し、赤熱し始めた。

 直後、猛烈な勢いで炎を噴き出し始める、包丁。


「熱っっっ! あっつ! ちょっ、おい、これ手から離れなああああぁぁぁッッ!!??」


 熱い! 熱い! 熱い! っていうか、痛い!


 ちょっと待て!

 まさか包丁が燃えるなんて聞いていないぞ!


 ……はっ。


 もしかして、包丁に選ばれなかった千人って……

 最悪の想像が俺の脳裏にぎる。

 これは……絶対ヤバイ!


「おいパレルモ、これ、どういう……」


 説明を求めようと、パレルモを見る。

 ……おい、そんな驚愕の表情でこっちを見るな。

 さっきまでの余裕はどうした。


「ちょっ、ライノ? なんでそんな燃えてるの? どどど、どーゆーこと? こ、こんなの、私知らないよ!」


 どーゆーことかは俺が知りたい!

 というか、お前も想定していない事態なのかよ。

 そうしている間に、包丁から迸る炎はさらに激しさを増してゆく。


「あつっ! あっつ! いーから、火! 火、消してくれ!」


「あわわわ。ええと、火を消すには、火を消すには、えーと、えーと、そ、そうだ! 肌と肌を……くっつけ合わせるんだった!」


 目をグルグルとさせながら、おもむろにローブを脱ぎだすパレルモ。

 それは寒さで凍える身体を温める方だよ!


 そもそも炎を止めるのになぜその発想になるんだ。

 クソ、パレルモは混乱していて話にならんな。


 どうすればこの火を消せる?

 考えろ、考えろ、考え……あ。


 そ、そうだ! 水だ!

 出入り口が水没してたのを、思い出す。

 あそこに飛び込むしかない!


 というか、こんな単純な事がすっぽり頭から抜け落ちていたらしい。

 俺も相当混乱しているな。


 包丁から吹き出す炎はすでに祭壇の間の天井まで達しようとしている。

 これは早くしないとマズい。

 そう思って、水場へ向かって駆け出そうとした、そのとき。


 バキン!


 甲高い音がして、赤熱した包丁が砕け散った。


「えっ」


「ラ、ライノ!?」


 砕け散った大量の包丁の破片が、祭壇全体に撒き散らされ、その破片のひとつひとつから、さらに業火がほとばしる。


「寄るな……っ! お前まで炎に呑まれるぞっ……!」


「きゃっ!? あああああぁぁぁ――」


 とっさに、側にいたパレルモを祭壇の反対側へ突き飛ばす。

 悲鳴を上げながら、ころころと転がり落ちていくのを確認するが、今は彼女のケガを気にしている余裕はない。


 ごうごうと、まるで野獣のような唸り声をあげながら、炎はあっという間に俺の身体を包み込んだ。


「がああああああああぁぁぁぁっ!?」


 腕から胴体へ。

 胴体から首すじに。

 無数の炎がヘビのように身体中にまとわりつき、俺の皮膚を焼いてゆく。

 凄まじい激痛が走る。


 マズい。

 これは絶対マズい。

 息ができない。肌が引きつる。

 急いで水場に飛び込まないと、死ぬ……!


 そう思うが、すでに祭壇全体が火の海だ。

 ……クソ。

 逃げ場がない。


 激痛。

 激痛。

 もう激痛しか感じない。


 クソ……水場までさえ、行け、ば……


 一歩、二歩、足を踏み出し、




 そこで真っ暗になった。


 


 …………。



 ……。

















「……はっ」


 強い喉の渇きと空腹感で、目が覚めた。


 頬に感じるのは、冷たい石の感触。

 

 俺は、どうなった。


 身体の痛みは、ない。

 手足も動くようだ。引き攣れる感覚もない。

 すこし、目の端に星がチラついている。

 倒れるときに、頭でも打ったのかも知れない。


 身体を起こし、辺りを見回す。

 まだ、遺跡の中だった。


 祭壇を見る。

 まるで先ほどの出来事がウソだったかのように、炎はキレイさっぱり消えていた。


 というか、燃えた痕跡すらないな。

 どういうことだ?


 様子を確かめようと立ち上がる。


 ……ずいぶんと、身体が軽い。

 喉が渇いてしょうがないのと、腹が減っているのを除けば、まるでぐっすり寝て起きた朝のような気分だった。


「……?」


 少々首が寂しい気がして、手をやる。

 服の中にも、異物感があるな。


「護符が……クソ」


 首からさげていた護符は、ヒモが焼き切れ、服の中に落ち込んでいた。

 半分焼け焦げた袋を開くと、案の定中の羊皮紙も黒コゲだった。

 さっき炎に巻かれたのは間違いなかったらしい。


 あーあ。せっかく手間ひまかけて作った護符が……

 残念だが、仕方ない。

 このダンジョンを出たら、また作ろう。


 と、そうだ。

 パレルモは無事だろうか。

 炎からは逃れられたと思いたい。


 しん、と静まりかえる中、俺は祭壇に近づいた。

 祭壇の上には、最初に見たときと同じように、包丁が突き刺さっている。

 特に、欠けたり亀裂が入っている様子はない。

 どういうことだ。

 俺は幻覚でも見ていたのか?

 パレルモとかいう女の子も、最初からいなかった……とか。


 だが、その考えはすぐに否定された。


 パレルモは、祭壇の反対側で、膝を抱え震えていた。


「なんなのあれなんなのあれなんなのあれなんなのあれ……」


 真っ青な顔でなにやらブツブツ呟いているな。

 ところどころ服に焦げ目があるものの、火傷は負っていなさそうだ。


「おい、大丈夫か?」


「はわっ!?」


 声をかけると、パレルモはびくん! と一瞬肩を震わせ、あわてて立ち上がった。

 なんか腰が引けてるが、大丈夫か?


「ラ、ライノ? 生きてるの? だ、大丈夫、なの……?」


 おそるおそる、といった様子でパレルモがこちらの様子を伺ってくる。

 こっちを見る瞳の奥に怯えのような色が見えるが、無理もないか。

 いきなり包丁が炎上したうえ爆発したわけだしな。


「俺は無事だよ。そっちも無事でよかった」


 そう言うと、パレルモは少しだけほっとした様子になった。

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