第5話 ひざまくら

「挑戦者のお兄さん。目、覚めた?」


 目を開くと、女の顔があった。

 女……というには若いな。少女だ。

 銀髪翠眼の少女が、しげしげと俺の顔を覗き込んでいる。

 さらさらの長い髪が俺の顔に触れて、少しくすぐったい。


「ここは……」


 どこだ。

 よく分からない。

 ……目が覚めたばかりなせいか、頭にもやがかかり、考えがまとまらない。


 少女の顔以外には……天井が見えた。

 かなり高いな。

 アーチ型の天井で、そこからいくつもの支柱が伸びている。

 ここは……寺院?

 ということは、俺は死んだのか。


 だんだん今までのことが思い出されてくる。

 

 ええと、地底湖でホタル苔を採取している最中に、地底湖の湖岸で未知の支洞を発見して……というか、落とし穴のような支洞に転落して、その先にある滝から落ちたんだった。


 記憶はそこまでだ。

 おかしいな。いつ蘇生されたんだ。

 他の冒険者に助けられた?

 この少女がそうか?

 分からない。


 というか、さっきから後頭部に柔らかくて暖かい感触がある。

 頬も暖かいものに包まれているようで、とても心が安らぐ。

 まるで、高級なベッドに寝かされているような……そんな気分だ。


 いや、ベッドにしては感触がおかしいな。

 後頭部や頬から伝わるのは確かに布の感触だ。

 だが、布の向こう側にあるのは綿というより、もっと弾力があって……肉々しい。

 それに、背中からの感触は妙に硬い気がする……


 頭に血が巡ってきたのか、意識がハッキリしてくる。


 後頭部の幸せな感触、少女の顔。

 少女の顔は逆さまだ。

 それの意味するところは。


「…………っ!!」


「あっ」


 俺は反射的に飛び起きると、慌てて少女から距離を取った。


「な、ななな!?」


 少女がぺたんと石造りの床に座り込んだまま、寂しそうな顔でこちらに手を伸ばしているのが見えたが、それに応えてやれる余裕はない。


 なんで俺、膝枕されてたんだ?

 少女の年は、十代半ばくらいだろうか。

 よくできた人形か彫像かと見まごうばかりの整った顔立ちをしている。

 触れてしまうと消えてしまいそうな、儚げな印象がある。


 端的に言うと、かなりの美少女だった。

 さきほどの後頭部の感触が思い出されてきて、顔が熱くなっているのが分かる。


 「ねえねえ、挑戦者のお兄さん。頭、大丈夫? また血が出てるよ」


 少女が心配そうに話しかけてきた。

 額に暖かくぬるりとした液体が垂れてくる感触がある。

 慌ててぬぐうと、確かに血だった。


 たしかに言われてみれば、ズキズキと頭が痛むな。

 断じて、目の前の美少女に興奮してのことじゃない。

 支洞に落ちたときか、滝から落ちたときにぶつけたんだろうか。

 だとしたら、かなり出血したかもしれない。


 案の定、少女は膝のあたりが血で真っ赤に染まっていた。

 せっかく白いローブを着ていたのに、汚してしまったな。


「すまん嬢ちゃん、服、汚してしまったな」


「んーん。大丈夫。あっ、私はパレルモっていうの。挑戦者のお兄さんは? 一応名前聞いとく決まりなの」


 俺が謝ると少女は気にした様子もなく、そう名乗った。

 決まり?

 寺院に直接お世話になったことはまだなかったから、よく分からんな。


「俺はライノだ。ライノ・トゥーリ。冒険者で、盗賊職シーフだ。嬢ちゃ……パレルモが俺を助けてくれたのか? ありがとうな」


「うん! ライノ、よろしくね。でも、ボーケン……しー……何?」


 パレルモは俺の自己紹介がぴんとこないのか、小首を傾げた。

 そうか。


 まさか、冒険者を知らないのか?

 なんか、様子が変だな。


「冒険者だよ。ダンジョンを探索して見つけたお宝を売ったり、傭兵の真似事をやったり、まあ、何でも屋だな。盗賊職ってのは本当の盗賊じゃなくて、ダンジョン探索に関する専門職のうちの一つだ。知らないのか?」


「んー……ああ、分かった! つまり挑戦者だね!」


 パレルモはしばらく考え込んでいたが、やがて腑に落ちたようで、ぽん、と手を叩いた。

 逆に、その挑戦者ってを俺は知らないんだが。


「なあパレルモ、その挑戦者っていうのはなんだ? 俺の知っている職業に、挑戦者ってのはないんだが」


「挑戦者は挑戦者だよ? ライノがここにやってきたのは、そういうことなんでしょ?」


 何を言ってるの? というふうに、パレルモが首をかしげた。

 言ってる意味がわからんな。

 だいたい冒険者を知らない? それはありえないだろ。

 寺院の神官や修道女は当然として、きょうび街や村の娘だって一度は何らかの形で関わる事はあるだろうに。


「だからその……まあ、いいや」


 さらにパレルモに説明しようとして、やめた。

 それよりも。

 頭が冴えてくるにつれ、だんだん周囲の状況が分かってきた。


 まず、ここは寺院じゃない。


 石造りの床、高い天井、俺たちを取り巻く何本もの太い支柱。

 柱や壁には、松明が掲げられており、パチパチと木の爆ぜる音が聞こえてくる。

 奥には階段付きの祭壇が設けられている。


 建物の構造自体は寺院に確かによく似ている。

 だが、決定的に違う点もある。


 支柱のさらに奥、建物の壁面一杯に、様々な彫刻が施されていた。

 それが全て魔物だった。

 ほとんどがよく知らない魔物だが、いくつか分かるのもある。

 牛頭の巨人ミノタウロス、三つ首の魔犬ケルベロス……あそこの火を吹く魔物はドラゴンだな。


 それに、極めつけは……祭壇と逆の方向、つまり出入り口にあたる場所は壁面が崩落しており、さらに床が抜けているのか、水没していた。


 そしてその上部、天井付近を見れば、小さな穴が開いており、水が噴き出している。

 俺はここから落ちてきたようだ。

 下に溜まっている水に落下したらしい。


 きちんと稼働している寺院なら、そんなものがあるわけがない。


 せいぜい礼拝堂の祭壇に、主神クロノスの彫像が置いてあるだけだからな。

 よく考えたら、ダンジョンの未知のルートに落ち込んだうえに、水路を流されて、ここに来たんだった。冒険者に救出されるという可能性自体がありえない。


 つまりここは……ダンジョンの内部だ。

 それも、遺跡型の。

 どうやら、テオナ洞窟のさらに地下に、未発見のダンジョンが隠されていたらしい。

 俺はそこへと至る道を発見した、というわけだ。

 怪我の功名というやつだな。


 ということは、まだ俺は死んでいないことになる。

 服の下から、護符を取り出してみる。

 まだ術式は生きていた。


「それ、なーに?」


 パレルモが護符に興味を示したようで、俺のとなりに身体を密着させるように座ってきた。おお、身体をくっつけるな。顔が近い。

 ローブ越しにパレルモの身体の感触が伝わってきて、また顔が熱くなってきた気がする。頭のケガがさらに開くとマズいな。


「あ、ああ。これは、万が一のときのお守りだ。ただのお守りだよ」


 反射的に護符をしまい込み、スッとパレルモから距離を取る。

 またもやパレルモが「あっ」と残念そうな顔をするが、致し方ない。


 まあ、この護符の効果を説明するのも面倒だ。

 死霊術師だとバラしても、特に良いことないしな。


 というかパレルモは無邪気というか、やたら他人との距離が近い子だな。

 見た目よりも言動が幼いし、他人を疑うということを知らないのかも知れない。

 俺としては女の子に密着されて悪い気はしないが、場所が場所だし、稼業が稼業だ。

 面識のない人間は、たとえ美少女だろうと間合いに入れたくない。


 それにだ。

 遺跡型ダンジョンの内部に、冒険者でもなんでもないただの少女が、たった一人でいる。


 間違いなく、人間じゃないだろう。

 よしんば人間だとしても、俺が知っている普通の人間とは思えない。


 今のところ彼女には、俺に対する敵意は感じられないが、それだって何かの罠や狡猾な魔物が人間を襲うための手管の可能性を捨てきれない。


 俺を助けてくれたのは間違いなさそうだし、あまり邪険にしたくはないんだが……


 こっそり手を後ろに回す。

 ダガーがない。

 そういえば、ここに落ちてくる前に手放してしまったんだったな。

 というか、腰に付けたザックや、もろもろの装備がほとんどなくなっている。

 滑り落ちたときに、ベルトが擦り切れたのか。

 マズいな。


 これは、なおさら彼女の立ち位置をハッキリさせておく必要があるな。


「なあ、パレルモ少し質問していいか」


「なーに? ライノ。ライノは挑戦者だから、なんでも教えるよ?」


 パレルモが小首を傾げて答える。

 この子には遠回しな聞き方をしても意味がなさそうな気がする。

 単刀直入にいこう。


「お前……一体何者なんだ? 魔物なのか? それに、ここ……どこなんだ」


「私? 私は巫女だよ? 魔物じゃないよ。えっとねー仕事はねー挑戦者が来るまで、この祭壇の間をお掃除してキレイにしたり……あ、あの水たまりはキレイだから別なの! ホントだよ!」


 パレルモが水没した箇所を差して、慌てて弁解する。

 そのおかげで俺が助かったわけだから、別に叱るつもりはないが。

 たしかに床の上にはチリ一つないが、正直掃除についてはどうでもいいな。


 とりあえず、ちゃんと答えてくれたが……巫女?

 同じような役割ならば、女神官や修道女というなら分かるんだが。


 もちろん、巫女という存在は知っている。

 辺境にあるダンジョン付近の村の土着宗教とかでたまに見かけるからな。

 が、パレルモからは、そういった神聖な雰囲気は感じられないな。


「あ、それとね」


 パレルモが思い出したように手を打った。


「あれの持ち主になるひとを待ってるの。ずーっと待ってたんだよ?」


 言って、祭壇の方を指さす。

 何だろう。

 ここからじゃ祭壇の上は見えないな。


「こっち来て」


 パレルモに促され、祭壇の階段を上る。


「……これは?」


 祭壇の上には、台座があった。

 短剣のようなものが刺さっている。

 鍔のない片刃で、長さは俺の肘から手の先くらいまで。


 どう見ても、調理用に使う包丁だった。


「これは、包丁だよ!」


「知ってた」


 そのままだった。

 

 しかし……祭壇に包丁?

 何だコレ?

 ここで何か調理でもしてたのか?

 鍋も、皿も、何もないな。

 祭壇には、この包丁が刺さった台座しかない。


 ……まさか。


 そこで俺は、嫌なことを思い出した。

 勇者サムリのことだ。

 境遇はまったく違うはずなんだが、なぜかあの包丁がアイツの持っていた聖剣とダブって見える。


「なあパレルモ。一つ聞いていいか?」


「なんでも聞いていーよ? ライノは挑戦者だから、私が知っていることはなんでも教えないといけない決まりなの」


 あー、挑戦者って、そういうアレか。

 だんだん状況が飲み込めてきた。


 やっぱりサムリと同じヤツだ。

 ということは。


「あの包丁を引き抜くと、どうなる」


 パレルモはよくぞ聞いてくれました! とばかりに目を輝かせると、言った。


「ライノが包丁を引き抜けたら、魔王の力が手に入るわ!」




 




 …………魔王?




 …………料理人の力とかじゃなくて?

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